355話 魔王城潜入
帝国の飛空艇は、夜の雲海を静かに進んでいた。
眼下には月明かりをほとんど通さないほど厚い雲が広がり、その遥か下にある大地の姿は完全に闇へ沈んでいる。反対に、雲の上へ出た空は驚くほど澄んでおり、無数の星が手を伸ばせば届きそうなほど近く感じられた。普段なら美しいと思える光景だったが、今夜だけは誰もその景色を楽しむ余裕など持っていなかった。
進行方向の先。
星空を背景にして、巨大な黒い影が浮かんでいる。
山脈に囲まれた盆地の中央にそびえ立つ魔王城。
遠くから見ても、それは一つの建築物というより、巨大な山そのものが意思を持って城へ変貌したかのような異様な威圧感を放っていた。幾重にも重なる城壁の上には無数の塔が立ち並び、その周囲には黒い雲のような魔力が渦を巻いている。ところどころに灯る赤い光は篝火なのか魔道具なのか判別できず、まるで巨大な獣が夜の中で無数の目を開いてこちらを見張っているようだった。
魔王軍の本拠地へ直接攻め込めば、当然ながら侵入する前に察知される。そこで選ばれたのが、魔王城の防衛網が届きにくい高高度で接近して隠密で降下して内部へ入り込むという方法だった。
潜入作戦に参加するのは、アベル、セレスティア、リシア、フェリ、ルナ、ミリア、クラリス、エリス、そしてアンジェリカ。
ギリギリ一個小隊とも言える人数だが、魔王との直接対決まで考慮すれば、今回の作戦においては必要最低限だった。
飛空艇内の作戦室では、最後の確認が行われていた。
「この先からは、この飛空艇でも安全に接近できる限界を越えます」
帝国の機関員が地図を広げながら説明する。
「魔王城周辺には複数の監視結界が存在します。通常の飛行魔法や大型飛空艇なら、一定距離へ入った時点で何らかの反応を起こす可能性が高いでしょう」
「では、その手前から出発ですね。」
セレスティアが地図へ視線を落とす。
その声には緊張が滲んでいるものの、元王女として状況を整理する冷静さは失われていない。
アベルは地図上の魔王城のテラスを指で示した。
「ここに着地して侵入する。」
「小型飛空艇の方が飛行魔法より魔力反応を抑えられます」
「ああ、わかっている。俺が小型飛空艇で先行して監視網の薄いルートを確認して、みんなを誘導する」
「「「ダメです(わ)」」」
アンジェリカを除き満場一致で反対された。
「護衛としてアベル殿に、そんな危険な役割をさせる訳にはいきません。その役目、是非私にお任せ下さい!」
「リシア、これは防御力が1番高い俺がやらなきゃダメなんだ。」
「でしたら、せめて同乗者を選んで下さい。小型飛空艇は3人乗りですから。」
「今回の作戦は9人だから3機になるな……。」
話し合いの結果…
1号機:アベル、セレスティア、ルナ
2号機:リシア、クラリス、エリス
3号機:フェリ、ミリア、アンジェリカ
となった。
ミリアが用意した小型飛空艇はグライダーに酷似していて、帝国の大型飛空艇のような居住性も長距離航行能力もない代わりに、小型で取り回しがよく、魔力反応も極端に抑えられている。また隠蔽魔法が付与されていてステルス性をさらに高めるために3人が並んでうつ伏せに寝そべる構造になっている。
「風魔法が使える者、魔力を極力使わずに遠距離攻撃ができる者を分配した結果です」
「私たちなら、もし見つかっても、強力な魔法を大規模に放つことで、続く2機が着陸するだけの時間は稼げる」
セレスティアとルナがアベルとの同乗の根拠を他のメンバーに言い訳する。
「見つからないことが一番なんだけどな」
アベルが苦笑する。
そして、この場に最後に残った2人へ視線を向けた。
「ソラムとソレムは、他の搭乗員と共に飛空艇に残ってもらう」
「………はい。」
ソラムが頷く。ソレムは納得しながらも、アンジェリカへ視線を向けた。
「ですが、姫殿下をお一人で行かせるのは心配です」
「私にはアベル様たちがいますので大丈夫です」
アンジェリカは微笑んだ。
「それに、あなたたちには飛空艇を守ってもらわなければなりません。万が一の場合に備えて、帰還手段を確保しておいてください」
「……承知しました」
双子は同時に頭を下げた。
アンジェリカはその二人へ微笑み返してから、静かに前を向いた。帝国の飛空艇は近くの山脈の影にある小さな祠の近くに少しだけ滞在した後、一度補給のための帝国に戻ることになっている。短期の潜伏になるなら祠の場所に転移スクロールで離脱する。だが、3日以上かかるようなら、それ以降は事前に決めたスケジュールで同じ場所に何度かは来てもらうことにしておいた。そのタイミングで転移スクロールを使えば脱出できる。
魔王城が近づいてくる。
◇
やがて飛空艇がさらに高度を上げた。
雲海を完全に抜け、星空の中を進む。
空気は薄く、冷たい。機体の外側を流れる風が、金属装甲を低く鳴らしている。それでも船内は静かだった。
誰も大声で話さない。
誰も必要以上に動かない。
これから向かう場所が敵の本拠地であることを、全員が理解していた。
アベルは窓の外を見つめる。魔王城は、もう肉眼ではっきりと形が分かる距離まで近づいていた。
巨大な城壁。
聳え立つ尖塔。
漆黒の宮殿。
その周囲には、魔力で形成された薄い膜のようなものが幾重にも広がっている。
ゲームでは何度も見た場所だった。だが、実際に見る魔王城は記憶の中とは比べ物にならない。ゲーム画面では一つの背景に過ぎなかった城が、今は明確な意思を持つ敵の本拠地としてそこに存在している。
アベルは静かに息を吐いた。
「そろそろだ」
そう言って立ち上がる。
「出発する」
後部ハッチが開く。
外気の酸素は薄く、風も冷たいはずだが、小型飛空艇の風魔法の防御幕のおかげで快適なままだ。
アベルは一度だけ振り返った。
「着地点は城の内側。このテラスの近くを狙う」
「「「「了解」」」」
双子侍女も心配そうに声をかける。
「どうかお気をつけてください」
「大丈夫だ」
アベルは短く答えた。
そして、9人は夜空へ身を投げ出した。
◇
小型飛空艇に組み込まれた魔石の隠蔽の魔力が飛空艇全体を包む。セレスティアは風魔法の出力を最低限まで落とし、魔力の波が周囲へ広がらないよう細かく制御する。
正面から吹き付ける風が頬を切る。
だが、それすら気にならない。
視線は魔王城へ固定されている。
城の周囲には、大小さまざまな魔力反応が存在していた。
空を巡回する魔族。
監視用の魔道具。
結界そのものを維持するための魔力の流れ。
一つでも不用意に触れれば、魔王城全体へ警報が伝わる可能性がある。
アベル達はその隙間を縫うように飛んだ。
高度を少し上げる。
次に左へ。
結界の薄い部分を見つける。
そこからさらに進む。
まるで夜空に張り巡らされた巨大な網の目を、一つずつ潜り抜けていくようだった。
やがてアベル達は、魔王城の上空へ到達する。
眼下には、巨大な城塞と、その中心にそびえるパレス。
そこへ視線を向けた瞬間。
遠くから四つの小さな光が近づいてくるのが見えた。
(来たな)
アベルは一度高度を下げ、先行して監視網の薄い場所へ移動する。
◇
「行きます!」
セレスティアが操縦桿を操る。ルナが敵陣の魔力の動きを読み、アベルはひたすらに飛空艇へ魔力を注ぐ。小型飛空艇は大型飛空艇とは比較にならないほど軽く、風に煽られれば機体そのものが揺れる。それでもセレスティアの操縦は安定していた。
「前方、監視魔導具があります」
ルナが魔力の流れを読む。
「右へ」
セレスティアが機体を傾ける。
監視魔導具の警戒領域を、紙一重で抜ける。
それを追うように2機の小型飛空艇が空を切る。
◇
「……静かですわね」
クラリスが周囲を見渡す。
「静かすぎるくらいです」
エリスが答える。
「だからこそ、気を抜かないでください」
「ええ」
クラリスは魔導銃へ手を添えた。
「もしもの時は、私が撃ちますわ」
◇
その時だった。アベルの乗る機体が、わずかに揺れた。
「……?」
「どうしました?」
セレスティアが尋ねる。
「今、何かに触れた」
ルナが計器を見る。
「結界の一部…」
淡い赤い光が、機体の周囲を走った。
「検知された可能性があります!」
アベル達は一瞬、動きを止め上空を振り返った。
魔王城の一角。
監視塔の赤い魔道具が、一瞬だけ明滅している。
「……来るぞ」
アベルが呟いた。
◇
魔王城の監視塔。
一人の魔族兵が、異常を示した魔導具を見つめていた。
「今、結界が反応したな」
「何か侵入したのか?」
「分からん」
別の兵士が周囲を見渡す。
「飛行型魔獣か?」
「この高度まで?」
監視兵が目を細める。
「もう一度、探知を――」
その瞬間、上空を黒い影が横切った。
巨大な鳥型魔獣だった。
監視兵たちの視線がそちらへ向く。
「……あれか?」
「おそらくな」
「なら、警報は不要だ」
魔導具の明滅が収まる。
アベルは遠くからその様子を見ていた。
そして。
(助かった)
小さく息を吐いた。
◇
「今のうちに進む」
アベルがハンドサインで合図を送る。
「やっぱり、俺が先に行く。合図したら高度を下げてくれ」
「ちょ、アベル様!」
セレスティアの制止を振り切ってアベルは飛空艇から飛び降りた。そのアベルを追うように3機の飛空艇がゆっくり降下していく。
今度はさらに慎重に。魔王城の外壁を越え、その内側へ入り込んでいく。
眼下には巨大な中庭が見えた。
石畳。
黒い噴水。
整然と並ぶ魔力灯。
そして、城の中腹にある比較的大きなテラス。花などは飾られておらず、砲台のような防衛設備がある訳でもない。だから、それはまるで高層ビルの屋上にあるヘリポートのようであった。実際、飛竜の乗り降りするのには便利そうな空間だ。
そして魔王城を見た瞬間、セレスティアは無意識に息を止めた。
「あれが……」
初見のアンジェリカが呟いた。
「ええ」
セレスティアは小さく頷いた。
「あれが魔王城です」
◇
「降りる」
アベルが告げた。着陸というより墜落に近いスピードで急速に落下し、魔王城の屋根の数m上空から飛行魔法で急に減速して、静かにテラスに、ほど近い屋根の上に降り立った。テラスに降りなかったのは罠を警戒したためである。
それを見た3機の小型飛空艇が、一斉に高度を下げる。機体が風を切り、夜の中庭へ滑り込む。
最初の一機が地面へ近づく。
セレスティアが出力を絞る。
機体から足を伸ばしてセレスティアとルナはアベルのすぐ目の前に着地した。アベルは2人の足が屋根に着くと同時に飛空艇を魔法袋に収納した。
おかげでほとんど音を出さずにセレスティアとルナも着地できた。
「ありがとうございます」
セレスティアが小さく息を吐いた。
残りの2機も同様にアベルに向かって着陸させすぐさま収納する。
「成功です」
全員、無傷で目的のチェックポイントに到着したのだった。
◇
魔王城の窓から内部に侵入を果たしたアベル達だったが、誰もすぐには言葉を発しなかった。目の前にあるものが、それほど異様だったからだ。
漆黒の外壁は月明かりをほとんど反射せず、巨大な尖塔は星空へ突き刺さるように伸びている。窓の向こうには魔族の気配があり、遠くからは巡回兵の足音も聞こえる。
ここは敵の本拠地だ。しかも、彼らは今、その中心へ限りなく近い場所に立っている。
「……本当にまた来ちゃったね」
フェリが小声で呟く。
「(声を小さく)」
ルナがすぐに注意する。
「(ご、ごめん)」
クラリスは周囲を見渡した。
「(想像していたより、ずっと静かですわ。前に捕まったときは、城全体がもっと騒がしかった気がしますし)」
アベルが答える。
「(魔王軍が出払っているということだろうか?)」
セレスティアが頷いた。
「(そうかもしれませんが、油断は禁物です)」
リシアは刀の柄へ手を添える。
「(敵が来たら私が前に出る)」
「(その前に、できるだけ戦わない)」
エリスが静かに言う。
「(今回の主目的はマユミさんの保護ですから)」
「(分かってる)」
リシアは頷いた。
そう。魔王を倒す決め手が未だ見つからないため、今回のミッションは一度マユミを連れ帰って誤解を解く。その上で説得して、それでもマユミが父親である魔王につくというのならば彼女を返す。たとえ、マユミと戦うことになるにしても…。
だが、魔王と避けられない戦闘になる可能性は充分にある。そのための準備は万全ではないにしろ出来るだけしてきた。だが、魔物に改造されたレオニスやアルセリアでマユミを率いていた魔王軍の将軍の女性と戦うなら可能な限り同時には戦いたくない。出来る限り個別撃破が望ましい。
夢魔の館に侵攻してくる魔王軍の動向を探り、暫く魔王軍を足止めするための工作もしておく予定だが、それは先ずマユミの安全を確保できてからの話だ。
アンジェリカは城を見上げる。
「(ここのどこかに、魔王が……)」
その声には緊張が混じっていた。
だが、誰一人として後退しない。
アベルは仲間たちを見渡した。
「(行こう)」
その一言に、全員が静かに頷いた。
もうすぐ夜が明ける。
魔王城。その巨大な建物は、何も知らないかのように静まり返っていた。




