207話 初めての友達
涙で濡れた瞳と、マユミの視線が交わる。
サキュバスの少女は慌てて目元を袖で拭いた。
「ご、ごめんなさい!」
勢いよく立ち上がった拍子に、本が何冊も床へ落ちる。
「あっ……!」
「大丈夫?」
二人は同時に本へ手を伸ばした。指先が触れそうになり、少女は慌てて手を引っ込める。
「ご、ごめん……。」
「謝らなくていいよ。」
マユミは落ちた本を拾い集め、少女へ差し出した。
「はい。」
「……ありがとう。」
少女はおずおずと本を受け取った。沈黙が流れる。
図書室にはページをめくる音だけが響いていた。
「……あの。」
マユミが口を開く。
「泣いてた……よね?」
少女は肩を震わせる。
「見ちゃった?」
「うん……。」
「忘れて。」
それだけ言うと俯いてしまった。マユミは少し困ったように笑う。
「ごめん。でも、一人で泣いてるのを見ると心配になっちゃって。」
その言葉に、少女はゆっくり顔を上げた。そこには同情ではなく、本当に心配そうな表情だけがあった。
「……変わってるね。」
「そうかな?」
「みんななら笑うのに。」
マユミは少しだけ寂しそうに笑った。
「私も、よく笑われるから。」
◇
「私はメア。」
少女はぽつりと名乗った。
「私はマユミ。」
「知ってる。」
メアは苦笑する。
「王女様でしょ。」
「……そうだけど。」
「ごめんね。私も最初、小さい子が迷い込んだのかと思った。」
マユミは苦笑した。
「やっぱり、そう見えるよね。」
「うん。」
「でも、本当に同い年なんだ。」
「知ってる。」
二人は顔を見合わせる。そして、どちらからともなく笑ってしまった。その笑顔は、マユミが乳母を亡くして以来、初めて心から浮かべた笑顔だった。
◇
「さっき、どうして泣いてたの?」
マユミが尋ねると、メアは机の上の答案用紙を差し出した。そこには赤字で大きく書かれている。
実技 十八点
その数字を見て、マユミは思わず目を丸くした。
「座学は普通なんだけどね。」
メアは苦笑する。
「支援魔法ならできるんだけど、攻撃魔法だけは本当に苦手なの。」
基本とされる攻撃魔法が使えないというだけで、周囲からは「落ちこぼれ」と呼ばれていた。
「先生にも、『このままじゃ進級できないぞ』って言われちゃった。」
メアは笑っている。けれど、その笑顔はどこか無理をしているように見えた。
「私は何をやっても駄目。友達もいないし。きっと将来も役に立てない。」
その言葉を聞いて、マユミは首を横に振った。
「そんなことない。」
「え?」
「私も友達いないよ。」
「えっ?」
「みんな、小さいって笑うから。」
メアはぽかんとした。
「王女様なのに?」
「王女だからかな。」
マユミは少しだけ笑う。
「みんな、私じゃなくて『王女』としか話してくれない。」
その言葉を聞いたメアは、小さく息を吐いた。
二人はしばらく黙っていた。
不思議だった。初めて会ったばかりなのに、相手の気持ちが少しだけ分かる気がした。
◇
図書室を出る頃には、外は夕焼けに染まっていた。
「メア。」
「なに?」
「また明日もここに来る?」
「うん。」
「じゃあ、私も来る。」
メアは少し驚いた顔をする。
「私なんかと?」
「うん。」
「迷惑じゃない?」
「全然。」
マユミはにこりと笑った。
「話してて楽しかったから。」
その一言に、メアは目をぱちぱちさせた。そして、照れくさそうにはにかむ。
「……私も。」
短い言葉だった。けれど、その一言だけで十分だった。
二人は並んで校門まで歩く。誰かと一緒に帰ることが、こんなにも温かいものだとは知らなかった。
マユミはふと空を見上げる。
サヤを失ってから初めて、胸の奥の寂しさが少しだけ和らいだ気がした。
――もしかしたら。
――この子となら。
そんな予感を胸に抱きながら、二人の少女は夕焼けの道をゆっくりと歩いていった。




