217話 戦扇の咆哮*
闘技場の空気は、凍りついていた。
再会の余韻は一瞬で消え去り、そこに残ったのは剥き出しの緊張だけだった。
マユミは静かに立っている。だが、その視線は舞台から下ろされた醜いゴブリンキングとなった男に向かっていた。
「くっ……。」
そしてマユミは父親である魔王に懇願する。
「私にアイツを殺させて下さい。」
「ならん。」
即答だった。歯を噛み締めて耐えるマユミ。
「だが、お前の相手は別に用意した。それが目の前のヒト族だ。」
「マユミさん……」
セレスティアが一歩踏み出そうとする。それを受けてマユミが本気の構えをとった。マユミの身体から吹き出す魔力の奔流。その膨大さは万全な状態のアベルにも引けを取らない。何かきっかけがあるだけで、マユミの戦扇がセレスティアの首を両断するだろう。それだけの覇気を放ちながらマユミは戦う覚悟を決めていた。
しかし、その瞬間……
「待て。」
透き通る声が響いた。黒いビキニ型の甲冑を着た黒髪の美女がマユミを制する。マユミの首元に、黒い魔力の輪が浮かび上がる。レオニスが用意したチョーカーが主人を変えて動いていた。それが淡く光るたび、マユミの魔力が軋むように揺れた。さらに、玉座の魔王が、退屈そうに言う。
「あやつらには使い道がある。今は殺すな。」
「御意。ではマユミ、そのように。命令です。」
「……っ」
マユミの歯が軋む。その瞳に、一瞬だけ怒りが宿るが、黒い甲冑の女騎士の"命令"は発動し、黒いチョーカーが強く脈動する。
「ぐ……っ!」
膝がわずかに揺れる。それでも、彼女は倒れない。
◇
「どうして……。」
リシアが呟く。父親である魔王、仲間であるはずの女騎士にチョーカーによる制御を受けているマユミを見て、何かがおかしいと思ったのだ。それは他の6人も感じていた。
「マユミ、あなた……」
フェリの声に、マユミの視線がゆっくりと向いた。そして、その奥にある“何か”を見た瞬間、彼女の表情が変わった。
「……あなたたちが。」
低い声。抑え込まれた感情が、わずかに漏れる。
「あなたたちが、あの時……」
空気が張り詰める。誰もが息を呑んだ。
「アベル様を見捨てた。だから、アベル様は死んだ!」
感情を爆破させたマユミのその言葉に、セレスティアの瞳が揺れる。
「……。」
マユミの指が、戦扇を強く握る。
「1人で戦っていた彼を。最後まで戦っていた彼を。
あなたたちは……誰も…心配してしなかった。ううん。気にしてすらいなかった!」
声が震えていた。
怒りではない。
もっと深いもの。
絶望に近い感情だった。
「違う……私たちは……!」
リシアが叫ぼうとする。だが、その言葉は続かなかった。マユミの魔力がさらに一気に膨れ上がったからだ。
「指輪のことは聞いたわ。でも、それは私達とは違う。」
マユミは自分の首に嵌められた忌まわしきチョーカーを指差す。
「私とメアはどうしようもなかった。アベル様を助けたかったのに、それを許して貰えなかった。」
ミリアが崩れ落ちる。倫理を無視してそのチョーカーを作ってしまった責任が重くのしかかり、立っていられなくなったのだ。
戦扇がゆっくりと開き、わずかに風が巻き起こり始める。
「でも、あなたたちには身体を動かせる自由があった!ろくな治療や食事や、睡眠すら満足に与えられなかったアベル様に何もしなかった。私とメアが、彼を巻き込むような攻撃をさせられているのを止めることだって……なのに、どうして、誰も何もしなかったの?。なんで見ないふりが出来たの?」
その言葉にエリスが、クラリスが、ルナが強く動揺する。回復もせず、まともな食事も与えず、魔力を搾取していたのは彼女達なのだ。
「ドラゴンの時だって、彼が、どれだけ傷ついても立ち続けていたのは私達のためだった。私達は転移して逃げてしまったけれど、彼はずっと戦っていたわ。」
リシアとフェリが目を逸らす。いたたまれない気持ちのやり場に、どうしてよいかわからなかった。
「ミスリルゴーレムだってそう。アベル様がどんなに無茶をして、あれを狩ってきたかわかってるの?」
セレスティアが項垂れた。彼女にはわかっていたはずだった。10年以上誰も討伐出来なかったミスリルゴーレムを1人で倒し、それを私の祖国のために提供してくれた。学院祭初日の朝、酷く消耗してボロボロになっていたアベルの姿を今更ながらに思い出して、自らの傲慢さと厚顔無恥さに自暴自棄になりそうだった。それを両手を握りしめて堪える。
「あなたたちは、アベル様にあまりにも多くのものを与えられておきながら、アベル様に何もしなかった。」
その声は、次第に熱を帯びていき、マユミの瞳から小さな雫が落ちた。
「あなたたちなら、いつでも気付けたはず。助けることだって出来たはず。私やメアと違って行動までは縛られてはいなかったのだから。でも、あなたたちは何もしなかった。彼のことを見捨てた。彼に何度命を救われても悪態ばかりついていた。」
覚悟を決めてセレスティア達に向かい合うマユミ。
「あそこの男を殺せない以上、憂さ晴らしにもならないでしょうが付き合っていただきます。御覚悟下さい。」
次の瞬間、地面が爆ぜた。
◇
マユミが消えた。それほどの速さで移動していた。
「っ!」
フェリが反応するより早く衝撃が走る。そしてフェリとフェリの後ろにいたセレスティアの身体がまとめて吹き飛ばされた。
「ぐっ……!」
彼女達が壁に叩きつけられる。観客席がざわめく。
「速い……!」
ルナが杖を構えたが、その瞬間にはもう遅かった。マユミはすでに次の位置にいた。リシアの真横に。
戦扇が一閃する。風圧だけで、地面に亀裂が走る。
「くっ……防御!」
エリスがリシアを護る魔法障壁を展開する。しかし、扇が触れた瞬間、障壁は紙のように裂けた。
「えっ……!」
衝撃。リシアの身体が後方へ弾き飛ばされる。
「やめてください……!私達の話を聞いてほしい!この戦いには後ろの彼等の命がかかっていて……。」
エリスが叫ぶ。だがマユミは止まらない。止まれない。ヒロイン達が死なないように首輪が彼女の魔力を縛りながらも、その感情だけは止められなかった。
「彼等もあなたたちと一緒。誰もアベル様に手を差し出さなかった!それどころか、アベル様を嘲笑して……石をぶつけて……」
戦扇が再び開くと、風が渦を巻く。
「そんな奴等を気にする必要なんてある? はっきり言わせてもらいますが、アベル様がいないなら貴女達は、ただの敵です。私からアベル様を奪ったヒト族なんて、全員いなくなればいい。」
叫びと同時に、衝撃波が放たれる。エリスとルナがまとめて吹っ飛んで壁にあたり、そのまま気絶した。
「だからといって、彼等を見捨てるわけにはいかないのです……。アベル様はきっと生きています。彼等を見捨てたら、それこそアベル様に申し訳が立ちませんから。」
かろうじて意識を保っていたセレスティアが、駆け寄ったクラリスの肩を借りて立っていた。そしてよろけそうになりながらも両手をマユミに向ける。両手で印を組んで、それを魔方陣の代わりにして杖などの補助具なしに魔法を放つ彼女のオリジナルスキルだった。
「《テンペスト》」
周囲の小さな瓦礫を巻き込んだ竜巻がマユミを襲う。だが、マユミは慌てることなく戦扇で竜巻をひと撫でして、それを無効化した。
「そんな……」
驚きを隠せないセレスティアとクラリスにマユミは戦扇を振り落とす。
「《グラビティ》」
その瞬間、2人の体に何倍もの重力がかかり彼女達は地にふせさせられた。骨が軋むように身体を重力が抑えつけている。
そしてマユミをみた瞬間からずっと戦意を失い項垂れていたミリアの前にマユミは立った。
「貴女はどうして戦わないの?」
冷たい声でマユミはミリアに尋ねた。
「私が…………ごめんなさい。」
結局、ミリアはそれ以上何も言えなかった。マユミは戦扇を一振りしてミリアを吹き飛ばし、闘技場の舞台に立っているのはマユミだけになった。
◇
静寂。
闘技場に、再び静けさが戻る。マユミは荒い呼吸のまま立っていた。戦扇を握る手が震えていて、首輪が淡く光り続けている。
「……どうして。」
小さな声。
「どうして、誰も……」
その言葉は途中で途切れた。感情が溢れすぎて、言葉にならない。
怒り。
悲しみ。
後悔。
そして、どうしようもないやりきれなさ。
それらすべてが、彼女の中で渦を巻いていた。
◇
玉座の魔王は、その光景を退屈そうに眺めていた。
「まあまあだな。」
ぽつりと呟いた。
マユミはゆっくりと戦扇を下ろす。
倒れ伏すセレスティアたちを見下ろしながら。
その瞳には、勝利の色はなかった。
ただ、消えない痛みだけが残っていた。
「……アベル。」
誰にも届かない声が、闘技場に溶けていく。
そして彼女は、静かに目を閉じた。
やりきれなさだけを胸に抱えたまま。
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セレスティア達がマユミに負けたことで、彼女達が医務室に運ばれた後、元レオニスのゴブリンキングと兵士達の戦いが再開されたが、それはもう戦いと呼べるものではなかった。再開後ものの数分で食欲、性欲の両方を満たして、怪物はその場で寝てしまった
それを見て魔族の科学者が魔王に報告する。
「まだ、燃費に問題があるようですので、急ぎ再調整を行います。少しお時間をいただければと。」
「ふむ。余はあまり気の長い方ではない。わかっているな。」
「もちろんでございます。大急ぎで対応させていただきますので、ひらにご容赦を。」
大量の汗を吹き出して弁明する科学者をよそに、元レオニスの怪物は大きなイビキをかいて闘技場の中央で眠っていた。




