189話 幻*
魔王城の地下牢。
冷たい石床に膝をついたまま、セレスティアはただ一点を見つめていた。
あの指輪を外した瞬間から、今までの記憶がすべて溢れ出した。
そして同時に――
自分が“何をしていたのか”を、ようやく理解してしまった。
(……どうして……私は、あんなことを)
◇
視界が揺れる。
牢の冷たい闇の中に、ひとつの気配が立ち上がった。
『姫様』
エマの声だった。
しかしセレスティアは、すぐにそれが現実ではないと分かっている。
ここは魔王城の最奥でエマが来られる場所ではない。
それでも、目の前には彼女がいた。
「エマ……」
セレスティアの声はかすれていた。
「どうして……あの時、あんなに怒っていたのか、やっとわかったの。今更だけど……。」
エマは静かに首を振る。
『ようやく、気づかれたのですね』
その言葉に、セレスティアの胸が締め付けられる。
「私は……何を間違えたの?」
問いかけた瞬間、記憶が流れ込む。
アベル様のために作られたミスリルの装備をレオニスへの報奨にすると告げたあの日のエマの顔。初めて見た、あの強い怒り。
『……当然です』
エマの声は静かだった。
『怒ります……当然、怒ります』
セレスティアは顔を上げる。
「でも私は……正しい判断をしたつもりだった。少なくともあの時は。」
エマは一歩近づく。
『“誰のための正しさ”ですか?』
その言葉に、セレスティアは言葉を失う。
(王国のため、レオニスのため、合理的な選択…)
しかし、そのどれにも“アベル”はいなかった。
◇
セレスティアの喉が震える。
「私は……何も返していない。返せなかった。」
その瞬間、エマの表情がわずかに変わる。
『まだ間に合います』
セレスティアは小さく笑った。それは自嘲だった。
「間に合う?そんなわけ……」
視線が落ちる。思い出すのは、最後に聞いた報告。
魔王軍との戦いの場に残された人型の大量の血痕。
(あの人が無事であるはずがない)
「アベル様は……もう」
言葉が途切れる。
「亡くなっている。」
その言葉に、牢の空気が一瞬止まる。
エマの瞳が揺れる。
『そんなこと……ありません』
セレスティアは首を振る。
「それが現実よ!私達を逃すために彼は魔王軍とたった1人で戦った。相手は一個師団にも匹敵する軍勢で、とても1人で戦い抜ける相手では無いもの。」
戦場に残されていた大量の魔族や魔物の死体が、その戦闘の壮絶さを物語っていた。
声が崩れていく。
「それなのに私は、何も返さず……何も言わず……生き延びるという結果だけを享受した。それも無駄になってしまいそうだけれども…。」
◇
セレスティアは膝に額を押しつける。
「遅すぎたのよ……全部」
エマは強く首を振る。
『違います。まだです。』
セレスティアは顔を上げる。
「まだ……?」
エマははっきりと言った。
『アベル様は生きています』
牢の空気が変わる。セレスティアは目を見開いた。
「そんなはずない……根拠は?」
エマは一瞬だけ黙る。だが視線は揺らがない。
『根拠はありません。ですが、私は信じています。』
セレスティアは力なく笑う。
「それは……希望論よ」
エマは一歩踏み出す。
『希望でも構いません。ですが、死んだと決めつけて止まる理由にはなりません』
その言葉に、セレスティアは息を呑む。
(私はもう……止まっている?)
エマは続ける。
『姫様、まずは謝るべきです。』
セレスティアは目を伏せる。
『今からでも遅くありません。アベル様にちゃんと、お伝えしましょう。』
沈黙。
セレスティアの肩が小さく震える。
(謝る……まだ間に合う……)
その言葉は、あまりにも遠い希望だった。
「……私は……もう遅いと思っていた」
エマは静かに微笑む。
『それでもです』
牢の中で、現実と幻が、わずかに重なり合う。
セレスティアは初めて、自分の“懺悔”の先に何かが残っている可能性を見てしまった。
それが希望か、錯覚かは――まだ分からないまま。
せっかくなのでエマの登場回も作りたくて…。無理矢理ですみません。




