199話 届かない想い
マユミが生まれた日。母娘は永遠に引き離された。
赤子は城の別棟へ。捕虜となっていた一人の人間の女性が乳母となり、マユミを育てることになった。
それが魔王の決定でミユキはただの一度も娘を抱くことすら許されなかった。
◇
それからの日々は、あまりにも静かだった。
マユミの様子は知らされない。
元気なのか。
泣いているのか。
何一つ知らされていない。
部屋の小窓から見える空を眺めながら、ミユキは毎日、娘の無事を祈ることしかできなかった。
(お願い……せめて幸せに生きて。)
その祈りが娘へ届くことはない。マユミもまた、母が自分を想っていることを知る術はなかった。
◇
ある日。
牢番たちの何気ない会話が、ミユキの耳へ届いた。
「まだ生きてるらしいな。」
「ああ、あの元近衛隊長とかいうヒト族の男か。」
「ジャポネの生き残りどもから、ずいぶん恨まれてるらしいぞ。」
一瞬、ミユキの呼吸が止まる。
(……カズマ。)
生きていた。それだけで胸が熱くなる。
だが、続く言葉は、刃のように心を切り裂いた。
「『あいつが最後まで降伏に反対した結果が今の現状だ』って恨まれてたな。」
「『早く属国にでもなっておけば今よりはマシだったはずだ』とも言われてたぞ。」
「『女王を魔王に差し出さず皆を最後まで戦わせて殺した』とも言われてたな。」
笑い声が遠ざかる。
◇
「違う……。」
思わず声が漏れた。
「違う……。」
何度も繰り返す。
「違う!」
鉄格子へ縋り付きながら叫ぶ。
「カズマは悪くない!あの人は最後まで、最後まで……私を、皆を守ろうとしてくれていた!」
涙が止まらない。
◇
思い出す。
炎に包まれた王都。
崩れる城壁。
迫り来る魔王軍。
最後の最後まで、自分の前へ立ち続けた一人の騎士。
傷だらけになっても。
血を流しても。
剣を離さなかった。
(悪いのは私。私がもっと早く決断していれば。私がもっと強ければ。私が王として未熟だったから。)
全部、自分の責任だった。
なのに、責められているのはカズマだった。
ミユキは静かに目を閉じた。
自分が責められることは受け入れられる。
王だった自分が最後まで国を守れなかった。
その責任から逃げるつもりはない。
だが、
(どうして。どうしてカズマが……。)
◇
ミユキは誰よりも民を愛していた。
幼い頃から城下町へ足を運び、
病人を見舞い、孤児院へ通い、
飢えた者へは食料を届けた。
王となってからも。
税を減らし、
災害があれば真っ先に現地へ向かった。
王宮より、民の笑顔を優先してきた。
(足りなかったの……?私は何を間違えたの……?)
答えは出ない。
◇
その夜。
部屋の扉が開いた。そこにいたのは魔王だった。
「随分と落ち込んでいるな。」
ミユキは睨み返す。
「……あなたが流した噂でしょう。」
「さあな。」
魔王は肩を竦めた。
「だが面白いものだ。人間は敗北すると、英雄よりも責任を押し付ける相手を探し始める。」
「違う!」
ミユキは叫ぶ。
「皆がそんな人じゃない!騙されているだけです!」
「そうか。」
魔王は笑った。
「そう思いたいのなら、それでいい。」
その笑みが、ミユキには何より恐ろしかった。
◇
魔王が去ったあとも、眠ることはできなかった。
もし本当に民がカズマを責めているのだとしたら…
もし本当に自分を憎んでいるのだとしたら…
その現実を受け止めることはできるだろうか。
「……いいえ。」
小さく首を振る。
「違う。きっと違う。皆、騙されているだけ。」
そう信じるしかなかった。
そう信じなければ、自分が命を懸けて守ろうとした国そのものを、信じられなくなってしまうから。
◇
一方、その頃、地下深く別の牢獄に鎖へ繋がれた男が、静かに天井を見上げていた。
全身には無数の傷跡。
それでも瞳だけは死んでいない。
牢番たちの会話が耳へ届く。
「元女王が子を産んだそうだ。半魔だが、魔王様との子だけあって、相当な逸材らしい。」
その瞬間、その男、カズマの身体が震えた。
「……そうか。」
小さく呟く。拳を強く握り締める。
(守れなかった。ミユキを……)
胸が締め付けられる。
もっと強ければ。
もっと早く魔王へ届いていれば。
何度考えても、答えは同じだった。
魔王と不甲斐ない自分への怒りだけが、今のカズマを生かしていた。




