194話 迫り来る黒き軍勢
春の終わり。
王都には、穏やかな風が吹いていた。城下町では祭りの準備が始まり、子どもたちは笑いながら走り回る。市場には新米や魚介が並び、商人たちの威勢の良い声が響いていた。その平和を疑う者は、誰一人としていなかった。
◇
その日、一隻の小型船が王都の港へ滑り込んだ。帆は破れ、船体には無数の傷。船員たちも皆、疲弊しきっている。
「急げ!王城へ!」
港の兵士たちは異変を察し、すぐに船員たちを城へ案内した。
◇
王城、謁見の間。
女王ミユキの前に、一人の使者が膝をつく。
「申し上げます!西方交易都市イサナが……陥落いたしました!」
場の空気が一変する。
「原因は?」
ミユキが静かに問う。
「魔物です!これまで見たこともない規模の魔物の軍勢!都市は一日で壊滅しました!」
ざわめきが広がる。
西方交易都市イサナはイヤマ王国の玄関口とも呼ばれる港町。
そこが一日で滅んだとは信じ難い報告だった。
◇
近衛隊長カズマが一歩前へ出る。
「生存者は?」
「ごくわずかです……。逃げ延びた者の証言では、魔物を率いていたのは……黒い鎧を纏った巨大な角を持つ騎士。」
「角……?」
家臣の一人が息を呑む。
「まさか……。」
別の老臣が顔色を変えた。
「魔族。つまり、魔王軍だというのか。」
◇
ミユキは静かに立ち上がる。
「確認します。その軍勢は、どこへ向かっていますか?」
使者は震える声で答えた。
「東です。進軍速度から見て……。狙いは間違いなく、この王都です。」
沈黙。
誰も言葉を発せない。
やがてミユキが口を開いた。
「非戦党員の住民に避難命令を。西部沿岸の住民を、すべて内陸へ。急ぎ各領主へ伝令せよ。戦闘職関係者は総動員体制へ移行します。」
その声に迷いはない。
「兵糧を確保。港は封鎖。国境沿いの砦へ援軍を送ります。」
「「「はっ!」」」
家臣たちは一斉に動き出した。
◇
人払いの済んだ執務室にはカズマだけが残っていた。
「ミユキ。相手は魔王軍かもしれない。君が前へ出る必要はない。」
ミユキは首を横へ振る。
「王が最後まで国民の前へ立たずして、誰がこの国を守るのですか。」
「しかし。」
「私はこの国の女王で、最高の魔導師の一人です。」
その一言で、カズマは口を閉ざした。
◇
しばらく沈黙が流れる。
やがてカズマは静かに笑った。
「分かった。なら俺も最後まで付き合う。」
「ありがとう。あなたがいてくれるだけで心強いです。
ミユキも微笑む。
その笑顔を見たカズマは、小さく目を細めた。
(必ず守る。この国も。この人も。)
誰にも聞こえない誓いだった。
◇
一方、その頃。
燃え落ちた都市の跡地を、黒い軍勢が静かに進軍していた。
空を埋め尽くす飛竜。
地を揺らす魔獣。
数え切れないほどの魔物。
そして、その中央には漆黒の玉座のような巨大な魔物へ腰掛ける一人の男。
長い黒髪。
二本の角。
黄金色の瞳。
その男こそが魔王だった。
「東方最強の人間国家。」
魔王は愉快そうに笑う。
「さて、どれほど私を楽しませてくれるかな。」
その背後では、魔族の将たちが静かに跪く。
圧倒的な軍勢は、ゆっくりと、だが確実にイヤマ王国へ向かって進軍を続けていた。




