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335話 オーバーライト*

 その日の夜。


 悪夢から目覚めてからというもの、セレスティアの様子はどこかおかしかった。


 食事の席でも、時折ぼんやりと俯き、何かを思い出したように小さく肩を震わせている。


 アベルは何度か声をかけようと思ったものの、セレスティアが「大丈夫です」と笑うので、それ以上は踏み込まなかった。


 けれど、深夜にアベルはベッドの反対側で声を押し殺して、必死に泣くのを我慢しているセレスティアに気がついた。


挿絵(By みてみん)


「ティア?」


 肩を軽く叩く。


「大丈夫か?また、悪い夢でもみたのか?」


 窓から差し込む月明かりの中、ベッドから身体を起こしたセレスティアが膝を抱えて塞ぎこんだ。その肩は小さく震えていた。


「……アベル、さま」


 顔を上げたセレスティアは、もう泣いていた。

 慌てて涙を拭おうとするものの、すでに目元は赤く腫れている。


「一体どうした?」

「……何でも、ありません」

「何でもない人は、そんなに泣かないだろ」


 責めるような言い方にならないように、アベルはできるだけ穏やかな声で言った。


 セレスティアはしばらく黙っていたが、やがて視線を落とした。


挿絵(By みてみん)


「……夢を、思い出してしまったんです」

「今日の悪夢か」

「はい」


 その一言だけで、セレスティアの表情が苦しそうに歪む。


「夢の中で……私は……」


 そこから先を言おうとして、言葉が止まった。

 セレスティアは両手で自分の腕を抱き締める。


「魔王と……一夜を……」


 それ以上は言えなかった。けれど、アベルには十分に伝わった。夢の中で、自分の意思とは無関係に魔王と関係を持たされた。そして、その光景を自分自身の記憶のように鮮明に覚えてしまっている。


「……気持ち悪いんです」


 セレスティアの声が震えた。


「夢だったって分かっています。あれが現実じゃないことも、私自身が望んでしたことじゃないことも……頭では分かっているんです」


 それでも。

 夢の中で感じたこと。

 夢の中で取った行動。

 その一つ一つが、まるで自分自身の罪であるかのように残っている。


「なのに……目を閉じると思い出してしまうんです。」


 涙が一粒、頬を伝った。


挿絵(By みてみん)


「私は……アベルさんを裏切ったような気がして……」

「裏切ってない」


 アベルはすぐに答えた。


「でも……」

「裏切ってないよ」


 今度は先ほどよりもはっきりと、しかし優しく言う。


「ティアが自分の意思でやったことじゃない。それに、そもそも夢だろ?」

「……はい」

「だったら、ティアが責任を感じる必要なんてない」


 セレスティアは俯いたまま、黙っている。その表情からは、理屈では納得できても、感情が追いついていないことが分かった。


「……このまま気にしないなんて、やっぱり私には無理です……。ちゃんとアベル様を裏切っていないということの担保が……証が欲しいのです。それは以前のような謝罪の気持ちではなく、単なる私の我儘だという事は理解しています。ですが、私の心は既に決ま……。」


 アベルは、それ以上セレスティアに言わせなかった。唇を唇で塞ぎ、セレスティアが落ち着くまでそのままでいた。舌と舌が触れ合って睦合いを繰り返して、ようやく離れた後、ぽつりと呟く。


「……夢の中でも言ったけど、ティアのことは俺が全部責任を取るってもう決めてる。だから、ティアが俺に何を求めても罪悪感なんて感じる必要はないんだ。それに、何かの謝罪とかじゃなくて、それが今のティアに必要な事で俺に出来ることなら何でもするよ。」


 その言葉を聞いた瞬間、セレスティアの目からまた涙が零れた。


「……ずるいです」

「何が?」

「そんなことを言われたら……もっと泣いてしまいます」

「じゃあ、泣けばいい」


 アベルはそう言って、抱きついてきたセレスティアを受け止めた。


「無理に我慢する必要なんてないだろ」


 セレスティアはゆっくりとアベルの肩へ頭を預けた。

 そのまま、彼の服を小さく握る。まるで、そこにアベルがいることを確かめるように……。


 その夜、アベルとセレスティアの影は一つになった。


       ◇


「……アベルさま」

「ん?」


 セレスティアが少しだけ顔を上げる。

 アベルは苦笑した。

 セレスティアはまたアベルの胸へ頭を戻した。


 それからしばらく、二人の間に会話はなかった。

 窓の外では、夜風が静かに城壁を撫でている。

 セレスティアの呼吸は少しずつ穏やかになっていった。

 やがて、繋いでいた手の指から力が抜ける。


「……眠ったか」


 アベルは小さく呟いた。

 セレスティアはもう答えない。

 それでも、眠りについた後も握った手だけは離れなかった。アベルはその手を無理に外そうとはせず、そのまま敷布団になり続ける。


 セレスティアは今日見た悪夢から、ようやく本当の意味で解放されたのだ。


「……おやすみ、ティア」


 眠っている彼女にそう囁いてから、アベルは静かに月明かりを眺めた。


 もう彼女が悪夢を見ないように。


 そう願いながら、セレスティアが安心して眠り続けられるようにアベルは手を握り続けた。

先日のミニ動画の続きです。

https://x.com/code3600/status/2107516990969741372?s=46

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