354話 聖魔法の可能性*
夢魔の館には、聖女の噂を聞きつけた近隣の村人が偶に訪れるようになっていた。
エリスは今日も数人の怪我人や病人の治療を行っていた。
怪我を治すことなら、今までと何も変わらない。
傷を負った場所に手をかざせば、聖なる光が傷口を包み、肉体は本来あるべき状態へ戻っていく。
だからこそ、エリスには分からなかった。
自分は何を求めているのだろう。
「……回復魔法は、ちゃんと使える」
エリスは自分の手を見つめる。以前のように魔法が使えなくなったわけではない。聖女としての力を失ったわけでもない。それなのに、リシア、フェリやルナたちが新しい力を身につけていく姿を見るたびに、自分だけが立ち止まっているような気がしてしまう。
(私も……何かできるようになりたい)
だが、目の前に患者がいるなら治療を優先すべきだ。腰を痛めたお婆さんの身体に手を当てて回復魔法を行使する。
「治癒」
淡い光が広がり、お婆さんの身体全体に光が広がってていく。
腰の痛みが消えたお婆さんがスッと立ち上がる。付き添いの女性も驚くほどの回復ぶりだ。
「今回の治療で終了です。暫く様子を見てください。あと、何か気になる事はありますか?」
「聖女様、ありがとうございます。……そうそう!聖女様の治療を受けてから、母が酷かった物忘れをしなくなったんですよ。」
「そうなんですか!?」
また、別の患者は「もう、ずっと死にたいと思っていたんですが、聖女様の怪我の治療を受け始めてから、ちゃんと生きようと思うようになりました。」と告げたこともあった。
エリスは手のひらに残った光を見つめる。
(……もしかして、"回復する"ということは)
傷を治すこと。
壊れたものを元に戻すこと。
それなら……
「傷以外でも……元に戻せるものがあるんじゃないでしょうか」
自分でも、何を言っているのか分からない。それでも、胸の奥に浮かんだ感覚に従って、もう一度聖魔法をお婆さんへ行使した。
その瞬間だった。
「……え?」
光が、消えない。傷はとっくに治っている。それなのに聖なる光だけが木人の表面に残り、ゆっくりと全身を包んでいく。
「どうして……?」
エリスが手を引こうとした。けれど、なぜか止められない。怖いわけではなく、むしろ、不思議なほど自然だった。
まるで聖なる光そのものが、
――まだ終わっていない。
そう告げているようだった。
「……まだ、治っていない?」
木人に傷はない。外見上は何も問題ない。
それでもエリスは、もう一度だけ魔力を送った。
すると、お婆さんの頭と胸が一瞬光った。
「え?」
エリスは慌てて魔法を止めようとする。しかし次の瞬間、お婆さんから黒い煙のようなものが、ほんの少しだけ抜け出した。
「……!」
煙は空中で消滅した。そして木人は、何事もなかったかのように静かになった。
(今の……何?)
エリスは呆然とお婆さんを見つめる。
その背後から声がした。
「エリス?」
「アベル様!」
振り返ると、アベルが治療室へ入ってくるところだった。
「何かあったのか?」
「分かりません……」
エリスは小声でアベルに告げた。
「回復魔法を使っただけなのに、途中で黒いものが……」
「黒いもの?」
「はい。でも、もう消えてしまいました」
アベルはお婆さんを確認する。すると、お婆さんは急に快活に喋り始めた。
「まあ、いい男ね。私が若かったら絶対アタックしたのに!」
その発言を聞いて付き添いの娘さんはとても驚いた。最近では、殆ど喋ることのなかった母が急に昔のように快活に喋り始めたのだ。
「問題はないみたいだな」
「はい!母がこんなに元気に!ありがとうございます」
「何言ってんの?私は元気よ。さあ、帰ってご飯の準備をしないと!」
元気なお婆さんは娘さんを引っ張って帰っていった。
アベルしか居なくなった部屋でエリスは不思議そうに自分の手を見る。
「……私、何をしたんでしょう」
アベルも黙って考えていた。
エリスはもう一度、自分の手を見る。
「私、傷を治しただけじゃないんでしょうか」
「そうかもしれないな」
アベルが静かに答えた。
「じゃあ……何をしたんだろう」
エリスは考える。
回復魔法は傷を治すもの。けれど先ほどのお婆さんには、治すべき傷はもう残っていなかった。
それでも聖なる光は消えなかった。
そして最後に、黒いものが出ていった。
「……本来のあるべき状態に、戻した……とか?」
その言葉が口から出た瞬間だった。
エリスの胸の奥で、何かが弾けた。
聖なる光が、手のひらから一瞬だけ強く輝く。
「きゃっ!」
「エリス!」
アベルが駆け寄る。
しかし、エリス自身には何の苦痛もなかった。
ただ、不思議な感覚だけが残っている。まるで、誰かの身体や心にまとわりついている「余計なもの」を見つけ、それを取り除く。……そんな力。
「……分かりません」
エリスは戸惑いながら呟いた。
「でも……たぶん、聖魔法は、ただ傷を治すだけじゃないみたいです。」
「何か分かったのか?」
「はい」
エリスは自分の胸に手を当てる。
「……戻しているのかもしれません」
「戻す?」
「ええ、本来あるべき状態に。」
ミリアが考えながら言葉を繋いでいく。
アベルも黙ってエリスを見守る。
「怪我や病気を治すというのも根源は同じなのかもしれません。……呪いとか、身体に入り込んだ異物とか……そういうものまで、本来の状態から外れたものなら……」
エリスは自分でも驚きながら言葉を続けた。
「取り除けるかもしれません。逆に、生まれつき……つまり先天的な異常には逆効果かもしれませんが……」
「だから、砦街のウロボロス病だったあの子にはエリスの回復魔法じゃダメだったんだな。」
「……はい。ですが、本来の状態から外れた異常の対象に精神も含まれるなら……」
その言葉に、アベルの表情が僅かに変わった。
絆の指輪。
吸血鬼の魅了。
魔導チョーカー。
魔笛の音。
悪夢を見せる魔法。
これまで自分たちを苦しめてきた、数々の支配。
「……もし、それが可能なら…」
アベルはエリスを見る。
「はい」
エリスは頷いた。その表情には、これまでとは違うものがあった。自分が何かを証明しなければならないという焦りではない。初めて、自分の力そのものに期待している顔だった。
「まだ、可能性でしかありませんが、目指すべき方向性が決まりました。もっと訓練してみます」
「ああ」
エリスは微笑んだ。
「誰かの心まで、救える聖女になりたいです」
その言葉に、アベルは静かに頷いた。




