331話 踏み出す勇気*
0時に間違えて2話投稿してしまいましたorz
前の話を読んでいない方はご注意下さい。
聖都ヨーセフの仮説救護室。
魔王軍参謀本部との戦いが終わってから、しばらくの時間が過ぎていた。
広間を襲った黒装束の魔族はメアの話によると魔王軍参謀本部の諜報・暗殺部隊だったらしい。アルセリアでの件といい、魔族はヒト族に紛れて何処にでもいるのだと改めて実感する。また、メアにはマユミの消息はわからなかった。
大聖堂の結界は、転移ゲートが閉鎖した後に教皇庁の魔導士たちによって再構築されている。聖都そのものへの危機はひとまず去ったものの、残された者たちの状態を見れば、とても戦いが終わったとは言えなかった。
リシアは壁際に座り込んだまま、両手を膝の上へ置いている。フェリは何度名前を呼ばれてもほとんど反応を示さず、ルナは目を開けたまま何もない空間を見つめ続けていた。ミリアもクラリスもエリスも、誰かが声を掛ければわずかに視線を動かすことはあっても、そこに普段の彼女たちらしい意思は感じられない。
セレスティアも同じだった。
「ティア」
アベルが静かに呼びかけても、返事はない。
「聞こえているか?」
ほんの少しだけ瞳が動いたようにも見えたが、それがアベルの声を理解した反応なのか、それとも単なる偶然なのかさえ分からない。
彼女たちは目を覚ましている。
呼吸もしている。
身体も動かせる。
それでも、白昼夢をみているように、心だけがまだ夢の中に取り残されていた。
聖女たちも同様だった。1人は自分の身体を抱えるようにして震え、1人は目を閉じたまま動かない。残りの2人も似たような状態だ。呼びかけに反応できる者はおらず、悪夢の中で繰り返された光景から抜け出せないまま、現実と夢の境界に沈み込んでいるように見えた。
その様子を、女教皇ファティマは暫くの間、黙って見つめていた。
アベルは拳を握り、口火を切る。
「このままでは、……。」
食事もできないし、下の世話も誰かにしてもらわないといけない。
その時、メアが口を開いた。
「もう一度、夢を見せるのはどうでしょう?」
メアは倒れている少女たちへ視線を向けた。
「今度は悪夢ではなく、幸せな夢で、彼女たちが本当に望んでいるものを夢の中で与えて、悪夢とは違う記憶を作る。失う夢ではなく、失わない夢を。傷つける夢ではなく、誰かと笑っている夢を」
メアは、自分の能力ならそれが可能だと説明した。
悪夢を作ったのと同じ精神干渉能力を使えば、対象の記憶や感情を読み取り、その人物が安心できる夢を構築することができる。
そして今の彼女たちは、悪夢の中へ閉じ込められているからこそ、外部から精神へ干渉しなければ自力で戻れない可能性が高い。
しかし…
「私は反対です」
ファティマは即座に答えた。
メアが顔を上げる。
「……なぜですか?」
「あなたの方法を否定しているわけではありませんが…」
ファティマは慎重に言葉を選んだ。
「問題は、今の彼女たちから意思を確認できないことです。本人たちは、自分が何をされているのか判断できない。それどころか、こちらの呼びかけにもほとんど反応しない。その状態で、さらに精神へ干渉して幸福な夢を与えることになれば、それは治療ではなく、別の形で本人の心を操作することになりかねません」
メアは黙り込む。
ファティマは静かに続けた。
「現実よりも夢の方が幸せになれば、本人が夢から戻りたくなくなる可能性があります。悪夢による精神的支配から救おうとして、今度は幸福による精神的依存を作ってしまう。それでは別の檻を用意するだけです」
メアは俯いた。
「……では、このまま見ているしかないのですか…」
「そうは言っていません」
ファティマは首を横に振る。
「ただ、介入するなら、それがどれほど危険な行為なのかを理解した上で行う必要があります」
アベルはしばらく沈黙していた。
目の前には、自分が大切に思う少女たちがいる。だが、その本人たちから「助けて」と言葉を聞くことさえできない。だからこそ、アベル自身が決めなければならない。助けるために手を伸ばすのか。それとも、本人の意思を確認できない以上、手を出さずに待つのか。どちらを選んでも、完全に正しいとは言い切れない。
アベルが静かに口を開いた。
「それでも試してみたい。今だって苦しんでいるかもしれないのに、このまま何もせず、ただ待っているなんて俺にはできない。」
ファティマがアベルを見る。
「何かあったら、とり返しのつかない事になりますよ」
アベルは答える前に、しばらくセレスティアを見つめた。
「わかってる。だから、今は対象をティアだけにする。ティアは…奴隷になったときに、彼女のことは何があっても俺が責任を取るって決めてるから。」
ファティマの表情が険しくなる。
「それは、簡単な言葉ではありませんよ」
「分かってる」
「あなた自身が、彼女の幸福の中心になってしまう可能性もあります」
その言葉に、アベルは少しだけ目を伏せた。
ファティマの指摘は理解できる。だからこそ、今はまだ全員を対象にするつもりはなかった。
「それでも…」
アベルは静かに言った。
「やっぱり、今のティアを、このままにはできない。これは俺のエゴだけど、ティアには声を掛けたら返事をして欲しいし、辛い時や苦しい時には弱音を吐いて欲しい。楽しい時や嬉しい時には笑っていて欲しい。」
アベルはメアの前へ歩み寄る。
「だから……メア、頼む。」
「じゃあ、アベル様が直接、あの方の夢に入って説得してみます?」
「そんな事ができるのか?」
アベルが目を見開く。
「はい。ちょっと大変ですけど、2人の夢をブリッジすれば…」
「夢の中で苦しんでいるティアを、俺が助ければ良いんだな。」
「はい。」
ファティマはしばらくアベルを見つめた。
そして、静かに息を吐く。
「……あなたは、本当に自分で背負うつもりなのですね」
「そのつもりです」
「ならば、条件を付けます。セレスティア様の治療目的のみで行うこと。決して、彼女の心をあなたの望む形へ変えるために使わないこと」
アベルは迷わず頷いた。
「分かっています。彼女が夢の中で何かを望んだとしても、俺はただ悪夢から出るための道を作るだけです」
ファティマはようやく頷いた。
「分かりました」
「ただし、少しでも危険だと判断した場合は、すぐに中止してくださいね。」
「わかりました。」
メアがセレスティアの前へ歩み寄る。
「……それでは、始めます」
セレスティアはただ、静かに座っている。
その表情には意思がない。だからこそ、アベルは最後にもう一度だけ彼女の名前を呼んだ。
「ティア」
返事はなかった。アベルはそれでも、そっと彼女の手を取る。
「今、迎えに行く」
セレスティアの指は動かなかった。
けれど、アベルはその手を離さなかった。
メアが静かに目を閉じる。淡い魔力が、二人の周囲へゆっくりと広がっていく。
夢の改ざんによる救済が正しいのかどうか。その答えを知るための第一歩をアベルは踏み出した。




