353話 エリスの悩み*
夢魔の館の訓練場では、クラリスの新型魔導銃についての試験が続いていた。
「三発目、行きます!」
ミリアの声と同時に、クラリスが引き金を引く。
轟音。
放たれた弾丸が防御魔法の施された標的へ命中すると、強固な魔力障壁が大きく揺らぎ、その中心に細い亀裂が走った。
「成功です!」
ミリアが嬉しそうに声を上げる。
「勇者の力を着弾時に集中させることで、通常の徹甲弾では突破できない防御まで破壊できています」
「これなら、強敵が出てきても私にできることが増えるわね」
クラリスも満足そうに頷いた。
少し離れたところでは、フェリとリシアとアンジェリカがビキニアーマーを身につけて戦闘訓練をしていた。
「もう一回!」
フェリが地面を蹴る。一瞬だけ身体が加速し、目にも止まらぬ速さでリシアの横へ回り込む。しかし、それに匹敵する速度でリシアが木刀をフェリに向けた。
アベルはアンジェリカの鋭い打ち込みをかわしながら目眩しの魔法を放つも、アンジェリカはすぐさま、それに対処してみせていた。
「すごい……!」
剣術のことには詳しくないエリスにも、3人の凄さはわかる。そのさらに上をいくアベルの凄さも。
フェリ自身が嬉しそうに笑った。
「段々と、このスピードにも慣れてきたよ!」
エリスは、その光景を少し離れた場所から眺めていた。
「……すごいですね」
口元には笑みを浮かべている。
クラリスが新しい武器を手に入れた。
フェリも、魔弓術に加えて自分の戦い方をさらに伸ばす方法を見つけた。
ミリアはパワードスーツを生み出して前衛の一翼を担えるまでになった。
ルナは遂に極大爆裂魔法を完成させた。
リシアには光の精霊を神がかりでその身に降ろすことも出来る。
セレスティアは、魔王に対抗するための特別な魔法をアベルと共に身につけようとしている。
みんなが少しずつ、「自分だからこそできること」を増やしている。
エリスは、それを嬉しく思っていた。
本当に嬉しかった。
仲間が強くなることは、自分たちの未来を勝ち取るための戦いにおいて大きな意味を持つ。
だからこそ――。
「……私には、何ができるんでしょう」
誰にも聞こえないほど小さな声で、そう呟いた。
◇
夜。
みんなが寝静まった後も、エリスは一人で訓練場に残っていた。
彼女の前には、小さな人形型の訓練用ゴーレムが置かれている。ゴーレムの腕には、訓練用の刃によって作られた傷が刻まれていた。
エリスが手をかざす。
「……《ヒール》」
淡い光が広がった。
傷口がゆっくりと塞がっていく。
裂けていた部分が繋がり、傷跡すら残らない。
「……回復は出来る。」
もう一度、今度は少し強い回復魔法を使う。
ゴーレムの内部に流されている魔力が安定し、傷が完全に消える。
「回復魔法が重要なのは理解出来ています。でも……。」
エリスは自分の手を見る。
聖女としての力を取り戻すことは出来た。大きな傷なら強力な回復魔法を使えばいい。状態異常を治すこともできる。
戦闘後の治療において、自分は決して役に立たない存在ではない。むしろ、これまで何度も仲間の命を救ってきた。それなのに……。
「……どうして、こんなに不安なんでしょう」
エリスには、その理由が分かっていた。様々な回復魔法は前から出来た事で、自身の成長を感じるような何かがないからだ。
だからこそ、エリスは考えてしまう。聖女の力を取り戻し、聖女としての地位まで……それらはアベルが居なくては決して得られなかったものだ。だからこそ、自分はアベルに何をお返しできるのだろう、と。もちろん回復魔法なら……けれど、それだけだった。
「アベル様とアベル様が大事に思っている人達が怪我をしたら治す。ただ、それだけ……」
もちろん、それだけでも十分重要な役割だ。
分かっている。
頭では分かっている。
それでも、最近はどうしても考えてしまう。
「……私は立ち止まってしまっている」
回復できるだけで十分。
命を救えるだけで十分。
そんなことは分かっている。
けれど、エリスが欲しかったのは「十分」という言葉ではなかった。
アベルと並んで戦いたかった。
アベルに守ってもらうだけではなく、自分もアベルを守りたかった。アベルが強敵と戦っているとき、後ろから傷を治すだけではなく――。
「私だけがアベル様を助けられる何かが欲しい……」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥が熱くなった。
「……贅沢ですよね」
自分でも分かっている。
聖女として十分な力を持っている。
仲間から頼られている。
それでも、もっと欲しいと思ってしまう。
それは力への欲なのか。
それとも――。
「アベル様に、必要とされたい……」
エリスは自分の頬が熱くなるのを感じた。
「……私は、何を考えているんでしょう」
そのときだった。エリスの掌に残っていた聖なる光が、ほんの一瞬だけ揺らいだ。
「……?」
エリスは眉を寄せる。
回復魔法はすでに終わっている。
なのに、掌にはまだ淡い光が残っていた。
「消えない……?」
指を動かす。
光はそれに合わせて揺れる。
エリスが魔力を流したわけではない。
むしろ、何もしていない。
「どうして……?」
エリスが訓練用ゴーレムへ手を近づける。
すると、ゴーレムに残っていた魔力の流れが、ほんの一瞬だけ鮮明に見えた。
内部を流れる魔力。
傷ついた部分。
そこへ集まっていく小さな光。
「……今のは?」
目を凝らす。
しかし、次の瞬間には何も見えなくなった。
「気のせい……?」
エリスは首を傾げる。
今まで何度も回復魔法を使ってきた。
けれど、こんな感覚は初めてだった。
傷を治したというより――。
「魔力の流れを……見た?」
自分でも意味が分からない。
けれど、もう一度試してみる。
「《ヒール》」
光がゴーレムを包む。
エリスは目を閉じる。
意識を集中させる。
すると今度は、ほんの一瞬だけ、ゴーレムの中を流れる魔力が、淡い線のように感じられた。
それは傷口だけではない。魔力がどこから流れ、どこで滞り、どこへ集まっているのか。
「……こんなところに、魔力の淀みが……」
エリスが驚く。
そこへ少しだけ聖なる魔力を流してみる。
すると、淀んでいた魔力が自然に流れ始めた。
「……」
エリスは言葉を失った。
けれど、次の瞬間にはその感覚が消えてしまう。
「分からない……」
もう一度試しても、同じようにはできなかった。
「私の魔力が、何かを感じ取った……?」
エリスはしばらく自分の掌を見つめた。
しかし、結局答えは出なかった。
そして――。
「もしかしたら……。」
再び思考が戻ってくる。
自分自身でも、それが何なのか分からない。
◇
「エリス?」
「っ!」
突然声をかけられ、エリスは飛び上がった。
振り返ると、訓練場の入り口にアベルが立っていた。
「アベル様……」
「まだ起きてたんだな」
「はい。少し考え事をしていて」
「そうか」
アベルが近づいてくる。
「何か悩んでる?」
「……」
エリスは少し迷った。
しかし、結局は正直に話すことにした。
「私、最近……自分に何ができるのか考えているんです」
「エリスは回復魔法があるだろ?」
「はい」
「それだけでも十分だと思うけど」
「……分かっています」
エリスは苦笑した。
「分かっているんです。でも、それだけでは嫌なんです」
アベルが黙って聞いている。
「クラリスさんが新しい武器を作って、フェリさんも新しい力を身につけて……みんな、自分にしかできないことを見つけています。今も成長を続けているんです」
「ああ。」
「私にも回復魔法があります。それは分かっています。でも……」
エリスは拳を胸の前で握った。
「私は、もっと何か出来るようになって、アベル様の役に立ちたいんです」
「……」
「怪我や病気を直すだけじゃなくて、もっと何かできることがあるんじゃないかって」
アベルは少し考えてから、エリスに尋ねた。
「例えば?」
「それが……分からないんです」
エリスは困ったように笑った。
「だから悩んでいます」
アベルは少しだけ笑った。
「じゃあ、探せばいいんじゃないか?」
「え?」
「今まで回復魔法しか使ってこなかったからって、これからもそうだとは限らないだろ」
「でも私は聖女ですよ?」
「だからこそ、聖女にしかできないことが他にもあるかもしれない」
エリスは目を見開いた。
「聖女にしか……」
「回復だけが聖女の力だって決まってるのか?」
「……いいえ」
エリスは少しだけ考える。
「そういえば私……自分の力について、ちゃんと考えたことがありませんでした」
「だったら、一緒に探してみよう」
「アベル様と?」
「ああ」
アベルは当たり前のように答えた。
「クラリスやフェリのときだって、みんなで考えただろ?」
エリスの胸が少しだけ温かくなる。
「……はい」
「焦らなくていい。すぐに新しい力が見つかるとは限らない」
「分かっています」
「それに――」
アベルは笑った。
「聖なる回復魔法が使えるエリスは凄く頼りにしてる」
「……」
「だから、新しい力を探すのは『今のエリスでは足りないから』じゃない」
「では……?」
「今のエリスに、まだ知らない可能性があるかもしれないからだ」
その言葉を聞いて、エリスはしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと笑った。
「……そうですね」
胸の中にあった焦りが、ほんの少しだけ軽くなる。
「私、探してみます」
「ああ」
「回復魔法以外にも、私にできることがないか」
「一緒に探そう」
「はい」
エリスはもう一度、自分の手を見た。
さっき感じた、あの奇妙な感覚。
魔力の流れが見えたような気がしたこと。
それが何なのか、まだ分からない。
けれど――もしかしたら。
もしかしたら、自分の中にはまだ知らない力が眠っているのかもしれない。
「……私も、アベル様を支えたい」
エリスは小さく呟いた。それは聖女としての使命だけではなかった。一人の少女として、好きな人の隣に立ちたいという、素直な願いだった。
「だから、もう少しだけ……頑張ってみます」
その夜、エリスはまだ答えを見つけられてはいなかった。けれど、「自分には何もない」という考えだけは、もう捨てることができた。
回復魔法の先に何があるのか。聖女という力が、まだどんな可能性を秘めているのか。そして先ほど一瞬だけ感じた、魔力の流れを見抜くような感覚が何を意味するのか。その答えは、まだエリス自身も知らない。
ただ――その小さな違和感こそが、後にエリス自身のあり方を大きく変えることになるとは、このときの彼女はまだ知る由もなかった。




