閑話07話 クラリスとのピクニック?
昼休み。
約束どおり、アベルは一枚の紙をクラリスへ手渡した。
「これが命の雫草の採取場所です」
クラリスは無言で紙を受け取り、その内容へ視線を落とす。
数秒後。
「……は?」
思わず素の声が漏れた。
そこに書かれていたのは王都近郊では誰もが知る危険地帯――王都北方に存在する高難度迷宮《深淵迷宮グラディス》。
しかも、その下には…
『第三層西回廊の崩れた石像から右へ七歩。
壁のひびを押すと隠し通路』
と詳細な道順まで書かれていた。
(……何を考えているの?)
クラリスの眉がぴくりと動く。
深淵迷宮グラディス。
王都の熟練冒険者でさえ迂闊には近寄らない危険な迷宮。そこへ行けというだけでも非常識なのに、隠し通路などという話は聞いたこともない。
(そんな場所に薬草の群生地があるわけがない)
商会を率いる者として、数え切れないほどの情報を扱ってきた。だからこそ断言できる。
これは嘘だ、と。
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放課後。
クラリスはアベルを呼び止めた。
「少しいいかしら。」
「はい?」
彼女はメモを差し出す。
「この内容、本当なの?」
「はい。」
「……私には信じられないわ。」
真っ直ぐアベルを見つめる。
「だったら一度、私を案内してちょうだい。」
「案内、ですか?」
「ええ。」
クラリスは腕を組んだ。
「あなたが嘘をついていないなら証明できるでしょう?」
アベルは少し考える。
(一人くらい護衛するだけなら問題ないかな。)
もともと隠すつもりもなかった。それに、自分が採取している場所を実際に見てもらった方が早い。
「分かりました。」
あっさり頷く。
「今日行きますか?」
「え?」
あまりにも軽い返事に、逆にクラリスが戸惑う。
「ええ……お願いするわ。」
◇
夕暮れ前。
二人は深淵迷宮グラディスへ到着した。巨大な石門を見上げながらクラリスは小さく息を呑む。
(本当に来た……。)
王都でも悪名高い危険迷宮。新人冒険者が近づく場所ではない。
「行きましょう。」
アベルは普段の散歩でも始めるような気軽さで歩き出す。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
慌てて後を追う。
迷宮へ入る。
第一層。
静まり返った通路。
意外にも魔物の姿は見えない。
(……本当に高難度迷宮?)
噂ほど危険には思えなかった。
そう考えた矢先だった。
ズシン。
重い地響き。
通路の奥から巨大な黒い熊の魔物が姿を現す。
「っ!」
クラリスの顔色が一瞬で青ざめた。
「グランドベア……!」
Cランク冒険者なら数人掛かりでも危険。普通なら逃げる相手だ。
「危ない!」
叫ぶ。
しかし…
「そうですね。」
アベルは短剣を抜き、
シュッ。
一閃。
巨大な熊は何が起きたか理解する間もなく真っ二つになった。
「……え?」
クラリスは固まる。
その後も、
オーガ
ジャイアントキャタピラー
デススパイダー
迷宮の奥へ進むほど現れる魔物は危険になっていく。
だが…
「邪魔ですね。」
「失礼します。」
「はい、終わりました。」
アベルは歩く速度すら変えない。次々と瞬殺。
まるで雑草でも刈るような気軽さだった。
(な、何なのこの人……。)
クラリスは震える足を必死に動かす。
一方のアベル。
「今日は天気もいいですね。」
「迷宮の中に天気なんてないでしょう!」
「そうでした。」
どこか楽しそうである。
(この人だけ遠足気分じゃない!)
クラリスは半ば泣きそうになっていた。
◇
「着きました。」
隠し通路を抜けた先でクラリスは息を呑んだ。
「……あ……。」
広大な空洞一面に、淡い青白い光を放つ薬草が無数に揺れている。
命の雫草。
一本でも高値で取引される希少薬草。
それが、見渡す限り一面に群生していた。
「すごい……。」
商人として数多くの珍品を見てきたクラリスでさえ、言葉を失う。
「こんな場所が……本当に存在したなんて……。」
「採っていいですよ。」
「え、ええ!」
クラリスは夢中になって採取を始めた。
葉の状態。
根の太さ。
どれも最高品質。
(これだけあれば……治療院だけじゃない……。)
王都中の薬師が飛びつく。いや、王国中でも十分通用する量だ。興奮しながら採取を続けるクラリスを見て、アベルは少し嬉しそうに笑った。
「見つけた時、僕も驚きました。」
「当然よ!」
クラリスは思わず叫ぶ。
「こんな群生地、歴史的発見じゃない!」
◇
帰り道。
迷宮を抜け、王都へ戻る頃にはすっかり夕暮れになっていた。クラリスは何度か口を開き、閉じる。
そして。
「……その。」
「はい?」
「あなたって……一体何のために迷宮に潜ってるの?」
「魔王を倒すため。そして世界を平和にする…ため?」
「なんで、最後疑問系なのよ…」
その返事に、クラリスは少しだけ肩の力を抜いた。
「少しでいいから……今後も命の雫草を納品してくれないかしら。」
アベルは少し考え、静かに頷いた。
「わかりました。」
「ですが、また暫く別の迷宮に行くことになるので暫くは無理かと。」
「……そう。」
クラリスは残念そうに溜息をつく。
彼女はアベルが治療院へ薬草を届け続けていたのは本当に片手間だったのだと理解した。苦しんでいる患者のために命懸けで薬草を採取するとかではなくて、偶々あったから持って来ただけなのだと。
あまりもの力の差。自分には一生届かない力を持ちながら、ノブレス・オブリージュ(Noblesse oblige)を実行しないアベルをクラリスは傲慢だと感じていた。レオニス殿下ならきっとそうはしないだろうという期待もあって、クラリスの胸には、言葉にできないやりきれなさだけが残った。
しかし、アベルは迷宮に潜らされてばかりで知らないだけで、誰かが困っていると知れば、ちゃんと自らの意思で必要な薬草を採取してくるぐらいの甲斐性はある。その点においてクラリスの感じた価値感の違いはただの誤解だった。しかし、そのことにクラリスが気がつくのは大分先のことである。
なお、後日、高位冒険者にしかたどり着くことすら難しい群生地にクラリスが採取に行ったと知ったミリアが、どうして自分を誘わなかったのかと腹を立てたのは別の話。




