188話 セレスティアの懺悔*
独房の中。
月明かりだけが、小さな窓から静かに差し込んでいた。
セレスティアは冷たい石床へ膝をつき、両手を固く握り締めていた。その左手には、もう絆の指輪はない。
その指輪を外した瞬間から、忘れていた記憶が次々と胸へ押し寄せていた。
⭐︎
(私は……。)
最初に思い出したのは、学院の入学試験の日。私は初めて見る異国の文化に興奮したあまり、大事なお母さんの形見のイヤリングを落としてしまった。困り果てていた私を見かねて、一緒にイヤリングを探してくれたのがアベル様との初めての出会いでした。明日も試験があるというのに、彼は日が落ち始めるまで一緒に探してくれました。私はもう諦めかけていたのに…。彼がイヤリングを見つけてくれた時は本当に嬉しくて、こんな方と一緒に勉強できるんだと心が弾んだのです。それは知らない外国での生活への不安を吹き飛ばすぐらいのものでした。学院に入学してからは何度かアベル様のことを探してみましたが、私の間が悪いのか、結局一度も見かけることなく1ヶ月も過ぎてしまいました。
次に思い出したのは侍女エマのこと。幼い頃からずっと一緒に育った彼女は、姉のように自分を支え、誰よりも自分を理解してくれていた存在でした。野盗に襲われて、そのエマが命を落としかけた時に彼女を救ってくれたのも、後から分かったことですがアベル様でした。彼は何の見返りも求めず、命を懸けてエマを救ってくれたのです。
それから感謝を伝える機会は何度もありました。ですが、武術大会でレオニスを負かした時から、私の中でアベル様は、この世界で最も邪魔な存在だと認識するようになったのです。レオニスのためにアベル様を学院から排除しなければならないと考えて、生徒会や王女の立場までをも利用して、あらゆる手を講じました。今考えれば、特に非があるわけでもない一介の生徒に、ましてや恩人とも言える相手にとんでもないことをしていたのです。
エマは何度も進言してくれていた。
『姫様、アベル様は決してそんな悪い方でも酷い方でもありません。私達のことを命を懸けて救ってくださったのです。』
何度も。
本当に何度も。
それでも私は一才聞く耳を持たなかったのです。
挙げ句の果てに、学院の医務室でボロボロになって今にでも息を取ろうとしていたアベル様を見たとき、私は迷わず彼を見捨てるつもりでした。エマが体を張って治療を求めてくれていなければ、実際に私はそのまま見捨てていたでしょう……。
王都防衛戦でも、ドラゴンとの闘いでも、アベル様は私達を護りながら何度も命を懸けて戦っていました。誰よりも傷付き、誰よりも疲弊し、それでも最後まで前へ立ち続けていたのです。
そしてドラゴンから逃げるために先生から渡された転移スクロール。私は先生の指示を無視して、レオニスの命じるままに、それを使ってしまいました。アベル様を1人残して……。そのことについて、あの時は全く感じなかったアベル様への罪悪感が今になって湧き上がってきます。ですが、あの時は確かに、アベル様が命を賭してレオニスを護ることは王国民として当然の義務であり、レオニスのために命を落とすなら平民なら本望だろうだとすら思っていたのです。
レオニスが魔王に私達を売り飛ばす言葉を発した時、私は全てを諦めました。そして今、私がアベル様にしていたのは、こういうことかと身をもって実感しています。
また、学院祭の展示のためにアベル様が討伐されたミスリルゴーレムを一目見て、すぐに私はそれを祖国の復興に利用したいと考えました、アベル様がアルセリアの窮状をご存じだったのかはわかりませんが、わざわざ物価が安い時代の古い依頼をギルドで発掘してゴーレムとその無傷のコアを納品してくださったのです。ミスリルゴーレムの素体は今オークションをすれば、うちのような小国の国家予算の10年分にも匹敵する額で取引される品です。ですがアベル様のおかげで国、ひいては国民への負担を最小限に抑えながら、アルセリアは失いかけていたミスリル精錬技術の復活まで漕ぎ着けられたそうです。
アベル様はさらには、国に長年潜伏し中枢にまで忍びこんでいた魔族が引き起こすつもりだった計画まで阻止してくれました。その計画とは、アルセリア国民全員を眷属にして国を乗っ取るという恐ろしいものです。また、その魔族は、幼い頃に私が引き起こしお母さまが亡くなる原因となった魔導暴走事故の真犯人でもあったそうです。
私はずっと祖国アルセリア王国を救うには、大国に嫁いで、少しでもよい条件でミスリル以外の生産品の貿易をするしかないと信じていました。それがあの事故を引き起こした私の取るべき責任だと疑っていなかったのです。
ですが、アベル様は、その前提を全てひっくり返してしまいました。
祖国を
王家を
国民を
未来を
すべて救ってくれたのです。
アベル様のしてくれたことは、それほどの偉業でした。
それなのに……私は何をしていたのか。
一言の感謝すら伝えることもせず……
その恩を全て仇で返していました。
マユミさんとエマさんが魔族だと分かった、あの時…アベル様はその身と2人の潔白を訴えておられました。祖国を魔族の魔の手から救ってくれたアベル様が魔族と繋がっている筈がない……それを私が一番理解していなければならなかった筈なのに、私はなんの…一言の弁護もしませんでした。挙げ句の果てに、国からアベル様に直接贈られたものまで、私の独断で当然のようにレオニスに渡してしまったのです。
あの時のエマの顔が脳裏へ浮かびます。
あれほど悲しそうな、あれほど辛そうな、
あれほど怒ったエマを私は初めて見ました。
どうして、あの時にそれが理解出来なかったのか…。
どうして、あの時にもう一度考え直そうと思わなかったのか…。
討伐軍の遠征。
渡したミスリル装備を身につけたレオニスが、アベル様に碌な食事や休息を与えず、ただただ苛立ちを理不尽にぶつけていました。魔導具を使ってマユミさんとメアさんを操り、彼女達にもアベル様に酷いことをさせていました。あの2人はアベル様を護るために、その選択をしたというのに……。一方で、私がした事といえば、レオニスの行いを見ないようにすることだけ……それはレオニスの行動を追認したのと同じです。それとも、その時の醜悪に笑ったレオニスと同じ顔を…私もしていたのでしょうか……。
魔王軍から強襲を受けた時は…
「敵の目的は勇者のようです。」
そうレオニスを含むあの場の討伐隊全員に告げてしまった。その結果、撤退戦ではアベル様1人に殿を任せることになり、それで私達は生き延びました。私の一言がアベル様を……アベル様だけを死地に向かわせる決定的な理由になってしまったのです。
その時、子供の頃の亡きお母さまとの思い出が脳裏をよぎりました。
あれは、私が季節外のフルーツをどうしても食べたいと駄々をこねた時でした。母は我慢するように言ってましたが、その話を聞いた貴族が領地の平民達にフルーツを探すように命じたのです。その結果、フルーツは見つかりました。献上されたそれを見て私は当然喜んだのですが、お母さまは良い顔をしませんでした。
『ティア。それが当たり前だなどと思ってはいけません。国は民があってのもの。王がおらずとも国は成りますが、民がいなければ国は成りません。』
まだ幼かった私は、それがどういう意味なのか理解出来ていませんでした。自分の我儘がどれだけ平民達を振り回し、その生活に負担をかけたかなど思いもしなかったのです。ですから、お母さまがなぜあれほど厳しい顔をしたのかを理解できませんでした。
せっかく果物を見つけてくれたのに。
せっかく願いを叶えてくれたのに。
どうして喜んではいけないのかと、不満さえ覚えました。
ですがお母さまは、私を膝に乗せると、優しく頭を撫でながら続けた。
『王族の言葉はね、それだけで誰かの命令にもなるのです。だからこそ、自分が口にした言葉が、誰を動かし、誰に負担をかけるのかを考えなければなりません』
その時は難しい話だと思った。
けれど、お母さまは、最後に笑って言った。
『ティアが優しい王女になってくれれば、母はそれだけで嬉しいのです』
──優しい王女。
その言葉だけは、今でも胸に残っていた。
涙が静かに零れ落ちる。
私が恩人へ返すべきものを何一つ返さないまま、さらに大きな過ちを犯してしまったこと。
王女である私なら止められたかもしれない。
言葉一つで変えられたかもしれない。
それなのに……私は……。
(最低です……。)
そして。
「ごめんなさい……アベル様。」
震える声が独房へ響く。
「私は…あなたに何度も救っていただいていたのに…」
◇
入学試験のあの日、彼との初めての出会いに胸がときめいた自分がいた。国ではパーティなどでいろんな男性が自分に話かけてきたが、どこか下心がすけて見える人ばかりで、正直ずっと嫌気がさしていた。彼はそんな貴族男性達よりも、ずっと紳士的だった。
もっとお話しをしてみたい……
もっとあの人の事を知りたい……
もっとあの笑顔をみたい……
そんな気持ちをもった初めての異性だったことを今更ながらに思い出す。同時に、今まで自分がしてきたことも思い出した。
セレスティアにとってアベルは無自覚ながらも初めての感情を抱いた異性だった。そしてアベルが成した数々の偉業は、国と自分の未来を切り拓くほどのものだ。
一瞬だけ、あり得た世界のイメージがセレスティアの脳裏をよぎる。関係を王である父にも認められてアベルの隣で嬉しそうに笑っている自分を…。しかし、そのイメージは瞬く間に燃え尽きた。そこで自分が失ったものをセレスティアはハッキリと自覚した。
涙が止まらない。
王女として正しい判断をしてきた。そう信じていたが、実際は全て間違っていた。最も恩を返さなければならない人には、最後まで何一つ返すことができなかった。
──優しい王女。
母が願ったあり方とは真逆の自分がそこにはいた。




