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352話 初めての挫折

 夢魔の館を襲った魔王軍との戦いが終わってから、数日が経っていた。


 壊れた窓は少しずつ修復され、荒れた庭にも新しい草花が植え直されている。夜になれば夢魔たちの笑い声が戻り、戦いの傷跡を残しながらも、館には穏やかな日常が戻りつつあった。


 そんな館の裏手にある空き地で、アベルとセレスティアは今日も究極連携魔法の練習を続けていた。


 二人の足元には、ルナが構成した巨大な魔法陣が描かれている。成功した時に周囲に大きな被害を出さないようにするためのものだ。しかし、それが必要となったことは未だない。


 セレスティアの虹色の魔力とアベルの白銀の魔力が同時に流れ込み、互いを探るように絡み合っていく。


「……今です」

「合わせるぞ」


 二人が同時に魔力を強める。


 一瞬、虹色と白銀の光が重なった。

 だが、次の瞬間には甲高い音とともに魔力が弾け、光は霧のように消えていった。


 魔法陣だけが、夕暮れの空の下に残される。


「……また、ですね」


 セレスティアが小さく息を吐いた。


「でも、今のは前より良かった」


 アベルは魔法陣を眺めながら、あっさりと言う。


「一瞬だけだが、完全に重なっただろ」

「……はい」


 セレスティアも、それは分かっていた。

 最初の頃よりは確実に近づいている。

 それでも、最後の一歩だけが、どうしても届かなかった。


     ◇


 それから数日。

 二人は何度も試した。


 魔力を流す速度を変え、詠唱の呼吸を合わせ、立ち位置や出力まで細かく調整する。アベルが先に魔力を流す方法も、セレスティアが術式を組み上げてからアベルが勇者の力を重ねる方法も試した。


 それでも、結果は同じだった。


 あと少し。

 そこまで行って、崩れる。


 ある日の夕方、セレスティアは一人で館の裏手にある丘へ足を運んだ。


 夕陽に染まった森を眺めながら、彼女は静かに腰を下ろす。


「……どうして、できないのでしょう」


 これまでの人生で、ここまで自分の力不足を思い知らされたことがあっただろうか。


 剣術も、魔法も、王族としての教育も、外交も礼儀作法も、最初から完璧だったわけではない。それでも、努力すれば少しずつ形になった。失敗すれば原因を探し、学び直し、次はできるようになった。


 だからいつしか、彼女の中には一つの確信があった。努力すれば、いつかはできる。


 けれど、この魔法だけは違う。

 何度試しても届かない。


「こんな自分が……魔王と戦う資格があるのでしょうか」


 その言葉を口にした瞬間、胸の奥が締め付けられた。究極連携魔法は、魔王との決戦において重要な切り札になる。


 もし本番で失敗すれば。

 アベルの命が危険に晒される。


「……嫌です」


 セレスティアは両手を強く握った。


「そんな未来だけは……。」

「ティア」


 背後から声がした。

 振り返ると、アベルが立っている。


「ここにいたのか」

「はい」


 アベルは隣へ腰を下ろした。


「究極連携魔法のことか?」


 セレスティアは少し迷ってから頷いた。


「……はい」

「気にするな。まだ練習中なんだから、そのうちできるようになる」


 その言葉に、セレスティアは苦笑する。


「アベル様は、本当に前向きですね」

「そうか?」

「はい。私は今まで、こんなふうに努力しても届かないものに出会ったことがありません」


 セレスティアは夕陽を見つめた。


「できないなら学べばいい。失敗したなら、もう一度やればいい。私はずっと、そうやってきました」

「でも今回は、それだけでは足りないんです」


 声が少し震える。


「自分だけではどうにもならない壁がある。それが……怖いんです」


 アベルはしばらく黙っていた。


「なら、一人で越えなくていいだろ」

「……え?」

「二人の魔法なんだから」


 セレスティアが顔を上げる。


「私だけに拘る必要はありません」


 セレスティアは意を決して言った。


「他の……例えば、アンジェリカ殿下やクラリスと試してみてはいかがでしょう。特に殿下は魔力も戦闘能力も高いですし…私より向いている可能性もあります」


 言い終えると、セレスティアは視線を落とした。

 本当は、そんな提案をしたくなかった。

 アベルと組みたい。

 アベルの隣にいたい。

 けれど、自分が足を引っ張っているのなら、より優れた相手に任せるべきなのではないか。

 そう考えてしまう。

 アベルはしばらく黙っていた。


「……ティアがいい」

「え?」

「俺は、ティアとこの魔法を成功させたい」


 あまりにも迷いのない答えだった。


「でも、私は……自信がありません」

「……」

「だから――」

「だから練習するんだろ」


 アベルは静かに笑った。


「俺はティアがいいんだ。他の誰かとかじゃなく。」


 その言葉に、セレスティアの瞳が揺れた。


「……どうして、そんなに私を信じられるのですか?」

「今まで色々あったからな」


 アベルは少しだけ目を伏せる。


「それでも、今のティアを信じてる。いや、信じたいんだ」


 セレスティアは俯いた。

 胸の奥にあった苦しさが、少しずつほどけていく。


 できない。

 失敗する。

 それは変わらない。

 それでも、この人は自分を選んでくれた。


「……ずるいです」

「何が?」

「そんなことを言われたら、諦められません」


 アベルは少し笑った。


「じゃあ、諦めるのは禁止だ」

「……はい」


 セレスティアも、ようやく笑った。


     ◇


 二人は丘を下り、訓練場へ戻った。

 夕暮れの空には、一番星が浮かんでいる。

 夢魔の館からは夕食を知らせる声が聞こえていた。

 それでも二人は魔法陣の中央へ立つ。

 セレスティアは深く息を吸った。

 虹色の魔力が身体を包む。

 向かいに立つアベルから、白銀の光が静かに溢れ出す。


「いきましょう」

「ああ」


 二つの光が、ゆっくりと近づいていく。

 今度も成功するとは限らない。

 また失敗するかもしれない。

 それでも、セレスティアはもう結果だけを恐れてはいなかった。できない自分を否定するのではなく、アベルと一緒にできるようになればいい。


 そう思えたからだ。

 虹色と白銀の光が重なる。

 今度は、いつもより長く消えなかった。


「……!」


 セレスティアが目を見開く。

 完全な成功には届かない。

 それでも、確かな前進だった。


「今の……。」

「ああ。前よりずっと良かった」


 セレスティアは微笑む。


「では、もう一度です」

「もちろん」


 夢魔の館の夜空の下。

 二人は再び魔法陣へ向き合った。

 初めて知った挫折は、まだ胸の奥に残っている。


 けれど、それを抱えたままでも、前へ進める。

 セレスティアはそのことを、今日初めて知った。

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