286話 闇より出しモノ*
イヤマ王国の廃城
黒い魔法陣の中心から、ゆっくりと何かが浮かび上がってくる。
最初に現れたのは、腕だった。人の腕によく似ている。けれど、そこにあるのは肉体ではない。黒い霧が人の形を取ったような、不定形の存在だった。
次いで肩が現れ、頭部が現れる。顔らしいものはない。ただ二つの赤い光だけが、暗闇の中でこちらを見つめていた。
『……闇の精霊』
光の精霊が、静かにその名を口にした。その声には、これまでになかった緊張が混じっている。
「闇…精霊……?」
ルナが息を呑む。
『ええ』
光の精霊は答えた。
『私の対極の存在です。この地に残された闇の力が、魔族の呼びかけに応じたのでしょう』
闇精霊がゆっくりと顔を上げる。
次の瞬間、その場の空気が一変した。まるで光そのものが押し潰されるように、周囲から明るさが失われていく。
「……っ」
エリスが思わず息を止めた。
フェリも無意識にアベルへ近付く。
「何なの、これ……」
「分からない」
アベルは短く答えた。だが、その手はすでに短聖剣を握っている。
闇精霊が一歩進んだ。それだけで、床を覆っていた淡い光が消えていく。それを見て光の精霊が皆の前へ出た。
『下がってください』
その声は穏やかだった。
『あれは、あなたたちが戦うべき相手では…戦える相手ではありません。』
しかし、アベルは首を横に振る。
「だったらなおさらです。相手がなんであれ魔王の手の者であるならば、いつかは戦う必要があるでしょうから。」
光の精霊が少しだけ目を細める。
その言葉に、かつてのミユキの姿を重ねたようだった。だが闇精霊は待ってはくれない。黒い霧が一気に膨れ上がった。
「来ます!」
セレスティアが叫ぶ。
直後、闇の奔流が神殿を横切った。
アベルが短聖剣を振り抜くと白銀の光が刃から走り、闇を受け止めた。激しい衝撃が腕へ伝わる。
「ぐっ……!」
足元の石床が砕ける。それでもアベルは踏みとどまった。その横から、リシアが飛び出す。
「アベル殿!」
刀を振るい、闇の奔流を斬り裂く。その一瞬だけ道が開いた。
「今だ!」
リシアが叫ぶ。アベルは迷わず踏み込んだ。
闇精霊へ一気に距離を詰め、短聖剣が白銀の軌跡を描いた。
しかし、短聖剣の刃は闇精霊の身体をすり抜けた。
「なっ……!」
手応えがない。次の瞬間、闇精霊の身体から伸びた黒い腕がアベルを捉えた。
「アベル殿!!」
リシアが駆ける。刀を振り下ろし、黒い腕を断ち切ろうとする。しかし、やはり刃は黒い腕をすり抜けた。
光の精霊が放った光線が闇精霊の黒い腕を切り裂く。それでやっとアベルが後方へ転がって逃げられた。
「大丈夫?」
「ああ。光の精霊様のおかげで助かった」
リシアはほっとしたように息を吐く。
そのやり取りを見ていた闇精霊が、初めて動きを止めた。赤い光が、二人を見つめる。そして、黒い霧が再び広がった。




