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閑話03話 来なくなったお兄ちゃん

来なくなったお兄ちゃん


 王都郊外の教会。


 柔らかな陽射しが中庭を照らし、子どもたちの元気な笑い声が響いていた。学院の授業を終えたエリスは、聖女候補者として教会の診療を手伝うため、教会を訪れていた。


「エリスおねえちゃん!」


 診療終了後、教会内に併設された孤児院に立ち寄ると中から小さな女の子が駆け寄ってくる。それを合図にしたように、子どもたちが次々と集まってきた。


「きょうはしんりょうのひ?」

「あそでくれる?」

「もちろんですよ。」


 エリスは優しく微笑み、一人ひとりの頭を撫でていく。


「ちゃんとお手伝いができた子には、お菓子もありますからね。」

「やったー!」


 歓声が上がり、中庭はさらに賑やかになった。



 一通り診療が終わり、おやつの時間になる。


 焼き菓子を受け取った子どもたちは、嬉しそうに頬張っていた。その中で、一人の男の子がおずおずと尋ねる。


「ねぇ、エリスお姉ちゃん。」

「はい?」

「黒いお兄ちゃんを知らない?」


 エリスの手が止まる。


「黒いお兄ちゃん?」


「黒い服のお兄ちゃん!」

「いつもお菓子持ってきてくれた!」

「ぼくが熱出した時、お薬も持ってきてくれた!」

「剣で遊んでくれたよ!」

「迷宮のお話もしてくれた!」


 次々に声が上がる。


「あのお兄ちゃん、最近来ないよね。」

「病気なの?」

「また来るって約束したのに。」


 子どもたちの表情には、素直な心配が浮かんでいた。


 エリスは静かに目を伏せる。


 アベル。


 教会へ薬草を届け、診療を手伝い、時間があれば子どもたちの相手もしていた青年。危険な薬草採取の帰りでも、子供達へのお菓子を忘れたことはなかった。


 その記憶は残っている。


 けれど、その記憶に伴う温かさは、どこか遠く感じられた。


「最近は学院もお忙しいのでしょう。」


 穏やかに答える。


「皆さん、それぞれやるべきことがありますから。」

「でも!」


 一人の少女が立ち上がった。


「お兄ちゃん、約束したもん!」

「今度もっとすごい迷宮のお話してくれるって!」

「木の剣も作ってくれるって!」

「また遊びたい!」


 周りの子どもたちも頷く。


「黒いお兄ちゃん優しかった!」

「また来てほしい!」


 エリスの胸に、小さな違和感がよぎる。

 けれど、その感情はすぐに別の思考へと流されていった。


「皆さんのお気持ちは分かります。」


 エリスは優しく微笑む。


「ですが、アベルさんにもご事情がおありなのでしょう。それよりも、学院にはレオニス殿下という、とても立派なお方がいらっしゃいます。」


 子どもたちは首を傾げた。


「レオニス殿下は、困っている人を放っておかず、いつも皆のことを第一に考えてくださる方です。きっと、あのようなお方がこの国を支えてくださるから、皆さんも安心して暮らせるのですよ。」


 子どもたちは顔を見合わせる。


「……?」

「レオニス殿下?」

「知らない。」

「黒いお兄ちゃんじゃないの?」


 話が噛み合っていない。それでもエリスは、穏やかな笑みを崩さなかった。


「さあ、お菓子がなくなってしまいますよ。冷めないうちに召し上がってください。」


 子どもたちは納得したような、していないような表情のまま、お菓子へ手を伸ばした。


 その様子を見ていた老神父だけが、小さく眉をひそめた。



 教会を後にする頃には、夕日が街を赤く染め始めていた。


 門まで見送りに来た子どもたちが元気よく手を振る。


「エリスお姉ちゃん、また来てね!」

「もちろんです。」


 エリスも笑顔で手を振り返す。その時、一人の小さな男の子が門の外を見つめたまま呟いた。


「今日も来なかったね。」

「黒いお兄ちゃん。」


 エリスも思わずその先を見る。

 人通りの多い街道。黒い外套の姿は、どこにもない。

 以前の自分なら、その言葉に胸を痛めていただろう。

 けれど今は、不思議なくらい冷静だった。


(もう、それぞれの道がありますもの。いつまでも頼るわけにはいきません。)


 そう考える自分に、何の疑問も抱かない。そして気付けば、思考はまた自然と別の人物へ向かっていた。


(レオニス殿下なら、きっとこうした子どもたちのことも見捨てたりはなさらないでしょう。あのお方なら、この子たちにも希望を与えてくださる。)


 その確信だけが、胸の中で静かに大きくなっていく。

 子どもたちが待ち続ける”黒いお兄ちゃん”の姿は、エリスの心の中から、少しずつ色を失い始めていた。

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