247話 砕けた指輪*
止められなかった。
そう理解した時には、もう全てが遅かった。
白銀の短聖剣は、アベルの意思とは無関係に最後まで振り抜かれ、その切っ先はフェリの左手首を深く捉えていた。
鋭い斬撃が空気を裂く。
刹那。
鮮血が弧を描いて宙へ舞い上がった。
フェリの左手が、双剣を握ったまま石畳へ転がる。
乾いた音を立てて数度跳ねると、その中指にはめられていた指輪が衝撃で砕け、小さな破片となって周囲へ散らばった。
「――っぁぁぁぁぁぁっ!!」
フェリの絶叫が、広場全体へ響き渡る。
その悲鳴は、手を失った痛みだけによるものではなかった。
彼女は突然、右手の双剣を手放して、その場へ膝をついて倒れた。
「ぁ……っ!」
目の焦点が定まらない。
「いや……!」
突然、驚愕の表情を浮かべた。
「違う……!」
苦しげに首を振る。
全身が激しく震え始める。目を見開いたまま、焦点の合わない視線が空を彷徨う。
次の瞬間、フェリは床に落ちていた双剣の片方を右手で拾い突然立ち上がった。
「うああああっ!!」
右手に握った双剣の片方を振り回し、自分でも制御できないまま暴れ始める。
誰を狙っているわけでもない。
敵も味方も関係なく、ただ混乱のままに剣を振るっていた。
「フェリ!」
リシアが思わず叫ぶ。
クラリスも反射的に一歩踏み出しかけた。
しかし誰も近付けない。
今のフェリは完全に暴走していた。
その姿を見つめながら、アベルは動けずにいた。
(俺が……。)
武器だけを弾くつもりだった。
戦闘不能にするだけでよかった。
だが、フェリがミリアの指示で無理な踏み込みをしたことで、刃の軌道が完全に重なってしまった。
事故だった。それでも、自分が彼女の手を斬り落としたという事実は変わらない。だが、上級回復魔法で直ぐに処置すれば手は元に戻せるはずだ。そして、それを出来る人物がこの場にはいる。
「エリス。」
セレスティアが静かに口を開く。その声には、いつもの冷静さがあった。
「フェリの左手を――」
回復させて。
そう指示しようとして……セレスティアの視線が、不意に石畳へ落ちた。
転がる左手の中指。そこにあるはずの指輪は、アベルの魔力を伴う斬撃の余波と床に落ちた時の衝撃を受けて破壊されて、もう存在していなかった。細かな破片となり、石畳の上へ散らばっている。
ほんの一瞬だけ、セレスティアの瞳が揺れた。
「……。」
彼女はすぐ隣まで歩み出ていたエリスを、静かに右手で制した。
「待って。」
エリスは不思議そうに首を傾げる。
「ですが……このままでは。」
「まだ回復は不要です。」
短く。それだけを告げる。
エリスは何も言わず、一歩下がった。
その光景を見ていたアベルは眉をひそめる。
(……どうして。)
手を失ったのに。エリスへ回復を指示しない。
いや、指示しようとして、途中で止めた。
理由は、切った手を見た後だった。その手の近くには小さな煙を上げて銀色の破片が散らばっていた。
(……金属の破片?)
疑問が胸へ引っ掛かる。
ただの装飾品ではない。
そう思わせるには十分な反応だった。
その間にも、フェリはなお苦しみ続けていた。
「あぁぁっ!……やめて!……違う!…私は……!」
途切れ途切れに漏れる叫び。
そこには戦意などなかった。
苦しみ。
後悔。
混乱。
まるで長い悪夢から無理やり目覚めさせられた人間のように、フェリは何度も頭を抱えていた。
やがて、その震えが少しずつ収まっていく。うつ伏せにゆっくりと倒れたフェリの呼吸だけが荒く続く。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
涙で濡れた瞳が、真っ直ぐアベルを映す。
「……アベル。」
その呼び方。
その声音。
アベルは息を呑んだ。
今までとは違う。目の前にいるのは、確かに自分が一時期、親しくしていたあのフェリだった。
彼女はもう…アルセリアで自らが行った非道な行為、その全てを思い出していた。
セレスティアを見て固まった兵士の後ろ姿、燃え盛る民家、逃げ惑う市民。
そして、一度は思い出したものの、再び目を逸らしていたアベルへの不義理の全ても改めて思い出した。
フェリは震える唇を必死に動かす。
「ごめん…なさ…い…。」
その一言に、取り戻した多くの記憶から溢れる感情を詰められるだけ詰めこんで。
アベルは一歩踏み出す。
しかし、フェリはアベルに向かって荒い呼吸の合間に、必死に言葉を紡ぐ。そして、残された右手で、左手の近くの石畳に散らばった破片を指差した。
「……指輪。」
アベルの視線も自然とそこへ向く。
砕け散った指輪。その小さな破片だけが、窓から入る夕日に照らされて鈍く光っていた。
フェリはさらに力を振り絞るように、残る6人へ視線を向ける。
リシア
クラリス
ルナ
ミリア
エリス
そしてセレスティア
「皆を……。」
涙が溢れる。
「……助けて。」
それだけ言い切ると。フェリの身体から力が抜けた。そのまま静かに気を失ったフェリに、アベルが駆け寄る。
広場は一瞬、静まり返った。
アベルは何も言わず、砕け散った指輪らしき金属の小さな破片を見つめた。
フェリが正気を取り戻した理由。
セレスティアが回復を止めた理由。
そして、フェリが最後に残した言葉。
それら全てが、一つの仮説となって、静かにアベルの頭の中で繋がった。




