190話 失われた時間と祈り*
魔王城・地下牢
メアは座って、ぼんやりと天井を見上げていた。
チョーカーは外されている。だが、その事実に対しても、まだ現実感が薄い。
(……何か、大事なことを忘れている気がする)
記憶は曖昧だった。まるで霧がかかった水面のように、必要な部分だけが抜け落ちている。
残っているのは断片だけ。
戦場。
命令。
そして――アベル。
◇
(アベルに、何もできなかった)
その感覚だけが、妙に鮮明だった。
何も守れなかった。
何も止められなかった。
それなのに。
(……違う)
メアは小さく首を振る。
(それだけじゃない)
◇
ぼんやりとした記憶の底に、ひとつだけ焼き付いている場面があった。
自分の身体が勝手に動いた感覚。
魔力が引きずられるように展開されていく感覚。
そして――
その魔法の先に、アベルがいた。
◇
(私……あの人を……)
喉の奥が詰まる。
言葉にすることすら拒まれる記憶。
(害そうとした)
その瞬間、胸の奥に強烈な痛みが走った。
(違う。
あれは私じゃない。
でも……私の手だった)
メアは両手を見つめる。
この手で、
あの人へ向けて、
魔法を放った。
◇
(レオニス)
その名前が浮かんだ瞬間、感情が鋭く変わる。
怒り。
(あいつが命令した)
明確な怒りだった。
(私にアベルを……)
拳が震える。
(許せない。あいつは……あいつだけは……)
記憶は完全ではない。だが“命令された”という事実だけは、感覚として残っている。それが余計に、怒りを増幅させていた。
やがて、メアは視線を落とす。
胸元に手を当てた。そこにまだ消えていない痕跡があることを確認する。
それは従魔契約の紋章。
アベルと結ばれた、あの印。
(……まだ残ってる)
小さく息を呑む。
從魔契約をした魔族を他に見たことがなく、主人から從魔への生命力の提供はあっても逆はない。だから、この紋章が残っていることがアベルの生存を示すもかどうかはわからない。ただの“繋がり”の残滓なのか、それとも……。
だけど、信じたい。
メアはそれをそっと両手で包み込むように押さえた。
(アベル……まだ、生きてるよね)
確証はない。
情報もない。
それでも、そうであってほしいという願いだけが、胸の中にあった。
(お願い。死なないで……
まだ……間に合うなら…どうか、無事でいて)
メアは目を閉じる。
祈りの形を知らない。それでも、それは祈りに近いものだった。
静かな部屋の中で、彼女はただひとつの存在の無事を願い続けていた。
いい絵が出来たので、直前で差し替えました。
如何でしょうか?




