200話 壊されていく心
娘を奪われてから、どれほどの月日が流れたのか。隔離部屋の中では、季節の移ろいすら曖昧になっていた。
それでもミユキの願いだけは変わらない。
脳裏に浮かぶのは抱くことすら許されなかった我が子とカズマの姿。
(皆、どうか、生きていて。)
その願いだけが、彼女の心を繋ぎ止めていた。
◇
ある日。
重い鉄扉が開く。
「出ろ。」
魔族兵が短く命じた。抵抗する理由もない。鎖を掛けられたまま、ミユキは静かに立ち上がる。
◇
連れて来られたのは、城の外れに造られた広場だった。そこには数え切れないほどの人影がある。
魔族ではない。かつてイヤマ王国で暮らしていた人々。見覚えのある顔も混じっている。戦を生き延び、魔王の支配下で辛うじて命を繋いできた元国民たちだった。
「……みんな。」
思わず声が漏れる。
痩せ細った顔。
疲れ切った瞳。
かつて笑顔で迎えてくれた人々の面影は、ほとんど残っていなかった。
一段高い場所から見下ろす形で魔王が告げる。
「元イヤマの民たちよ。貴殿らの今の現状を作り出した女王に言いたいことがあれば言うがよい。」
突然集められ、目の前に現れたかつての君主。首と両腕に魔封じの枷をつけられてはいるものの、今も変わらない美貌と気品を保ったミユキをみてざわめきが起きる。
「あの人を返してよ…」
誰かが発したそんな言葉を引き金に次々と溜め込んでいた不満がミユキに浴びせられる。群衆の中から怒号が次々と上がった。
「息子が死んだのはあんたのせいよ。」
「どうして、私たちがこんな目に…」
「家族を返せ!」
「なんであんたは、そんなに身綺麗なんだよ…。」
「俺たちは毎日ろくに食ってないんだぞ!」
その場に崩れ落ちそうになるも、首輪についた鎖で無理矢理立たされ続けるマユミ。何かを発しようとしても言葉が出ない。
カコン。
誰かはわからないがマユミに小さな石を投げつけた。すると皆がこぞって石を探して投げつけ始める。
大きめの石がマユミの顔面に向かって今にも当たりそうなとき、マユミの前に立って庇う者が現れた。
背中に大きな石が当たり、小さな呻き声をもらす。男の顔と身体は痩せ細り、当時の屈強な身体は見る影もないが、一日たりとも忘れたことのない男がそこにいた。その瞳だけは昔と何も変わっていない。男はミユキを見ると、小さく笑った。安心させるような笑みだった。
「大丈夫か、ミユキ……」
「カズマっ!!!」
カズマも首と両腕に鎖がつけられており、2人は触れ合うどころかそれ以上近づくこともできない。しかし、カズマは身体を張って、かつての民から投げつけられる石からミユキを護っていた。
「カズマ、もうやめて。私のことはいいから…」
「大丈夫だ。お前のことは俺が守る。」
石が徐々に大きくなり、当たった衝撃によりカズマがよろけることも増え始める。頭からの出血が目に入り目が見えにくくなっていた。
「民よ。全ては私の責任です。不満をぶつけるなら私に!」
そんなミユキの悲痛な叫びも、民に届くことはなく、投石はなおもカズマを削っていく。
(違う。違う……。みんな、本当は分かっているはず。誰かに騙されているだけ。)
そう思わなければ、自分が壊れてしまう。
「ミユキよ、これがお前の愛した民だ。」
だが、魔王が笑いながら告げた。
「もうやめさせて!やめさせて下さい!お願いします。何でもしますから!!カズマを助けて!!」
魔王はニヤリと笑ってミユキに提案する。
「ならば、1度だけお前の得意なあの攻撃魔法の使用を認めてやろう。お前であれば、それでここにいるヒト族を皆殺しにするぐらいは容易な筈だ。」
「そ、そんなこと出来る訳がない!」
(極大爆裂魔法なんて使ったら、ここにいる全ての民が消滅してしまう。でも、カズマが……)
魔王は笑う。
「早くせねば、カズマとやらは死んでしまうぞ…」
目の前で石を投げるかつての民。そこには痩せ細ってはいるが見覚えのある少女の姿もあった。その小さな子も小さな石をなげながら「お母さんを返して!お父さんを返して!」と涙を流して訴えている。
マユミは手を前に向けたものの魔法を行使することは結局、出来なかった。そして、遂にカズマに限界が訪れる。一際大きな石が頭に当たり、そのまま倒れて首輪に吊られる姿勢で意識を失った。頭の傷口からは大量の血が流れている。最後の最後までカズマはミユキを護り通したのだった。
「……カズマ!」
ミユキが叫ぶが、既に彼は事切れていた。そこへ魔王が近づくと投石がピタリと止まる。間違って魔王にあたるのを皆、恐れたのだ。魔王はカズマの亡骸に向けて魔法を放つ。
「《ターン・アンデッド》」
邪悪な魔力がカズマだった亡骸を包み込みと、全て吸い込まれて項垂れていた頭が上がった。しかし、その顔に先ほどまでのような生気はなく、涎を垂れ流して視線を漂わせている。
「リビングデッドよ。後ろにいるヒト族を蹂躙しろ。」
「ぐ…ぎ……が……がはぁ!」
カズマを拘束していた鎖が放たれて、振り返ると先ほどまで石を投げつけていた民達の顔が恐怖に染まる。
それからは阿鼻叫喚の地獄絵図としか表現の使用のない光景が広がった。
「カズマ、もうやめて! 魔王様、やめさせて下さい!こんなの酷すぎます!!」
しかし、そんな願いは叶えられるはずもなく、ミユキの目からとめどなく涙が溢れる。
「ごめんなさい……私が動かなかったせいで……」
声は届かない。それでも、その口元は確かに動いていた。
『違う』
そう言っているように見えた。
◇
やがて。カズマの亡骸だった生ける屍は静かに動きを止めた。多くの民の亡骸を盾に生き残った住民が四方八方からカズマだった魔物を押し潰したのだ。
しかし、それまでにこの場に集まった元イヤマの民の半数が命を落とす結果になった。そのことが、ミユキに対する風当たりをさらに強いものにしていった。
◇
その時のことを、ミユキはよく覚えていない。
誰かの悲鳴。
誰かの怒号。
群衆のざわめき。
すべてが混ざり合い、世界から音が消えた。
気が付けば、
カズマの姿は、もうそこになかった。
膝から力が抜ける。
「……嘘。」
声にならない。涙だけが止めどなく流れていく。
魔王は静かにその様子を眺めていた。
「どうした?お前は民を愛していたのだろう?民がお前を愛さなくなっても、まだ愛せるか?」
「………。」
(悪いのは魔王。全部……魔王が仕組んだこと。)
何度も何度も、自分へ言い聞かせる。
だが、心の奥底へ、小さな棘が刺さったままだった。
(どうして……どうして誰も、カズマを助けてくれなかったの…。)
その問いだけが消えることなく、静かに胸の奥へ沈んでいった。




