232話 再び近づく限界
砦街の外壁前では、長い平和の中で忘れられていた戦いの音が、再び響き渡っていた。
魔物の咆哮。
魔導砲の轟音。
兵士達の怒号。
そして、迫り来る魔王軍の足音。
それら全てが重なり、この街が再び防衛拠点として機能していることを誰もが理解させられていた。
◇
城壁上では、砦司令官が冷静に戦況を確認していた。
敵の数は多いが、ただ数で押し潰そうとしているわけではない。魔王軍は前衛の魔物を盾にしながら、後方の魔族兵がこちらの防衛設備を分析している。
「敵はまだ本隊を投入していない。」
司令官は低く呟いた。
「こちらの防衛能力を測っている。」
側にいた副官が険しい表情を浮かべる。
「つまり、今の攻撃は前哨戦ですか。」
「ああ。……本番はこれからだ。」
◇
一方、外壁の外。
アベルは南側防衛線で魔物の群れと戦っていた。短聖剣が閃くたび、一体、また一体と魔物が倒れていく。動きそのものに無駄はない。
踏み込み、回避、それに反撃。
全てが長い戦闘経験によって研ぎ澄まされている。
しかし、以前のアベルを知る者が見れば、違和感を覚えただろう。
動きは正確なのに、速度が僅かに足りない。
攻撃は鋭いのに、威力が出ていない。
◇
「アベル。」
ガルドが横から迫った魔物を斬り伏せながら声をかける。
「無理をしているだろ。」
アベルは一瞬だけ視線を向ける。
「……分かりますか。」
「分かるさ。」
ガルドは苦笑する。
「何年、冒険者をやっていると思っている。」
アベルは答えなかった。否定する気力もなかった。
◇
勇者の力が弱まっている。それは事実だった。
ドラゴンやミスリルゴーレムとの戦い。
マユミとの契約。
いずれも限界を超えて力を使ってきた。自分の力を惜しんでいる余裕などなかった。また、誰かを救うためなら、自分がどうなってもいいと思っていた。
その結果、皆の命は救われた。だが、自分自身に残った傷は、まだ癒えていない。
魔物の群れを倒しながら、アベルは遠くを見る。
この空の先に魔王城がある。
その場所に、マユミとメアがいるかもしれない。もしかしたら、もう何か取り返しのつかない事が起きているかもしれない。その不安が、胸の奥に残り続けていた。
◇
その時、城壁上から伝令が走ってくる。
「勇者殿!司令官から伝令です!」
アベルは振り返る。
「東側防衛線へ向かってください!敵の大型魔獣が突破を狙っています!」
「了解しました。」
この場を宵闇の月のメンバーに任せて、アベルはすぐに走り出す。
◇
東側防衛線では、巨大な魔獣が城門へ向かって進んでいた。その全身を硬質な甲殻で覆った四足獣は通常の兵士では止められない相手だった。魔導砲の砲撃も行ったものの遠くからでは、その甲殻に全て弾かれてしまう。今は、その砲台に目をつけて、破壊すべく飛び込んでこようとしてきている。
「いいから早く撃て!」
「もっと引き付けてからでないと、また弾かれます。」
兵士達が叫ぶが、司令官は一瞬だけ判断に迷う。
今、砲撃すれば倒せる可能性はある。しかし、貫通できなかったら次弾装填までに、砲台が破壊されてしまうだろう。
◇
「勇者殿。」
通信魔法具から声が届く。
「もし可能なら、あれを止めていただけますか。」
あくまで命令ではなく依頼だった。だが、アベルは短く答える。
「分かりました。」
◇
魔獣が咆哮し、巨大な爪が振り下ろされる。アベルは真正面から受けず、紙一重で回避する。そして、魔獣の足元へ潜り込む。以前ならば、ここから一撃で終わっていた。しかし、今は違う。力が足らなかった。
それでもアベルは剣を握り直す。
勇者の力が弱いなら、技術で補い、経験で補う。
そして、仲間の力を借りる。
◇
(もし、マユミなら…メアなら……)
アベルは無意識に呟く。彼女なら、この状況でどんな補助をするか。メアなら、どの瞬間に攻撃を合わせるか。失われた力を嘆くのではなく、今あるものを最大限に使う。それに合わせて動きを最適化していく。
その瞬間、宵闇の月のトーヴの魔法が魔獣の目に直撃して、その動きを止めた。いつのまにか南側から移動してきたようだ。
「今だ!」
ガルドが叫ぶ。リックのハルバードとバルドの大斧が魔獣の左右の前膝を後ろから思い切り切り付ける。硬い甲殻に傷はつかないものの、膝カックンのように前につんのめる魔獣。
そして、アベルは踏み込む。
額にある甲殻の合わせ目の隙間。目に見える唯一の弱点。そこへ短聖剣の刃を差し込んだ。
巨大な魔獣が沈黙する。
兵士達から歓声が上がった。
しかし、アベルは剣を支えに、僅かに息を乱していた。
◇
城壁からその様子を見ていた砦司令官は静かに目を細める。だが、彼はまだ知らない。目の前で戦うこの青年が多くの者を救うために、今も自分自身を削り続けていることを。
◇
防衛戦はまだ終わっていない。
魔王軍の本隊は、未だ動いていない。
だが、アベルの身体は再び限界に近づいていた。




