195話 滅びの日
西方国境。
イヤマ王国最後の防衛線には数万の兵が整然と陣を敷いていた。
最前列には重装歩兵。
後方には魔導師隊。
さらにその後ろでは弓兵が一斉射撃の準備を整えている。
女王ミユキは馬上から静かに全軍を見渡した。
「皆。今日ここで、この国の未来が決まります。」
その声は決して大きくない。
それでも兵士一人ひとりの胸へ届いた。
「私は最後まで皆と共に戦います。」
兵士たちが一斉に剣を掲げる。
「女王陛下万歳!」
「イヤマ王国万歳!」
その雄叫びは大地を震わせた。ミユキの隣では近衛隊長カズマが静かに剣を抜く。
「必ず守る。」
誰へ向けた言葉なのか。それを聞く者はいなかった。
◇
対する魔王軍の黒い軍勢は地平線の彼方まで続いていた。
ゴブリン。
オーク。
飛竜。
巨獣。
その全てが、ただ一人の男の命令を待っている。
魔王と呼ばれるその男の黄金色の瞳が王国軍を見下ろしていた。
「なるほど。ヒト族にしては悪くない。」
静かな笑みを浮かべると、側近の魔族が頭を下げた。
「陛下。先鋒を向かわせますか?」
魔王は退屈そうに首を横へ振る。
「面倒だ。終わらせよう。」
その一言だけだった。
◇
魔王はゆっくりと前へ歩き出す。
誰も止めない。
止める必要がない。
それが魔王だった。
王国軍の兵士たちは、その姿を見て息を呑む。
「あれが……魔王。」
圧倒的な威圧に立っているだけで膝が震える。
だが、ミユキはその手の戦扇を前に掲げた。
「全軍。迎撃準備!」
魔導士たちが詠唱を開始すると巨大な魔法陣が幾重にも展開される。
「放て!」
数百発の魔法が一斉に魔王へ襲い掛かった。
炎。
雷。
氷。
暴風。
王国最高峰の一斉攻撃。
だが、魔王は歩みを止めなかった。片手を軽く上げるだけで轟音と共に全ての魔法が霧散した。
消えた。まるで何事もなかったかのように。
「……な。」
魔導士たちの顔から血の気が引く。
◇
魔王は人差し指を前へ向ける。
「失せろ。」
黒い光が走った。
次の瞬間には王国軍中央が消えた。
爆発ではなく消滅。
兵士も
城壁も
魔導砲も
地面ごと抉り取られていた。
数千人が、一瞬で姿を消した。
◇
「そんな……。」
誰かが呟く。
戦場は静まり返った。
絶望とは、音すら奪う。
◇
「突撃!」
カズマだけが叫んだ。
「陛下を守れ!」
近衛隊が一斉に駆け出す。彼らは王国最強の選び抜かれた精鋭だった。
しかし、魔王は彼らを見ることすらしない。軽く腕を払うと黒い衝撃波が広がる。それだけで近衛隊はまとめて吹き飛んだ。鎧ごと砕かれ、地面を何十メートルも転がる。
それでも、カズマだけは立ち上がった。
「まだだ!《炎焔剣》」
全身を血で染めながら剣を握り、炎を刀身に纏わせた魔法剣で魔王へ斬り掛かった。だが、魔王はその剣を二本の指で止める。
「ほう。ヒト族にしては面白い。」
次の瞬間、カズマの身体は地面へ叩きつけられた。骨が砕ける音が響く。それでも彼はミユキを見た。
「……逃げろ。」
◇
ミユキは動かなかった。
逃げない。
王だからではない。
カズマを置いて逃げることなど、できなかった。
魔力が全身を包む。女王の持つ膨大な魔力で、戦扇を媒介に、この王国を最強たらしめた魔法である"極大爆裂魔法"の魔法陣が展開される。
「これが私の全力です!」
白銀の光が戦場を照らす。
巨大な光の奔流が魔王へ放たれた。
◇
魔王は初めて足を止めた。
「……ほう。」
僅かに興味を示す。しかし、右手を前へ突き出すだけで十分だった。白銀の光は黒い魔力へ飲み込まれ、音もなく消滅する。
「悪くないな。」
魔王は笑った。
「殺すには、惜しい力だ。」
◇
「捕えろ。」
その命令だけで戦いは終わった。
魔族たちが一斉に動く。満身創痍のミユキはなお剣を構える。しかし数に抗えるはずもない。拘束具が両腕へ嵌められ膝をつく。
「放せ!」
叫んでも誰も止まらない。その視線はカズマを探した。彼もまた魔族に拘束されていた。生きてはいるが意識はない。その姿を見た瞬間だけ、ミユキは安堵した。
魔王は二人を見下ろし、静かに笑う。
「この女にだけは、まだ利用価値があるが国は要らん。このまま城を落とし、逆らう人間は皆殺しにしろ。」
その一言で、東方に栄えた島国イヤマ王国は、歴史から姿を消した。




