053話 決意と決断*
王都への帰還は、偶然に救われたものだった。
奈落から這い出した《宵闇の月》は、身体を引きずるように進んでいたところで、たまたま通りかかった知り合いの冒険者パーティの馬車に拾われる形となった。
事情を説明する余裕はない。
ただ、アベルの呼吸が途切れないうちに王都へ――それだけを頼りに走り続けた。
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王都。
到着と同時に彼らは学院へと駆け込んだ。ガルドらは優れた治癒師がいることで知られる学院の医務室にアベルは運び込んだ。
「急患だ!」
医務官の声に、医務室のスタッフが一斉に動く。アベルの乗ったストレッチャーが部屋の中に運び込まれ、ガルドたち4人も治療のための別の処置室に連れていかれた。
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その頃、王宮ではガルド達に馬車を提供した冒険者パーティからの情報をレオニスが受け取っていた。
「魔王軍の四天王を…倒した、だと?」
「はい、ですが討伐した冒険者アベルは重症で現在、学院の医務室で治療中です」
レオニスは苦虫を噛むような顔で窓から学院の医務室のある方向を眺める。
(ちっ、忌々しい主人公め。まだ目立って俺の邪魔をするか…。とっとと退場してくれよ。)
それは強い嫉妬。その強い思いに呼応して指輪が薄黒く輝いた。
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アベルの処置をいつも通りの手順で始めた治癒師達。
だが、すぐに空気は変わった。
診断を終えた医務官たちの表情が曇る。
「魔力枯渇……いや、それ以上だ」
「生命力と魔力の回路そのものが崩れている」
医務官がポーションを試す。
光は一瞬だけ揺れて――消えた。
治癒師は治癒魔法を重ねる。
術式は展開する前に霧散した。
「……効かない」
誰かが呟いた。
その言葉の意味は重い。
治療手段が存在しないという事実だった。
沈黙が医務室を支配する中、扉が開く。
セレスティアと侍女エマは探索に持ち込む薬の相談のためにそこへ立ち寄ったのだ。しかし、2人はすぐに緊急事態に出会したことに気付く。
「……あ……」
視線の先では治療台の上に横たわる血まみれで傷だらけのアベル。肌は青白く、呼吸も極めて弱い。治癒師達は治癒魔法や回復薬を試し続けているが、効果が現れる気配が全く見えない。
「アベル様……!」
声が震える。足が止まり、エマの顔から血の気が引いていく。
一方で、セレスティアは一度だけ視線を向けた。
それだけだった。感情の揺れはほとんどない。
「……そう。今は大変そうなので、機会を改めますね」
小さく呟くと、そのまま踵を返す。部屋を出ようとする動きは自然で、迷いもない。
「お待ちください!」
エマの声が響く。
セレスティアの足が止まる。
振り返りはしない。
「何かしら?」
今までにおよそ聞いたことのない冷たい声。エマは一瞬言葉を選び、それでも踏み出した。
「姫様、お願いします……治療を……!このままでは彼は死んでしまいます!」
セレスティアは沈黙する。
長い一拍。
そして静かに告げる。
「その方は残念ですが、もう無理でしょう。それに私には関係ありませんし。」
エマは唇を噛んだ。だが引き下がらない。
「関係ない、ですか……? 私が、私達が野盗に襲われた際に救って下さった黒衣の方ですよ!まさか、お忘れなのですか……?」
エマの声は震え、今にも泣きそうだった。
「そうでしたね…。でも、武術大会でレオニス様を危険に晒すような不正を行った方、という印象の方が今は強いです。」
「……」
思いもよらぬセレスティアの発言に一瞬言葉を失うエマ。しかし、エマにはアベルがそのような不正を働く人物にはどうしても思えなかった。
そして、エマの瞳からはいつしか大粒の涙が流れ落ちていた。
「姫様にとってはそうだったとしても、私にとっては命の恩人には違いありません。どうか…どうか……お願いします。」
医務室の空気が張り詰める。
「それに私の知る姫様なら……このような場面に遭遇したら、何か出来ないかを考えて行動されていたはずです。たとえ相手が悪人であっても救える命なら…いいえ、たとえ救えない命でも何か出来る事をなさったはずです。なのに、どうして……。」
セレスティアはゆっくりと振り返った。その表情は冷たいままだ。
「わたくしも変わったのです。」
ただそれだけ。短い言葉は、すべてを拒絶する響きを持っていた。
沈黙。
医務室の誰もが動けない。その時、セレスティアはもう一度アベルを見た。
ほんの一瞬。
だがその視線の奥に、微かな揺れがあった。
エマはなおも一歩前に出る。
「もし私が今のアベル様と同じ状況に陥ったとしたら、姫様は同じように諦めますか?」
「そんなことはないわ。エマとそこの男は違うもの」
その言葉を信じてエマは覚悟を決めた。姫様に逆らうなど侍女失格かもしれない。でも、エマにも譲れないものがあった。
「…でしたら、アベル様がこのまま亡くなったら私も後を追って自害します。それなら姫様も考えてくださりますか?」
「タチの悪い冗談ね……」
エマは目の前のデスクに置いてあったハサミを手にとって、刃を自らの喉元に向ける。
「…本気?」
真剣な眼差しでセレスティアを見つめるエマ。
「はい!ですから、お願いします……!この方を……アベル様を私の代わりに助けてください!姫様ならば、きっと……」
その必死の声に、セレスティアは目を閉じた。
そして――短く息を吐く。
「……仕方ありませんね。」
低い声だった。諦めとも、覚悟ともつかない響き。
セレスティアは医務室の医務官と治癒師たちへ視線を向ける。動けずにいる若い治癒師たち。現状の分析すら終えられず、ただ立ち尽くしているだけの医務官たち。
「あなた方…」
静かな指示。
「特別クラスのエリス、ミリア、ルナ、クラリスを呼んできてもらえますか?」
短い沈黙。
治癒師たちは反応が遅れる。
「早くしないと、助けられる者も助からなくなりますよ?」
その一言で、空気が引き締まった。
「お願いします!!」
エマが若い医務官と治癒師達に深く頭を下げて懇願する。それに端を発して慌てて数人が駆け出す。エマは頭をあげて、彼らの背中を見ながら、ようやく小さく息を吐いた。
セレスティアの表情は変わらない。
だが、その決断だけは確かに“動いた”ものだった。治療の可能性は、まだ残されている。
そして医務室の中心には、なお意識の戻らないアベルが横たわっていた。
描かせておいてなんだけど、ゲームのヒロインとかが絶対にしちゃいけない顔な気がする…




