閑話73話 ミリアの恋愛作戦
夢魔の館。
ミリアは、あてがわれた部屋の机に向かって腕を組んでいた。
机の上には、魔力回路の設計図や魔道具の部品が広がっている。いつもなら、それらを眺めているだけで次々と改良案が浮かんでくるのだが、今日ばかりはどうにも集中できなかった。
「……うーん」
唸りながら、ミリアは頬杖をつく。
原因は分かっている……アベルだ。
最近、彼のことを考える時間が増えすぎているのである。
以前のミリアなら、魔道具の研究こそが何よりも大切だった。新しい仕組みを思いつけば試さずにはいられず、失敗すれば悔しがりながらも、次の実験に夢中になった。そんな自分が、いつの間にか研究の合間にアベルの顔を思い浮かべ、彼が今どこで何をしているのか気にするようになっていた。
きっかけは、あの小型飛空艇の実験だった。
自分の技術と工夫を詰め込んだ飛空艇が、燃料切れによって墜落しかけた時、アベルは迷うことなく飛行魔法で助けてくれた。そこで思わず……キスをしてしまった。
思い出すだけで赤面してしまう。なんて大胆な事をしてしまったのだろうと。
その後も彼はミリアの失敗を責めるどころか、完成した飛空艇を心から褒め、次に改良するならどこがよいかまで一緒に考えてくれたのだ。
あの時の嬉しさは、今でも忘れられない。
自分の魔導具を認めてくれる人は、これまでもいた。けれど、失敗した時の自分まで含めて受け止め、もう一度挑戦する気持ちを引き出してくれる人は、アベルが初めてだった。
だからこそ、彼のことが気になる。
もっと話したい。もっと自分の発明を見てもらいたい。そして、できることなら、自分自身のことも特別に見てもらいたい。
「……って、これじゃ駄目じゃない!」
ミリアは机を軽く叩いた。
これまでだって、アベルと一緒にいる機会は何度もあった。発明の相談をすれば親身になってくれるし、実験に付き合ってもくれる。二人で過ごす時間が嫌いなはずもない。
しかし、それはあくまで魔導具の製作者と協力者としての関係だ。
アベルは優しい。頼まれれば誰にでも手を貸すし、相手が困っていれば放っておけない。そんな彼の態度を、自分だけに向けられた特別なものだと思い込むわけにはいかなかった。
それに、彼の周りには魅力的な女の子が多すぎる。
クラリスは商才に優れ、ミリアには思いつかないような角度から物事を考えられる。リシアは素直で一生懸命だし、フェリは自然体でアベルに甘えるのが上手い。エリスは優しく、ルナは頭が切れる。セレスティアに至っては、アベルのためなら自分の身さえ顧みないほどだ。そこに最近では皇女アンジェリカとその侍女たちまで加わっている。
そんな彼女たちと一緒にいるアベルを見ていると、ミリアは自分が少し出遅れているような気分になってしまう。
「……待ってるだけじゃ、何も変わらないわよね」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
魔導具なら、問題点を見つけたら改善する。性能が足りなければ工夫し、失敗したら原因を調べてやり直す。それなのに、恋愛となると、どうしてこうも身動きが取れなくなるのだろう。
相手の気持ちが分からないから?
断られたら気まずいから?
それとも、今の関係が壊れるのが怖いから?
どれも正解のような気がしたが、だからといって何もしない理由にはならない。
「よし!」
ミリアは勢いよく立ち上がり、机の上にあった紙を一枚引き寄せた。
そして、そこに大きく書き込む。
『アベルにもっと積極的にアプローチする!』
書いてしまえば、少しだけ覚悟が決まった気がした。
続いて、具体的な行動を考える。
まずは、二人きりで過ごす時間を増やすこと。新しい魔導具の相談を口実にするだけでなく、特に用事がなくても一緒に過ごせるようになりたい。
次に、自分から褒めること。アベルは人の努力や成果をよく見ているくせに、自分が褒められると驚くほど無頓着なところがある。だから、彼のよいところを見つけたら、遠慮せずに伝える。
そして、最後に。
「……ちゃんと、女の子として意識してもらう」
口に出した途端、顔が熱くなった。
今までアベルの前では、発明家としての自分を見せることが多かった。新しい魔道具ができれば見せに行き、分からないことがあれば質問し、実験で失敗すれば一緒に原因を考えてもらう。
それはそれで大切な関係だ。
けれど、アベルに好きになってもらいたいのなら、それだけでは足りないのかもしれない。
「……よし。明日から頑張ろう」
ミリアは決意を胸に、紙を大切に畳んだ。
ただし、翌朝になっても、その決意がどれほど難しいものなのか、彼女はまだ十分に理解していなかった。
◇
翌日の昼。
ミリアは食堂でアベルを見つけると、いつもより少しだけ胸を張って彼のもとへ向かった。
「アベル様、隣いいですか?」
「もちろん。どうした、何か相談か?」
「ううん、今日は特に用事はないけど」
「そうなのか?」
アベルは不思議そうに首を傾げたが、すぐに笑顔で席を空けてくれた。
「じゃあ、ゆっくり話そうか」
その何気ない一言だけで、ミリアの心臓が跳ねる。
違う。今日はいつものように魔導具の話をするために来たわけではないのだ。まずは雑談。そう、自然な雑談から始めるのである。
「ええと……アベル様って、普段は何をしている時が一番楽しいの?」
「ん? そうだなあ……」
アベルは少し考えてから答えた。
「みんなと一緒にいる時かな」
「み、みんな?」
「うん。誰かが新しいことを始めたり、できなかったことができるようになったりするのを見るのは楽しいよ。ミリアの飛空艇だってそうだし、ルナたちの研究もそうだな」
期待していた答えとは少し違ったが、ミリアは彼らしい返事だと思った。
「じゃあ、私と一緒にいる時も楽しい?」
言ってから、ミリアは自分の口を押さえそうになった。……早い。いきなり踏み込みすぎたのではないだろうか。しかし、アベルは特に警戒する様子もなく、いつもの調子で答えた。
「もちろん。ミリアと話していると、面白い発想がどんどん出てくるからな。俺じゃ思いつかないことも多いし、話していて楽しいよ」
「そ、そう……」
嬉しい。
嬉しいのだが、どうにも釈然としない。今の返事では、魔導具の製作者として評価されているだけではないか。とはいえ、ここで不満を口にするのも違う気がする。
「……ありがとう」
結局、ミリアはそれだけ言って、昼食を食べることにした。最初の挑戦は、少なくとも失敗ではない。
そう自分に言い聞かせながら。
◇
午後、ミリアは次の作戦に取りかかった。
今度は、アベルのよいところを褒めるのである。
ちょうどアベルが新しく開発しているパワードスーツ型魔導具の制作を手伝ってくれることになったので、絶好の機会だった。
「この部品、こっちの向きで合ってるか?」
「ええ、それで大丈夫です」
アベルが部品を取り付ける。その手際は相変わらずよく、ミリアが説明する前に必要な工具まで手渡してくれた。
こういうところだ。
彼は特別な力を持っているだけではない。周囲をよく見ていて、相手が何を必要としているのかを自然に察することができる。
「……アベル様って、気が利きますよね」
「そうか?」
「ええ。私が何を必要としているのか、すぐに分かるし。そういうところ、すごく素敵だと思います」
言えた。
ちゃんと、素敵だと言えた。
ミリアは内心で小さく拳を握った。
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいな」
アベルは照れくさそうに笑った。その表情を見た途端、ミリアはもっと褒めたくなってしまった。
「それに、誰かが失敗しても頭ごなしに責めないところも好きよ。私が飛空艇を墜落させかけた時だって、あなたは……」
そこまで言って、ミリアは固まった。
好き。
今、自分は好きと言わなかっただろうか。
いや、言った。確かに言った。
しかし、話の流れとしては、人柄を好きだと言っただけとも受け取れる。むしろ、そう受け取るのが自然だろう。アベルも特に気にした様子はなく、懐かしそうに笑った。
「あの時は驚いたな。でも、あの飛空艇は本当に面白かったよ。ミリアがどれだけ工夫していたのか、見れば分かったからな」
「……そう」
またしても、魔導具の話に戻ってしまった。
もちろん、自分の発明を褒められるのは嬉しい。けれど、今日の目的はそこではないのである。
ミリアは心の中で頭を抱えた。
どうやらアベルに女性として意識してもらうには、もっと分かりやすい行動が必要らしい。
しかし、分かりやすい行動とは何だろう。
手を握る?
腕を組む?
それとも、二人きりで出かけたいと誘う?
考えれば考えるほど、顔が熱くなってくる。
「ミリア?」
「ひゃっ! な、何?」
「いや、急に黙ったから。疲れたなら、残りは俺がやっておこうか?」
「だ、大丈夫! むしろ、まだまだ頑張れるわ!」
勢いよく答えたミリアに、アベルは少し驚きながらも笑った。
「そっか。それならよかった」
その笑顔がまた、ミリアの胸を高鳴らせる。
駄目だ。このままでは、いつまで経っても自分の気持ちを伝えられない。
魔導具なら、完成形が見えなくても試作を繰り返すではないか。恋愛だって同じはずだ。最初から完璧に振る舞おうとする必要はない。
少しずつでいい。
昨日より一歩、今日よりもう一歩。
そうやって距離を縮めていけばいいのだ。
ミリアは改めて、心の中で決意した。
◇
夕方、作業が終わった頃には、ミリアはすっかり疲れ果てていた。
魔道具の制作そのものは順調だった。問題は、その合間にアベルへ積極的に話しかけようとするたび、妙に緊張してしまったことである。
結局、彼の手を握ることも、二人きりで出かけたいと誘うこともできなかった。
それでも、何もしなかった昨日とは違う。隣に座り、彼の好きなことを尋ね、よいところを褒めた。少なくとも、少しは前へ進めたはずだ。
「ミリア、今日はありがとう。助かったよ」
帰り際、アベルがそう言ってくれた。
「ううん。私も楽しかったわ」
「また何かあったら頼んでいいか?」
「もちろん!」
即答したミリアは、すぐに言葉を付け足した。
「……でも、用事がなくても、一緒に過ごしたい時は誘ってもいい?」
言えた。今度こそ、魔導具の話に逃げずに言えた。
アベルは一瞬だけ目を丸くしたものの、すぐに柔らかな笑顔を浮かべた。
「もちろん。俺もミリアと一緒に過ごすのは楽しいからな」
その言葉を聞いた瞬間、ミリアの胸の奥に温かなものが広がった。
まだ、恋が叶ったわけではない。
アベルが自分を恋愛対象として見てくれているのかも、分からない。
それでも、これからは今までより積極的に彼へ近づいていこう。魔導具の相談だけでなく、何気ない話をしたり、一緒に食事をしたり、時には自分から甘えてみたりしてもいいはずだ。
「……よし」
アベルと別れた後、ミリアは小さく頷いた。
恋愛に関しては、まだまだ初心者だ。魔道具のように設計図を書けば完成するわけでも、失敗の原因を調べれば正解が分かるわけでもない。
けれど、だからこそ挑戦する価値がある。
自分の気持ちを、きちんとアベルに届けたい。
そしていつか、彼の隣にいることが当たり前になるくらい、特別な存在になりたい。
「待ってなさいよ、アベル……!」
決意を込めて呟いたミリアだったが、ふと周囲に誰もいないことを確認すると、頬を赤く染めて顔を覆った。
「……うう、本人の前だと、全然格好よく決められないんだから」
それでも、明日も頑張ろうと思えた。
新しい魔道具の開発に挑む時と同じように、何度失敗しても諦めずに。
今度の目標は、アベルの心を振り向かせること。
ミリアの、新しい挑戦が始まった。




