閑話79話 アンジェリカの鍛錬*
夢魔の館。
昼食後、彼女は簡素な訓練着に身を包み、腰には愛用の剣を佩いていた。帝国の皇女でありながら、毎日の鍛錬を欠かしたことはない。
「……ふっ!」
鋭い踏み込みとともに剣が振り抜かれる。
一閃。
さらに返す刀。
身体を回転させながら斜め上へ切り上げ、そこから一歩踏み込んで突きを放つ。
いずれも無駄がない。
以前よりも明らかに動きが洗練されていた。
「……ここまでにしましょう」
アンジェリカが剣を下ろす。
息は少し上がっているものの、疲労の色は薄い。
「相変わらず真面目だな」
「アベル様?」
振り返ると、そこにはアベルが立っていた。
「どうして、こちらに?」
「ああ、ソラムに呼ばれたんだが……。」
「.....うちの侍女が……」
アンジェリカは何となく察した。
「では、少しお付き合い頂けますか?」
「鍛錬は終わったんじゃないのか?」
「あとは柔軟体操だけですが……。いつもならソラムかソレムに手伝ってもらうのですが、近くに見当たらないので……」
アンジェリカがアベルに手を伸ばす。
「お願いします!」
アベルはアンジェリカに促されるがままに、彼女の背中を押した。そこでアンジェリカは自分の身体が汗まみれであったことに気がつく。
「あっ……済みません。汗が手について……」
「気にしないでいいぞ。ほら、頑張れ」
アベルはグイグイ背中を押してくる。アンジェリカの顔はどんどん赤くなっていった。
「も、もう大丈夫です。ありがとうございます。」
「そうか?」
それでやっと背中のプレッシャーから解放されたアンジェリカ。
すると、少し離れたところから声が聞こえてきた。
「お疲れ様です、姫様」
「お飲み物をお持ちしました」
ソラムとソレムが飲み物を持って立っていた。
「二人とも、いつから見ていたの?」
「最初からです」
「姫様がアベル様と二人で仲睦まじいところを見逃すわけにはいきませんので」
「……なぜ?」
アンジェリカが怪訝そうな顔をする。
双子は顔を見合わせた。
「将来の旦那様との貴重なお時間ですから」
「夫婦の共同作業の練習ですね」
「「………。」」
アンジェリカは俯いて恥ずかしそうにしている。アベルは思わず笑ってしまった。
「でも、アンジェと一緒にいる時間は楽しいよ。」
「本当ですか?」
「ああ。なんか落ち着くっていうか……。」
その言葉を聞いたアンジェリカは嬉しそうに微笑んだ。その隣で、ソラムとソレムが小声で囁き合った。
「……これは、もう夫婦と言っても過言でないのでは?」
「……なんでしょう。この敗北感。でも、姫様は嬉しそうです」
ソラムとソレムが苦虫を噛んだような表情をしているのを見て、アベルは一矢報いた気になった。
アンジェリカの頬が僅かに赤くなる。
「二人とも聞こえていますよ」
その後も、4人の取り留めのない会話は続いた。
そしてアベルは、そんな三人を眺めながら思った。
魔王城での決戦が近づいている。
だからこそ、こういう何気ない時間を大切にしたい。アンジェリカが毎日続けている鍛錬も、その一つなのだろう。
明日もきっと、彼女は剣を振るう。
そしてその隣には――。
「アベル様」
「ん?」
「明日は最初から鍛錬に付き合っていただけますか?」
アンジェリカが少しだけ遠慮がちに尋ねる。
「ああ。もちろん」
「……ありがとうございます」
その笑顔を見て、アベルも笑った。
そんな小さな約束が、決戦を前にしたアベルにとって、思いのほか大切なものになっていた。




