330話 役立たずの暗殺者
聖都ヨーセフの大聖堂。
聖女たちが集められていた広間から続く通路には、先ほどまで存在していた悪夢の痕跡だけが残されていた。
床には倒れた聖女たち。その周囲にはヒロイン達リシア、フェリ、ルナ、ミリア、クラリス、エリス、セレスティアも倒れている。また、アンジェリカとその双子の侍女ソラム、ソレムも倒れたままだ。
ナイトメア・ウェーブの効果が無くなっても、誰も、すぐには動けなかった。肉体が傷ついているわけではない。しかし精神は、長時間にわたって悪夢の中へ閉じ込められていたのだ。
意識を取り戻した数人がゆっくりと身体を起こす。しかし、未だその意識は朦朧としており、現実感のない目で、その場に座っていた。
自分自身の手で大切な人を傷つけた記憶。
守るべき人々を殺した記憶。
そして、何度も何度もアベルを傷つけ、最後には自らの手で彼を殺した記憶。
それらが現実ではないと理解していても、心に刻まれた感覚まで簡単に消えるわけではなかった。
聖女たちも同じだった。目を覚ましても、それぞれが床に座り込んだまま、虚ろな目で自分の手を見つめている。
「……これは、夢……だったのですか……。」
そのうちの1人、女教皇が震える声で呟いた。彼女だけが比較的早く立ち直った。長寿命のエルフである彼女は長い年月を生き、心に刻まれた多くの傷とずっと向き合ってきた。そんな彼女だからこそ、感情に飲み込まれることなく自分を取り戻すことが出来たのだ。
「そうです」
アベルが教皇のもとに駆け寄って、ふらついた身体を支える。
「しかし、夢だったからといって、感じた恐怖や罪悪感まで偽物になるわけではないです。」
アベルはそれでも立ちあがろうとする教皇を支えながら説明した。立ち上がった教皇は倒れている者たちを見渡す。
「皆は今は無理をせずともよいでしょう。心が現実へ戻るには、時間が必要ですから。」
アベルの近くにいたメアは視線を落とす。操られていた時の記憶が曖昧とはいえ、明らかに自分がやってしまったとわかったので、その罪悪感がメアにも重くのしかかっていた。
「アベル……。」
「大丈夫だ。メアが悪いんじゃないことはわかっているから。」
心配そうなメアにアベルは静かに答えた。
◇
その時、通路の奥から、聞き慣れない音が響いた。
続いて、空間そのものが揺らぐような魔力の振動。
アベルが振り向くと、開いたままだった転移ゲートの向こう側から、複数の黒い影が飛び出した。
黒装束に覆面をした魔族。身体から漏れる魔力すら極限まで抑え込んでいる彼らは明らかに通常の魔族兵ではない。
その中央に、一人の男が立っている。黒い外套をまとい、細身の身体には無駄な装飾が一切ない。その男は広間を一瞥すると、倒れている聖女たちへ視線を向けた。男の低い声が響く。
「聖女を確保しろ。」
その言葉に、アベルの目が細くなる。
だが、リーダーらしき男は他の黒装束の兵に追加の指示を追加した。
「聖女以外は全員殺せ。」
その言葉に、アベルの表情が変わった。
「そんな事はさせない。」
男が初めてアベルを見る。
「お前が勇者か。全く面倒な事をしてくれたな…。おかげで聖女を傀儡にする私の完璧な計画に支障がでたぞ。」
「彼女達をどうするつもりだ!」
「知れたことを。魔導具で操るか、魔物に改造するか、いずれにせよ魔王軍のために、その回復能力を利用出来るようにするのだ。」
「ふざけるな!お前らの好きにはさせない!」
リーダーらしき男の背後で、他の黒装束たちが一斉に散開した。彼らは正面から戦うつもりなど最初からない。倒れている聖女4人をそれぞれ死角から接近して担ぎ上げ、そのまま転移ゲートへ運ぼうとする。
アベルは素早く転移ゲートの前に移動して逃げ道を塞いだ。直ぐに黒装束達は別の出口、後ろにある窓を破って、そこから逃げようとしたようだが、そこには教皇が立ち塞がった。そして、すかさず女教皇は魔法を発動する。
「《ローズ・バイン》」
床から棘のある蔦が大量に生えて、黒装束達の脚を拘束していく。さらに蔦は延びて、棘のない蔦が聖女達を優しく包みこんだ。
聖女達を一旦諦めた黒装束達が蔦を暗器で切り裂いたり無理矢理引き剥がしたりしようともがくが、それをする度に蔦は増えて、より拘束は強くなっていく。
そうして聖女達の安全を確保しつつ、黒装束の魔族達の無効化に成功した。
しかし、次の瞬間、最初に指示を出していた黒装束のリーダーらしき男が消えた。視界からだけ消えたのではなく、完全に気配が消えていた。
足音はなく、魔力の揺らぎもなく、存在そのものが、周囲の景色へ溶け込んでいた。
アベルは短聖剣を構えた。
「……来る」
しかし、どこから来るのかまでは分からない。
「右」
メアの声が響いた。アベルが反射的に身体を捻る。
直後、黒い短剣が頬のすぐ横を通り過ぎた。
暗殺者が驚いたように目を見開く。
その一瞬にアベルの短聖剣が閃いた。
黒装束の男は咄嗟に後退したが、腕を浅く斬られる。
「……まさか、見えていたのか?」
暗殺者が呟く。そして、再び気配を消した。
「アベル、上!」
アベルがメアの助言通りに上に向けて斬撃を放つ。
その斬撃は当たりはしなかったものの、それにより黒装束の動きが乱れた。男にとって、それは致命的だった。彼が得意とする暗殺術は、相手に気付かれないことが特に重要で、気付かれている状態では一般的な武術よりも、ずっと劣る。
暗殺者たちが得意としていた「気付かれずに接近する」という最大の武器が、メアの前では成立しない。
「馬鹿な……」
黒装束が初めて声を荒らげた。
「貴様……」
その視線がメアへ向く。
「暗殺術も使えない役立たずのくせに……。」
メアの表情が、ほんの少しだけ曇る。かつて魔王軍にいた頃、彼女は暗殺術の訓練で何度も失敗した。
気配を消すことは出来ても、標的へ近付くことは出来ても、その標的を殺すことが嫌で出来なかった。そのため、魔王軍の中では「暗殺者としてまともに使えない最底辺の隠密」と評価されていた。
男は直ぐに標的をメアに変えた。しかし、隠密の対象が自分で無くなったことで男の動きがアベルにも捉えられるようになり、アベルは迷わず、メアの前に立って短聖剣を振り下ろした。その短聖剣が黒い影を正確に捉えていく。
黒装束は反撃する暇すら与えられず散った。教皇が魔法で拘束していた他の黒装束達は全員バラの蔦で締め上げられている。すると、黒装束は魔力を暴走させ始めた。
「何をするつもりかわからんが、好きにはさせんよ。」
危険を察知した女教皇は蔦を操り、拘束したままの黒装束達を次々と転移ゲートに投げ込んだ。転移ゲートの向こうで何らかの爆発音が聞こえる気がするが、何が起きているかはわからない。
メアは残心したままのアベルに縋りついてきた。
「アベル……私は、暗殺術が苦手で、魔王軍では役に立たずと言われ続けてきました。」
そして、アベルを見る。
「でも……今は、これでいいと、よかったと思っています」
メアの瞳に、かつてなかった静かな意志が宿る。アベルは、そんなメアを誇らしく思った。
最後に残っていた黒装束が顔を隠していたほっかぶりを取る。あらわになった幕僚長の表情が歪んだ。
「ならば、アイツだけでも…。」
幕僚長が魔力を解放する。その狙いはアベルではなく、教皇の蔦魔法の保護下にもない唯一の聖女。まだ朦朧として動けないエリスだった。
「こいつだけでも……。」
幕僚長がエリスへ手を伸ばした。
しかし…
「そうはさせません。」
メアが呟く。幕僚長の視界が歪んだ。目の前にいるはずのエリスが、突然三人に見える。
右なのか、
左なのか、
中央なのか、
判断が遅れた。
その一瞬で、アベルが間へ割り込む。
短聖剣が振り抜かれ、幕僚長の短剣を弾き飛ばした。
「ここから先は通さない」
幕僚長がいつのまにかアベルの後ろに回り込んでいた。
「後ろ。」
メアからの助言にアベルが振り向く。
横凪に一閃。それで幕僚長は上半身と下半身に分かれて絶命した。
幕僚長の死により、術者の制御を離れた転移ゲートが徐々に小さくなっていき消滅した。そして広間には静寂が戻る。
アベルは短聖剣を下ろす。
「……終わったか」
「はい」
しかし、アベルはすぐには喜ばなかった。
視線の先には、まだ床に座り込んでいる七人の少女たちと聖女たちがいる。
悪夢は終わった。
暗殺部隊も退けた。
それでも、彼女たちの心に残った傷は、戦闘のように剣で断ち切ることはできない。
教皇は静かに彼女たちを見守っていた。
「皆、命の心配はありません。ただ、心の癒しに回復魔法は無力ですから、安静にして回復を待つしか…。」
「……ああ。」
アベルはメアに罪悪感をこれ以上抱かせまいと、不安を隠して頷いた。
かつて役立たずと呼ばれていた少女は今アベルの隣に立っている。しかし、その瞳には主人であり親友でもあるマユミが、そこにいないことへの憂いもあった。




