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044話 背中を預けられる者たち*

 闘技場を埋め尽くす歓声。


 誰もがレオニスの逆転劇に熱狂していた。結界の中では、アベルが肩で息をしている。レオニスは剣を構えたまま、勝利を確信したように口元をわずかに歪めた。


(これで終わりだ。)


 アベルは剣を握り直す。しかし、その手には迷いが残っていた。


 母を危険に晒すわけにはいかない。その想いが、あと一歩の踏み込みを許さない。


♢♢♢


「アベルーーー!!」


 突然、闘技場の入口から場違いなほど大きな声が響いた。観客たちが一斉に振り返る。


「間に合ったな!」


 豪快に手を振りながら歩いてくるのはガルドだった。その後ろには、《宵闇の月》の面々リック、トーヴ。それから怪我が治って復帰したばかりのバルド。


 そして、その四人のおっさんたちの真ん中で、少し緊張した面持ちの女性が周囲を見回していた。


 その姿を見た瞬間、アベルの目が大きく見開かれる。


「……母さん。」


 女性はアベルを見つけると、ほっとしたように笑顔を浮かべた。


「アベル!頑張って!」


 観客席の端から、小さく両手を振る。


挿絵(By みてみん)


 近くにいたルドルフが壮年の冒険者4人と囲まれた女性に声をかける。


「俺、アベルの友人なんですが、皆さんはどのようなご関係で?」


「俺たちはアベルのパーティメンバーだ」

「そして、こちらはアベルのお袋さん」

「どうも、いつも息子がお世話になっております」

「あ、いえ、こちらこそ」


「いやあ、立ち寄った村でアベルのお母さんとバッタリあって、話をしたら、どうしても応援に行きたいって言うもんだからさ、連れて来ちゃったぜ。」


 ガルドが頭をかきながら笑う。


「道中も楽しかったよ」


 リックが苦笑する。


「お母さんから、ずっとアベルの話を聞いてさ。小さい頃は木剣を離さなかったとか。泣きながら鍛錬してたとか。」

「うふふ。」


 母は少し恥ずかしそうに、でもどこか誇らしそうに頬を赤らめた。


 トーヴが穏やかに微笑む。


「アベルは本当に自慢の息子なんだそうだ。何度も聞かせてもらった。」


 バルドも腕を組んで笑う。


「最初は親の贔屓かと思ったが、今日の試合を見て納得した。確かに大したもんだ。」


 四人は特別なことをしているつもりはない。

 応援に来ただけ。

 母を一緒に連れてきただけ。

 それだけだった。


 だが、その光景を見たアベルには十分だった。



 《宵闇の月》。


 迷宮都市でも名の知れた熟練冒険者パーティ。歴戦の四人が、母のすぐそばにいる。


 彼らがそこにいるというだけで、母へ手を出せる者などそうはいない。もし本当にレオニスの言うような人間が周囲に潜んでいたとしても、あの四人を前に動けるはずがない。


 その事実を、アベルは誰よりよく知っていた。

 胸を締め付けていた重圧が、ゆっくりとほどけていく。


(そうか……。)


 母は大丈夫だ。

 守られている。

 いや、

 守ろうとして守られているのではない。

 あの四人が、いつも通りそこにいる。

 それだけで十分だった。


 アベルは胸の奥から込み上げる熱いものを感じる。


(ありがとう。)


 誰に聞かせるでもない、小さな感謝。

 迷宮で命を救われ。

 仲間として迎え入れられ。

 そして今、

 何も知らないまま、自分にとって一番大切な存在まで守ってくれている。


 恩を着せるつもりなど、彼らにはないだろう。


 「応援に来た。」


 ただ、それだけなのだ。

 だからこそ、その何気ない優しさが胸に沁みた。


(俺は……本当に、いい仲間に巡り会えた。)


 自然と肩の力が抜ける。

 剣を握る手から迷いが消えていく。


 アベルはゆっくりと顔を上げた。

 その視線が、レオニスを真っ直ぐ捉える。


 レオニスは思わず息を呑んだ。


(何だ……目が変わった。)


 さっきまで確かにあった迷いがない。


 焦りも。

 恐れも。

 ただ静かな覚悟だけが宿っていた。まるで迷宮最深部で強敵と対峙するときのような、研ぎ澄まされた眼差しで。


「続きをやろう。」


 アベルは静かに剣を構える。

 その姿に、ガルドは口元を吊り上げた。


「いけー、アベル!」


 リックも笑う。


「とっとと、やっちまえ!」


 トーヴは静かに頷く。


「お袋さんにいいところ見せてやれ!」


 バルドは腕を組んだまま鼻を鳴らす。


「絶対負けんじゃねえぞ!」


---


 結界の中。


 レオニスは剣を握り直した。

 額を汗が伝う。

 何も変わっていない。

 そう思おうとしても、目の前のアベルだけは、まるで別人になったかのような圧力を放っていた。


 アベルは静かに一歩、前へ踏み出す。

 その一歩だけで、闘技場の空気が一変する。



 学院武術大会決勝。

 真の勝負は、今まさに始まろうとしていた。

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