229話 小さな砦の小さな少女*
王都へ続く街道沿い。
そこには、かつて魔王軍の侵攻を防ぐために築かれた防衛拠点があった。
高い城壁と頑丈な門。兵士が駐屯するための施設。本来ならば、戦争のために存在する場所。しかし、長い平和の時代が、その姿を変えていた。商人が店を構え、職人が工房を開き、旅人が行き交う。いつしかそこは、防衛拠点ではなく一つの街になっていた。
人々はここを、「砦街」と呼んでいた。
◇
その街の一室。
アベルは三日三晩眠り続けていた。その間、一度も目を覚ますことがないほどに、生命力を削り続けた身体は、限界を超えていた。
宵闇の月の四人は、交代で様子を見ていた。
「まだ起きないか。」
ガルドが呟く。
「普通なら、とても戦える状態じゃない。」
トーヴが静かに答える。あの戦場を知っているからこそ分かる。アベルが生きていること自体が奇跡だった。
◇
四日目になって、アベルはようやく目を覚ました。
「……。」
彼が最初に見たのは知らない天井だった。
「起きたか。」
横から声がする。声の主はガルドだった。
「ここは?」
「砦街の診療所だ。お前、三日寝てたぞ。」
アベルは少し驚き、すぐに身体を起こそうとする。
「まだ寝てろ。」
ガルドは止めるが、アベルの気持ちは逸る。
「皆を早く追わないと…。」
アベルは呟く。その言葉に、ガルドは何も言わなかった。止めても無駄だと分かっていた。
その時だった。
「お兄さん、起きたの?」
隣のベッドから小さな少女の声がした。まだ幼いが、身体には無数の管が繋がれていて、ベッドの横には不思議な魔道具が置かれている。その淡い光を放つ装置が少女の生命を支えていた。
「この子は?」
「この砦街の子だ。生まれつき魔力循環に問題があるらしく、この魔導具の近くでないと生活できないらしい。」
ガルドは悲しげだたが、少女は笑った。
「大丈夫です。もう慣れっこですから。」
その笑顔は存外に明るかった。諦めではなく、小さな身体で、精一杯前を向いている笑顔だった。
◇
それから入院中、アベルは少女と話すようになった。
名前。
好きな食べ物。
街のこと。
外の世界への憧れ。
「お兄さんは旅をしているんですか?」
「ああ。」
「怖くないですか?」
アベルは少し考える。
「怖いことはある。でも、一緒に戦ってくれる仲間がいるから。」
少女は嬉しそうに笑った。
「お兄さん、仲間が大好きなんですね。」
その言葉に、アベルは少しだけ目を伏せる。
「……ああ。本当に大切な仲間たちだよ。」
◇
少女は外へ出られない。
街を見ることも、遠くへ行くこともできない。それでも、毎日楽しそうに話してくれる。アベルにとって、その時間はとても不思議なものだった。
◇
一週間後。
王都から呼ばれた腕の良い回復術師の治療によって、ようやく、アベルは立ち上がれるまで回復した。
「これなら行けます。」
アベルは言う。しかし、ガルドは首を振る。
アベルは静かに手を見る。
白銀の光……勇者の力は確かに存在している。だが、以前のような力強さはない。何故か大きく失われたままだった。
「……戻ってこないな。」
アベルは小さく呟く。
それでも、出発する日を決めた。
「行きます。皆を探します。」
宵闇の月は何も言わない。ただ、その決意を理解していた。
◇
翌朝、アベルは街を出る準備をしている時、不意に隣のベッドとを仕切るカーテンが開いた。
「お兄さん。」
少女が立っていた。
「もう行くんですか?」
アベルは頷く。
「ああ。約束があるから。」
少女は少し寂しそうに笑う。
「また会えますか?」
アベルは答える。
「また会いに来るよ。」
その言葉に、少女は嬉しそうに笑った。
アベルはまだ知らなかった。この約束が、後に大きな意味をもつことを。そして、この小さな街が勇者にとって、新たな守るべき場所になることを。




