334話 現実への回帰*
それぞれの夢の中。
リシアが見ていた夢では、学院の訓練場でアベルと剣を交えていた。汗を流しながら剣を振り、最後には二人で笑っている。失われた、穏やかな日常。
「楽しい……」
リシアは夢の中で笑っていた。
そこへ、短聖剣が空から落ちてきて地面に突き刺さる。
『リシア』
「……え?」
アベルの声。けれど、目の前のアベルは笑ったままだ。声だけが、別の場所から聞こえた。
『戻ってこい』
リシアは周囲を見回す。
「……アベル?」
目の前のアベルは何も言わない。
それなのに、声だけが聞こえる。
「どうして……?」
その瞬間、リシアは違和感に気付いた。それを理解した瞬間、訓練場の景色が僅かに揺らいだ。
「……これ、夢なの?」
リシアは自分自身へ問いかける。
答えはすぐには返らない。
けれど、もう分かっていた。
「そう……なんだ」
リシアは目を閉じる。
「アベル……待ってて」
夢が静かに崩れた。現実でリシアが目を開く。
「……今、行きます。」
涙を浮かべながら、彼女は自分の手を見つめた。
◇
フェリの夢には、ファムと両親が笑っていた。
故郷にある森の近くの生家で失ったと思っていた家族と暮らしていた。そこでは、誰も傷ついていなかった。
両親とファムのたわいのない話にフェリが嬉しそうに笑う。その時、家族団欒中のテーブルの中央に短聖剣が突然現れた。
『フェリ』
「……え?」
『戻ってこい』
フェリは目を見開く。
目の前のファムと両親は、短聖剣を気にする事なく談笑を続けている。
「……なんか変だよ。」
フェリはゆっくりと周囲を見て、胸に手を当てる。
「本当の両親なら、きっと私に帰れって言う。そんな気がする。」
夢の景色が揺らいだ。
「私、まだやることがあるんだ」
フェリは笑った。
「だから、帰るね」
白い光が広がった。
現実でフェリが目を開き、涙を流しながら笑った。
「……さようなら、パパ、ママ。」
◇
ルナの夢は、魔法研究室だった。
新しい術式が完成し、研究は成功している。
失敗も爆発もない。何より、アベルが隣で研究を手伝ってくれている。
「……この時間、好き」
ルナが呟いた。
しかし、研究室の傍に今まで無かった短聖剣が置かれていることに気がつく。
『ルナ』
「……アベル?」
ルナは魔法陣を触っているアベルを見る。だが、目の前のアベルはそんなルナを無視して魔法陣を触り続けている。そしてルナが魔法陣に目を向けた瞬間、明らかな違和感を覚えた。
「この術式……」
自分なら絶対に気付くはずの、小さな矛盾。
「私がこんな簡単なミスをする?」
ルナは魔法陣へ手を伸ばす。
「違う。これは、私の研究じゃない」
夢が大きく揺れた。隣にアベルはもう居なかった。
ルナは静かに笑う。
「今、戻る」
◇
ミリアの夢では、アベルとジャンク魔導具の買い物デートを楽しんでいた。腕を組み、恋人のように連れ添いながら、掘り出し物を探している。アベルは隣で笑っていた。
「ミリア、これなんか良さげじゃないか?」
アベルがジャンク品の一つを持ち上げてミリアに見せる。
「うん。あと、こっちも良いかも。」
ミリアが別のジャンクをアベルに見せるとアベルは楽しそうに弄り始めた。
「アベル、私こういうのに昔から憧れてたんだぁ。」
ミリアは幸せそうに呟いた。けれど、ジャンクの山の中央にあるはずのないものを見つけてしまう。
短聖剣。
それを見つけた瞬間、ミリアは目を見開いた。
「……なんで、アベルの剣がこんな所に……。」
しかし、アベルはそんなミリアの発言を気にする様子もないし、視界に入っているはずの短聖剣を無視して近くのジャンクを漁っている。
『ミリア』
ミリアは置かれた状況を悟ってしまった。
見渡せば、アベルの姿がいなくなっている。
「そういうことなんですね……」
夢の世界が崩れていく。
「次は現実にデート……して下さいね。」
◇
クラリスの夢では、彼女は夕食の準備をしていた。
「ただいまー」
玄関にアベルの声が聞こえると、クラリスは迎えに出る。
「お帰りなさい、アナタ。今日もお疲れ様。ご飯にする?お風呂にする?それともワ・タ・シ?」
スーツ姿のアベルは鞄を置いて、照れながらクラリスを抱き寄せる。
「じゃあ、クラリスを頂こうかな。」
そう言ってアベルは額にキスをしてきた。クラリスも流石に恥ずかしくなるが何とか冷静を装った。
「じゃあ、ご飯にするから、ちょっと待ってて。今日は旬の魚が安かったの。きっと美味しいわよ。」
「クラリスだって、自分の仕事があるだろうに、いつも晩御飯の準備を任せて悪いな。」
「いいのよ。私、料理好きだし。その代わり……ねっ♡」
「わかったよ。頑張る。」
「うん♡」
けれど、クラリスはすぐに違和感を覚えた。
その理由は直ぐにわかった。アベルのビジネス鞄から短聖剣がはみ出していたのだ。商売人として働いているならば無用の長物のはずの武器。辻褄が合っていない。
クラリスには、それだけで十分だった。
「なるほど」
彼女は小さく笑う。
「これは夢だったのね」
『クラリス』
「……はい」
クラリスは目を閉じる。
「現実でも、きっと……。」
夢が崩れた。
◇
エリスの夢には、平和な聖堂と孤児院があった。
孤児院の子供達がエリスを慕って寄ってくる。そこにはアベルもいた。
「エリスお姉ちゃん、おままごとしよう!お姉ちゃんがママで、アベルお兄ちゃんがパパね!」
「私がアベルさんと夫婦!?」
要らぬ妄想を膨らませ過ぎて顔が真っ赤になってしまうエリスだったが、アベルはそうして甘えてくる女の子を、優しく撫でていた。
「……こんな幸せがずっと続けばいいのに…。」
エリスは静かに笑った。誰も怪我も病気もせず、ただ穏やかに暮らす日々。それがエリスの夢だった。
しかし、孤児の男の子がエリスに布に包まれた大きな物を持ってきた。
「エリスお姉ちゃん、これ!」
布を開けると出てきたのは短聖剣だった。
「アベルさん、これ!」
しかし、目の前のアベルは短聖剣を気にする様子がない。
『エリス』
どこからか呼ぶ声に、エリスは涙を落とした。
「ここは、私が居るべきところではないのですね。」
夢が消えた。
◇
アンジェリカの夢では、姉である第一皇女マリアンヌと今は亡き第二皇女ジュリエッタと3人でお茶会をしていた。
話題は最近婚約が決まったジュリエッタの惚気話が中心で、続いてアンジェリカの意中の男性の話になった。
「私には、まだ…。」
「あら、前に物語の勇者様に憧れてなかったでしたっけ?」
「ジュリエッタお姉さま!それはナイショって…」
「でも、アンジェリカぐらい可愛いければ勇者様も放っておかないわよ。」
「マリアンヌお姉さまも……あまり揶揄わないで下さいませ。そもそも、私の勇者様は……。」
そこまで言いかけて、ふと違和感に気がつく。
「……今、私の勇者様って言いました?」
そこへ、メイド達が新しいお茶とお茶菓子を運んできた。だが、そこにあるべきでないものが混ざっている。
短聖剣。
何故かテーブルに並べられたそれをきっかけに今までのことを思いだした。
『アンジェ』
どこからか呼ぶ声に、アンジェリカは立ち上がった。
「戻らないと!」
夢の世界に白い亀裂が入った。
◇
聖女たちとアンジェリカの侍女の双子も悪夢の後、見させられた、それれぞれの幸せな夢に囚われていた。
しかし、短聖剣という勇者の武器という非日常のシンボルが彼女達の意識を大聖堂襲撃のときにより戻していく。
そして、一人。
また一人。
聖女たちと侍女の2人が目を覚ましていった。
「……戻ってこれました。」
「夢だったのですね」
「ありがとうございます。そして、これまでのご無礼をお詫び致します。勇者様」
意識を取り戻した彼女たちはそれぞれアベルへ感謝を告げた。特に剣を交えた聖騎士聖女の恐縮ぶりは逆に恐れ入るほどだ。
また、アンジェリカの侍女2人もアベルに丁寧に御礼をしてから、アンジェリカの側で主人の体調やらを確認し始めた。
◇
これでようやく全員が現実の世界で意識を取り戻した。しかし、彼女たちのアベルを見つめる視線は以前よりも明らかに熱を帯びたものになっていた。悪夢の中で何度もアベルを失い、何度も自分の手で彼を傷つけた。その恐怖を経験したからこそ、今ここにいるアベルの存在が以前とは比較にならないほど大きく感じられていたのである。
アベルに少し離れただけで視線を追う。
アベルの姿が見えなくなると不安になる。
声を聞けば安心し、名前を呼ばれるだけで心が落ち着く。
それは単純な恋心とは違う。自分が自分でいられる場所を提供し、何があっても見捨てられないという確信。そして、最後には必ず迎えに来てくれるという安心。それらすべてが、アベルという存在に結びついていた。
「アベル様」
セレスティアが呼ぶ。
「どうした?」
「……少し、近くにいてもよろしいですか?」
「ああ」
セレスティアが安心したように笑う。
それを見たリシアも一歩近付いた。
「私も……今日は近くにいたい」
「分かった」
「私も!」
フェリがすぐに続く。
ルナは何も言わず、アベルの袖をそっと掴んだ。
ミリアもクラリスもエリスも、それぞれ自然にアベルの近くへ集まっていく。
「……みんな、どうしたんだ?」
アベルは困ったように笑った。
「今日は、少しだけ甘えさせてください」
クラリスが代表するように答える。
「それくらいは、許していただけますでしょう?」
「……わかった」
アベルが頷く。その瞬間、七人の表情が緩んだ。
アンジェリカも一歩踏み出そうとするも、侍女2人の視線を感じて踏みとどまった。だが、侍女達のアベルへの視線もどこか熱を帯びている気がした。
悪夢は終わった。けれど、その悪夢を経験したことで、彼女たちの中に新しい感情が生まれていた。
以前よりも強い好意。
以前よりも強い信頼。
アベルを失うことへの恐怖を知ってしまったからこそ、今度は、二度と彼を一人にしたくない。そんな思いが、七人の胸の奥に静かに根を張り始めていた。
◇
全員の回復を確認し、ようやく緊張が解けたその時だった。
「……メア?」
アベルが振り返る。少し離れた場所にいたメアが、壁へ背を預けていた。
顔色が悪い。
「大丈夫か?」
「はい……」
メアはいつものように答えようとした。
けれど、その声には明らかな疲労が滲んでいた。
「少し……休めば」
そこまで言ったところで、身体が大きく揺れる。
「メア!」
アベルが駆け寄る。メアは何かを言おうとしたが、そのまま力が抜け、アベルの腕の中へ倒れ込んだ。
「メア!」
呼吸はある。しかし、目を開かない。
ファティマがすぐに駆け寄る。
「意識を失っていますね。」
「危険なのか?」
「わかりません。《パーフェクト・ヒール》」
ファティマは流れるように強力な回復魔法をかけて、メアの額へ手を当てる。しかし、回復の手応えのようなものは感じられないようだ。
「彼女は長時間にわたって力を使い続けていましたから、精神力が限界を超えたのかもしれません。」
アベルはメアを抱き上げた。
「……やはり先に休ませるべきだった。」
セレスティアが申し訳なさそうに言う。
「私たちを助けるために限界を超えて頑張ってくれてたんですね。」
皆の視線が、眠ったままのメアへ集まった。今度は救ってくれたメアを自分たちが救う番だった。エリスが、ミリアが、クラリスが、ルナが、セレスティアが順番にメアを診断するが、メアに何が起きているのかはわからなかった。
その時、リシアに再び金色のオーラが宿った。
「勇者よ。」
いつものリシアの声ではない。それは光の精霊ミーシアの声だった。
「その娘を助けたいなら、この国の西端、隣接する他の2つの国との境界に、どこの国にも属さない空白地帯がある。そこを訪れるとよい。」
「ミーシア様、そこには何があるのですか?」
「それは、そこのエルフの教皇が知っている。」
それだけ言ってミーシアの気配は消えた。
「ファティマ様?」
「そこには娼館があります。」
「娼館?」
「そうです。『夢魔の館』と呼ばれる夢魔達の総本山です。
確かに、同族の集まるかの地なら彼女を癒やす方法を知っている誰かがいるかもしれません。」
アベルは迷わなかった。
「そこへ行こう」
セレスティアが頷く。
「はい」
「もちろん、私たちも一緒に行きます」
リシアも、
フェリも、
ルナも、
ミリアも、
クラリスも、
エリスも、
アンジェリカも、
全員が頷いた。
アベルは眠ったままのメアを抱え直す。
悪夢から全員を救い出した戦いは、終わった。
けれど、今度は、夢の中で皆を救い続けた少女を救うための旅が始まろうとしていた。
その行き先は――夢魔の館。
そこで待っているものが何なのか、この時の彼らは、まだ知らなかった。




