337話 夢魔の館*
飛空艇は帝都を離れ、一路、夢魔の館へ向かっていた。
目的地は地図にもほとんど記されていない、深い森の奥にある場所だった。鬱蒼とした木々を抜けると、やがて視界が大きく開ける。そこには緩やかな丘があり、その頂上に一軒の古い洋館が建っていた。
石造りの外壁には長い年月を感じさせる蔦が絡み、尖塔の先端には小さな魔石灯が灯っている。決して新しい建物ではない。それでも荒れ果てているわけではなく、誰かが今もこの場所を大切に守っていることが伝わってきた。
「……あれが、夢魔の館か」
アベルが窓から外を眺める。
その頃には、すでに館の前へ複数の夢魔たちが集まっていた。武器を手にしている者もいるが、こちらへ向けられる視線に敵意はない。むしろ誰もが、飛空艇から降りてくる人物を待ち続けているようだった。
飛空艇が丘の近くへ着陸すると、アベルは最初に地面へ降り、そのまま腕の中のメアを抱き直した。
その姿を見た瞬間、館の前にいた夢魔たちの間に大きなどよめきが広がる。
「……メア?……帰ってきたの?」
その声を聞きながら、アベルは一人の女性へ視線を向けた。
他の夢魔たちとは明らかに違う、強い魔力を纏った女性だった。幼い見た目ながら長い髪を背中へ流し、落ち着いた表情をしている。その立ち姿だけで、この場所における彼女の立場が分かる。館の主人。そして、夢魔たちを束ねる族長だった。
その女性はゆっくりとアベルへ近づくと、その腕の中で眠っているメアを見つめた。
「……メア……メアっ!!!」
長い年月を経て、ようやく口にした娘の名前だった。彼女は震える手を伸ばし、涙を流しながら眠るメアの頬へそっと触れる。
「いつの間にか、こんなに大きくなったのね……」
その声には、喜びと悲しみが入り混じっていた。しかし、メアは目を閉じ、意識を閉ざしたままだ。
そして、館の主人の女性、夢魔の族長は、気を取り直して、ようやくアベルの方を向く。
「……貴方が勇者アベル様ね。ファティマ教皇猊下から連絡は頂いているわ。まずは、中に入って。」
◇
「改めまして、お初にお目にかかります。この娼館"夢魔の館"の主人で夢魔族の族長をしておりますメルです。もう、おわかりと思いますがメアの母親です。後ろにいるのは私の娘と孫達です。」
メルという美女の後ろには様々な年齢で異なる容姿の美女・美少女が並んでいた。夢魔族は女性だけしかいない種族で、産まれる子供は全員、夢魔族の女性になるのだが、容姿は父親となった者の種族や容姿の影響を受けるらしい。
そこから互いの自己紹介を行ったあと、メアの話になった。
まだ物心がつき始めたばかりの頃、姉のメイが自らの意思で館を出て魔王のもとへ降った。その際、メイは幼い妹だったメアを勝手に一緒に連れていったのだという。そして、それ以来、メアがこの館へ戻ることはなかったそうだ。
だから、この場所も目の前にいる母親メルの顔も、メアにとっては、記憶の奥にぼんやりと残っている程度のものだと思うとのこと。
意識のないはずのメアの唇がわずかに動く。それを身て女性の表情が固まった。そして、震える声で訴える。
「メア!聞こえる?あなたのお母さんよ!」
メアは薄く目を開いた。ぼやけた視界の中にいる女性を見つめるが、やはりはっきりとは思い出せない。それでも胸の奥には、不思議な温かさだけが残っていた。
「……知ってる、ような気がする。でも……よく分からない」
「それでいいのよ」
女性は涙を堪えるように微笑んだ。
「思い出せなくてもいい。帰ってきてくれた。それだけで十分だから」
メアはその声を聞きながら、再び目を閉じた。
それだけで、女性の目から涙が零れた。
けれど彼女は、すぐにはメアを抱き締めなかった。今のメアにとって、自分がどれほど遠い存在なのかを理解していたからだ。
母親として抱き締めたい。それでも、覚えていない娘に一方的に過去を押し付けたくはない。だから彼女は、ただ静かにメアを見つめ続けた。
◇
「それでメアのことなんですが…」
「この状態のことね。もう原因の検討はついているわ。」
「そうなんですか!?それは一体どんな……。」
「精気失調……一言でわかりやすく言うなら『ガス欠』ね。」
「……それはどういう?」
「メアは、魔導具で暫くの間、操られていたんでしょう?その間、精気を吸わせて貰えなかったんだと思うわ。」
メルがメアの頭を恐る恐る撫でる。
「だから、精気を吸える環境で安静にしていれば回復すると思うわ。ちなみに、この娼館はヒト族やエルフ族の男性がやってきて良質な精気を供給してくれるの。ここにいれば、きっと治るはずよ。」
それを聞いて安心したアベルとその一行。しかし、アベルは、ここに長居をするわけにはいかない。マユミに真意を確認して、必要なら助けないといけないのだ。
「ちなみに、どれぐらいの期間がかかりそうですか?」
「そうねぇ。満足に動けるようになるには、短く見積もって5年ぐらいかしら…。」
5年という気の長くなるような話に唖然とするアベル。エルフや夢魔といった寿命が1000年以上の彼らからすれば5年というのは、それほど長い時間ではないのかもしれない。だが、流石に待ってはいられない。
「もう少し早くすることは出来ないんですか?」
「1番は直接、精気を体内に送り込むことだけど……。」
「メア本人の合意なしにはダメだろう、それは…」
「……まあ、そう言うだろうと思ったわ。」
少し考え込んでメルは、アベルに告げた。
「じゃあ、メアのすぐ側で、この中の誰かとしてくださいな。それで目を覚ますぐらいの精気は直ぐに届けられるわ。」
「「「「………。」」」」
すると後ろで見ていた夢魔族の美女と美少女達が競うように手を挙げ始め、アベルへのアピールを始めた。
「ねえ、お兄さん。私としよ?」
「勇者様は私とするの!ねえ、良いでしょ?」
「ワタシの、ほうが、いい、わよ……ねぇ?」
そんな夢魔達からのプレッシャーにアベルがタジタジになっていると、夢魔達とアベルの間にセレスティアが割り込んできた。
「ダメです!アベル様は先に私と約束してるんですから!」
慌てて他の皆もアベルを取り囲む。
「そ、そんなのダメです!」
「私だって……。」
「ズルい…。」
「セレスティア様、いつのまに……。」
その様子を見て夢魔達は、ほくそ笑む。
「へー」
「ほー」
「ふーん」
「なるほど、なるほど」
「じゃあ……」
「「「「「どうぞ、どうぞ」」」」」
ニヤニヤしながら夢魔達が一歩引く。どうやら、最初からそのつもりだったようだ。




