206話 居場所のない教室
春。
マユミは魔王城に併設された学舎へ通い始めた。魔王軍の将や貴族、その重臣の子女たちが学ぶ名門校である。校舎へ入ると、多くの視線が一斉に集まった。
「あれが王女様?」
「本当に?」
「思ってたより小さい……。」
囁き声は隠す気もない。
マユミは俯いたまま教室へ向かった。
◇
教室では既に多くの生徒が席についていた。名簿通りに席へ座ると、隣の席の男子生徒が声を掛けてくる。
「ねぇ。」
「……はい。」
「お姉さんはどこ?」
マユミはきょとんと目を瞬かせた。
「……え?」
「保護者と一緒じゃないと迷子になるだろ?」
教室中から笑い声が漏れた。
「違うよ。」
「この子が王女様なんだって。」
「えぇ!? 本当に同い年なの?」
「小さすぎるだろ。」
また笑いが起きる。マユミは何も言い返せなかった。反論すればするほど面白がられるだけだと分かっていたからだ。
◇
授業が始まる。
歴史、魔法理論、魔族語。
勉強そのものは難しくなかった。
サヤを亡くしてから必死に努力を続けてきた成果もあり、教師の問いには誰より早く答えられる。
「正解です。」
教師が頷く。だが、その直後…
「勉強しかできないんだ。」
「やっぱり王女様は特別扱いなんだろ。」
後ろから小さな声が聞こえた。
教師は聞こえないふりをする。
それ以上、教室が静かになることはなかった。
◇
昼休み。
教室のあちこちで昼食が始まる。
友達同士で笑い合いながら食べる生徒たち。
マユミは一人、窓際の席で静かに食事を取っていた。
「そこ、いい?」
思わず顔を上げる。一瞬だけ期待してしまった。だが声を掛けてきた女子生徒は、返事を待たず椅子を持ち上げる。
「あ、ごめん。」
「やっぱ狭いから向こう行こ。」
「そうだね。」
二人は笑いながら別の席へ行ってしまった。残された椅子だけが、寂しく揺れている。
マユミは視線を落とした。胸の奥が少しだけ痛んだ。
◇
放課後。
校庭では魔法訓練が行われていた。同年代の魔族たちは次々と魔法を放ち、剣を振るう。身体能力も魔力量も、自分とはまるで違う。
「マユミ様もやってみますか?」
教師に促される。言われるまま魔力を練る。
しかし、放たれた魔弾は途中で霧散してしまった。
「また失敗か。」
「半魔だから仕方ないよ。」
「王女なのに弱いんだな。」
聞こえないように囁いているつもりなのだろう。だが、その言葉は一つ残らず耳へ届いていた。
教師はため息をつくだけだった。
「今日はここまでです。」
それだけ告げると訓練は終わった。
◇
帰り道。
マユミは誰とも話さず校舎を歩いていた。ふと廊下の端にある図書室の扉が目に入る。静かで、人も少ない。恐る恐る中へ入ると、本棚が整然と並び、紙の香りが漂っていた。
「……ここなら。」
誰にも笑われない。
誰にも見られない。
マユミは一冊の本を手に取り、窓際の席へ座った。
ページをめくる音だけが響く。
その静けさが、不思議と心地よかった。
以来、昼休みも放課後も、マユミは図書室で過ごすようになる。それが彼女にとって、学校で唯一落ち着ける場所になった。
◇
数日後。
いつものように図書室の扉を開ける。だが、その日は普段と違う音が聞こえた。
すすり泣く声だった。
「……?」
本棚の奥から、小さな泣き声が漏れている。マユミは足音を忍ばせながら近づいた。そこには、机に突っ伏して肩を震わせる一人の少女の姿があった。
背中には、小さな黒い翼。
サキュバスの少女だった。
マユミは少しだけ迷う。
けれど、サヤならきっと声を掛けていただろう。
「……あの。」
少女はびくりと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げる。涙で濡れた瞳と、マユミの視線が初めて交わった。
この出会いが、孤独だった二人の運命を大きく変えることになるとは、まだ誰も知らなかった。




