209話 初めての謁見
それから数年が過ぎた。
魔族の子どもたちは、戦闘能力が開花する時期を迎え、次々と大人へと近い姿へ成長していった。角は太くなり、魔力は飛躍的に増し、それぞれが種族固有の能力を身につけ始める。学舎でも、実技の授業が中心となり、生徒たちは互いに力を競い合っていた。
しかし――。
マユミだけは違った。
身体は以前より少し成長したものの、同年代と比べれば依然として幼い。
魔力は平均より高い。座学の成績は常に首席。それでも、肝心の戦闘能力だけは一向に目覚める気配がなかった。
「やっぱり半魔だからか。」
「人族の血が邪魔をしているんだろう。」
教師たちはそう結論づけるしかなかった。マユミ自身も、その言葉を受け入れるしかなかった。
◇
そんなある日の放課後だった。
「マユミ様。」
侍女が図書室へやって来る。
「魔王様がお呼びです。」
その言葉に、本を読んでいたマユミの手が止まった。
「……お父様が?」
「はい。」
生まれてから一度も会ったことのない父。
魔王。
サヤから何度か話を聞いたことはある。強大な力を持ち、すべての魔族を束ねる王。けれど、それ以上のことは知らない。マユミの胸は期待と緊張でいっぱいになった。
もしかしたら、今日初めて、父が自分を娘として見てくれるのかもしれない。
◇
翌朝。
正装に着替えたマユミは、侍女に案内されて玉座の間へ向かう。
巨大な扉がゆっくりと開かれる。
広い謁見の間。赤い絨毯の先に、一人の男が座っていた。
漆黒の角。
威圧感すら感じさせないほど自然な覇気。何もしていないのに、その場の空気すべてを支配している存在。
それが魔王だった。
「マユミ・アークライト、参上いたしました。」
教えられた通り、一礼する。
玉座の上から視線が向けられた。
それだけで身体が強張る。
「面を上げよ。」
低い声が響く。マユミはゆっくり顔を上げた。
父と初めて目が合う。
何か言葉を掛けてもらえる。
そう思った。
しかし、魔王はマユミの姿を一瞥しただけで、その表情からわずかな興味すら消えた。
「……そうか。」
ただ、それだけ。傍らに控えていた側近へ視線を向ける。
「報告書の通りだな。」
「はい。」
「身体の成長も遅く、戦闘能力も未覚醒とのことです。」
「ふむ。」
魔王は机の上の書類へ目を落とした。
「期待したほどではなかったか。」
その声には怒りも失望もない。ただ事実を確認しただけの響きだった。それが、かえってマユミの胸に突き刺さる。
「……。」
何か言わなければ。頑張って勉強していること。魔法も努力していること。いつか役に立ちたいと思っていること。伝えたいことはたくさんあったが、口は動かなかった。魔王はすでに書類へ視線を戻していたからだ。
「下がれ。」
短い一言。それだけで謁見は終わった。
◇
マユミは静かに一礼し、踵を返す。
玉座の間を出るまで、一度も振り返らなかった。
扉が閉まる。重い音が廊下へ響いた。
その瞬間、張りつめていた糸が切れる。
「……あ。」
期待していた。
ほんの少しだけ。
「よく来た。大きくなったな。」
そんな一言でもいい。父親らしい言葉を掛けてもらえるのではないかと。だが、それは叶わなかった。期待されていたのは娘ではなく、魔王の血を引く後継者としての才能。その期待に応えられないと分かった瞬間、父の興味は失われた。
それだけだった。
「マユミ。」
廊下で待っていたメアが駆け寄ってくる。
「どうだった?」
マユミは少しだけ笑った。
「……終わったよ。」
「それだけ?」
「うん。」
それ以上は言えなかった。言葉にしてしまえば、胸の奥の痛みまで本物になってしまう気がしたから。
メアは何も聞かなかった。ただ、そっとマユミの手を握る。その小さな温もりだけで十分だった。マユミは俯いたまま、小さく握り返す。
父は自分を見てくれなかった。
けれど、隣には自分を見てくれる友達がいる。
そのことだけが、今のマユミを支えていた。
◇
一方、玉座の間では魔王が再び政務へ戻ろうとした、その時だった。
玉座の間の大扉がゆっくりと開く。
「東方遠征より帰還いたしました。」
重厚な漆黒の鎧をまとった一人の将が、静かに玉座の前へ跪いた。
デュラハン将軍が長き遠征を終えた英雄の帰還に、玉座の間の空気がわずかに変わる。
そして、この帰還が、マユミの運命を大きく変えることになるとは、まだ誰も知らなかった。




