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048話 奈落への道

 奈落の迷宮――。


 王国最北端の山岳地帯、その地下深くへと続く古代迷宮。


 学院の資料には、こう記されている。

 ――『深層の詳細は不明』

 ――『上層でも帰還した探索者は極めて少ない』

 ――『これより先の情報は存在しない』


 未知。それこそが、この迷宮最大の脅威だった。その名を耳にした瞬間、《宵闇の月》の面々でさえ表情を引き締めた。冒険者であれば誰もが知る未踏の迷宮。その実態を知る者はほとんどいない。帰還した探索者の証言も断片的で、階層構造すら正確には判明していなかった。


 それでも五人は歩みを止めない。

 未知だからこそ、進む価値がある。


 それが冒険者だった。



 迷宮へ足を踏み入れた瞬間、アベルは違和感を覚えた。


「……魔力が濃い。」


 空気そのものが重い。呼吸をするだけで肺へ魔力が流れ込んでくるような感覚。


 トーヴも静かに頷いた。


「長居すると感覚が鈍る。」

「この迷宮特有の環境だろう。」


 ガルドは笑う。


「だから面白ぇ。」

「油断だけはするな。」


 全員が武器を抜く。



 低層。


 最初に姿を現したのは黒い甲殻を持つ巨大な甲虫だった。馬ほどの巨体と鋼鉄のような外殻。


「行くぞ!」


 ガルドが正面から斬り込む。

 だが、金属同士がぶつかるような音が響くだけだった。


「硬ぇ!」


 続いてバルドが側面から攻撃する。それでも浅い傷しか入らない。


「普通の魔物じゃねぇな。」


 リックが斧を振り下ろし、ようやく脚を一本砕く。体勢が崩れた瞬間。


「今です!」


 アベルが跳んだ。甲殻の継ぎ目へ剣を突き立てる。

 巨虫はそのまま崩れ落ちた。


「ふぅ……。」


 ガルドが息を吐く。


「低層でこれか。」

「笑えねぇな。」



 さらに進む。


 今度は霧だった。視界を奪う灰色の魔力霧。


「散開するな!」


 ガルドが叫ぶ。

 しかし、霧の中では方向感覚そのものが狂わされる。

 足音だけが響く。


「アベル!」


 声は聞こえる。だが位置が分からない。


 その時、一本の矢が霧を裂いた。アベルは反射的に身を捻るが、矢が頬を掠めた。


「敵か!」


 姿は見えない。音だけを頼りに剣を振る。


 金属音。


 敵の短剣を弾いた。続けて魔物の喉を貫く。

 霧が晴れ始める。倒れていたのは人型の魔物だった。


「幻惑系か。」


 トーヴが額の汗を拭う。


「嫌らしい迷宮だ。」



 三日目。


 ようやく中層へ到達した。ここから景色が変わる。

 壁には巨大な蜘蛛の巣。天井には繭。足元では何かが蠢く音。


「……蜘蛛ばっかりだな。」


 リックが嫌そうな顔をする。

 返事の代わりに、天井から無数の小蜘蛛が降ってきた。


「うおっ!」


 ガルドが薙ぎ払う。

 バルドが炎を放つ。

 アベルは繭を切り裂き、中から飛び出した大型蜘蛛を迎え撃つ。


 一体一体なら倒せる。

 だが数が多い。

 終わりが見えない。


 戦闘は一時間以上続いた。



 野営。


 焚き火を囲みながら全員が無言だった。食事を取る手も重い。疲労が蓄積している。


 ガルドが苦笑した。


「学生の遠征じゃねぇな。」


 リックが肉を齧る。


「学院の連中がここを指定した理由が分かった気がする。帰ってこられねぇと思ってるんだろ。」


 誰も否定しない。アベルも静かに焚き火を見つめていた。今回ばかりは、自分一人なら生き残れたか分からない。仲間がいたからこそ、ここまで来られた。


「皆さん。」


 アベルが頭を下げる。


「ありがとうございます。」


 ガルドは照れくさそうに笑った。


「急にどうした。」

「いや。」


 アベルも少し笑う。


「改めて思ったんです。俺一人では、ここまで来られませんでした。」


 バルドが肩を叩く。


「当たり前だ。パーティってのは、そのためにある。」


 トーヴも静かに頷いた。


「誰かが苦手なことを、別の誰かが補う。それが冒険者だ。」


 リックは豪快に笑う。


「遠慮すんな。帰ったら酒の肴にしてやる。」


 笑いが広がる。奈落の迷宮の中とは思えない、穏やかな時間だった。



 さらに数日後。


 五人は中層を突破する。目の前には、闇しか見えない巨大な縦穴が口を開けていた。


 岩壁には古代文字。そのほとんどは風化し、辛うじて一文だけが判読できる。


 ――『ここより先、人の領域にあらず』


 ガルドが静かに剣を抜く。


「いよいよだな。」


 トーヴは魔力探知を広げ、険しい表情を浮かべた。


「深層から感じる魔力が異常だ。今までとは比較にならない。」


 アベルもその気配を感じ取っていた。背筋を冷たいものが走る。まるで迷宮そのものが、自分たちを拒絶しているようだった。


 それでも五人は立ち止まらない。互いに頷き合い、誰からともなく一歩を踏み出す。


 その先で待つ絶望を、まだ誰も知らなかった。

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