閑話77話 夢魔の少女*
夢魔の館。
夢魔たちはそこで眠り、食事をし、時には互いの夢を覗きながら気ままに暮らしている。
そして夢魔にとって、眠りとは単なる休息ではない。誰かの夢に入り込み、夢の中で言葉を交わし、相手の感情を感じ取ることもまた、彼女たちにとっては日常の一部だった。
そんな夢魔の館で、一人の夢魔の少女が最近、周囲から何度もからかわれていた。
「またアベル様を探してるの?」
「……探してない」
「じゃあ、その格好でどうして玄関にいるの?」
「散歩」
「館の廊下を?」
「……散歩」
少女はそっぽを向いた。
黒紫色の髪に、短く黒い尻尾。
背中にはサキュバス特有の小さな翼がある。
まだ幼さの残る顔立ちをした彼女も、この館で暮らしている夢魔の一人だった。
「昨日もアベル様の訓練を見に行ってたじゃない」
「偶然」
「一昨日も?」
「偶然」
「その前の日も?」
「……偶然」
「三日連続で?」
「……偶然!」
夢魔たちが笑う。
少女は頬を膨らませた。
「もう!」
「そんなにアベル様が好きなら、素直に言えばいいのに」
「……好き」
「え?」
「アベル様、好き」
少女はあっさりと言った。
「……」
「……」
今度は夢魔たちの方が黙る。
「そこは照れるところじゃないの?」
「だって好きだから」
少女は不思議そうに首を傾げた。
「アベル様は、私たちをいやらしい目で見ないし……。」
「まあね」
「話もちゃんと聞いてくれるし。」
「そうね」
「美味しい精気をくれるし。」
「うん」
「それに……」
少女は少しだけ頬を赤くする。
「頭を撫でてくれた」
「ああ、それはもう駄目ね。完全におちてるじゃない。」
「そんなことない……」
「犬みたい」
「犬じゃない!」
少女は翼をぱたぱたさせた。
「私はサキュバス!」
「はいはい」
夢魔たちは笑った。
「でも、夢魔ならもっと夢魔らしいことをすればいいじゃない」
「夢魔らしいこと?」
「夜にアベル様の夢へ会いに行くとか」
「……!」
少女の翼がぴくっと動いた。
「それは……」
「嫌なの?」
「嫌じゃない」
「じゃあ、やってみれば?」
「……もうやった」
「え?」
夢魔たちが一斉に少女を見る。
「いつ?」
「昨日の夜」
「どうだったの?」
少女は少し恥ずかしそうに俯いた。
「アベル様、夢の中でも私を見つけたら、普通に話しかけてくれた」
「それだけ?」
「うん。頭も撫でてくれた。」
「何かしてあげたの?」
「一緒に歩いた」
「……」
「夢の中でも、私が隣にいると嬉しそうにしてくれた」
少女は幸せそうに笑った。
「だから、また行きたい」
「完全に恋する夢魔じゃない」
「だって……楽しいんだもん」
◇
その日の午後。
アベル達は魔王討伐について話し合う会議をしていた。
「アベル様!」
少女が飛び出してきた。
「うわっ」
勢いよく駆け寄ってきた少女を、アベルは慌てて受け止める。
「危ないぞ」
「すみません!」
「元気だな」
「はい!」
少女は嬉しそうに笑う。
「今はなにをしているんですか?」
「みんなと少し話があってな」
「そうですか」
少女は一瞬だけ残念そうな顔をした。
「……終わったら、またお話してくれます?」
「話が終わったらな」
「じゃあ、待ってます」
少女がアベルを見る。
アベルは少し考えてから言った。
「結構、時間が掛かると思うぞ……」
「待ってます。」
即答だった。
アベルは少し笑う。
「分かった。じゃあ、頑張って早く終わらせるよ。」
「はい!」
少女は満足そうに頷いた。
そして、名残惜しそうにアベルから離れていく。
最終的にメルに連れられて会議室から出て行った。
◇
しばらくして、話を終えたアベルが館のリビングに戻ると、少女は椅子に座って待っていた。
膝を抱えて、少し眠そうにしている。
「待ってたのか?」
「……はい」
「眠かったなら寝ててよかったのに」
「アベル様と話したかったから」
「そうか」
アベルは少女の隣に座る。
「何を話そうか」
「……今晩の夢の話」
「夢?」
「はい。どんな夢が見たいですか?」
「そうだなぁ。皆が平和に楽しく暮らしている夢がいいかなぁ。」
「そこには私もいますか?」
「もちろんだ。夢魔の皆も、メアもティア達も……そして……マユミも。」
少女は少し苦しそうな表情をしたアベルが気になった。
「アベル様、大丈夫?」
「ああ。大丈夫だ。」
少女はしばらく黙っていた。
「……アベル様」
「ん?」
「じゃあ、今夜も夢の中で会いに行っていいですか?」
アベルは少し驚いた。
「じゃあ、昨日の夢に出てきたのって…。」
「はい……。嫌でしたか?」
「いや、嫌じゃないけど……」
「じゃあ、行きます」
「決めるの早いな」
少女はくすっと笑った。
「夢魔ですから」
「なるほど」
「アベル様の夢の中なら、誰にも邪魔されませんから」
少女はそう言って、少しだけいたずらっぽく笑った。
「そこでいっぱいお話しできます」
「それなら、夢の中でもよろしくな」
「はい!」
少女は嬉しそうに頷いた。
その様子を少し離れた場所から見ていたメルが、別の夢魔に小声で話しかける。
「完全に懐いてるわね」
「ええ」
「でも、ちゃんと夢魔らしくなってきたわ」
「夢に会いに行くようになったものね」
「そのうちアベル様が眠る時間を把握し始めるんじゃない?」
「もう把握してると思う」
「……早いわね」
二人は顔を見合わせて笑った。
◇
その夜。
アベルは自室で眠りについていた。
すると、いつの間にか周囲の景色が変わる。
夢魔の館ではない。
穏やかな草原だった。
「こんばんは、アベル様」
振り返ると、少女が立っていた。
「来たのか」
「はい」
少女は嬉しそうに笑う。
「今日は、私が夢を作ったんです」
「そうなのか?」
「はい」
少女が手を広げる。
草原の向こうに湖が現れ、青い空には白い雲が浮かぶ。
「どうですか?」
「綺麗だな」
「本当?」
「ああ」
少女は満足そうに頷いた。
「ここなら戦いのことも忘れられます」
「そうだな」
「少しだけ、ここにいてください」
「もちろん」
二人は並んで草原を歩いた。
少女は夢魔だからこそ作れる景色の中で、楽しそうにアベルへ話しかける。
今日あったこと。
館での出来事。
メルのこと。
メアのこと。
そして、何でもないような小さな話。
アベルも笑いながら聞いていた。
やがて少女は立ち止まる。
「アベル様」
「ん?」
「夢魔にとって、誰かの夢に入るって、とても特別なことなんです」
「そうなのか?」
「はい。相手の心に近づくことだから」
少女は少しだけ照れたように笑った。
「だから……私、アベル様の夢に入れるのが嬉しいです」
「そうか」
「現実でも一緒にいられるけど、夢の中ならもっと近くにいられるから」
「それも夢魔の特権だな」
「はい」
少女は嬉しそうに翼を揺らした。
「だから、これからも時々会いに来ます」
「ああ。待ってるよ」
「約束です」
「約束だ」
少女は満足そうに笑った。
やがて夢がゆっくりと薄れていく。
「おやすみなさい、アベル様」
「おやすみ。また夢でな」
「はい。また夢で」
夢が消える。
そして翌朝。
目を覚ましたアベルは、枕元に小さな紫色の花が置かれていることに気づいた。
「……これ、いつの間に?」
夢の中で少女が咲かせていた花と同じものだった。
その頃、夢魔の館では。
「……成功した!」
少女が自分の枕元で嬉しそうに笑っていた。
夢魔にとって、夢はただの幻ではない。
誰かと心を繋ぐ場所であり、想いを届ける場所でもある。そして少女にとって、アベルの夢へ会いに行くことは、いつしか一番楽しみな夜の習慣になっていた。
夢魔の館。
そこには、ヒト族の勇者にすっかり懐き、夜になると彼の夢の中へ会いに行く、一人の夢魔の少女がいた。




