186話 クラリスの懺悔*
独房の中を、クラリスは落ち着きなく歩き回っていた。
石床を踏む足音だけが、静かな牢の中へ響く。左手にはもう絆の指輪はない。その指輪を外した瞬間から、忘れていた記憶が次々と蘇っていた。
(……そういうことだったのね。)
物の価値を見抜くことには自信があった。けれど、一番大切な価値だけは見誤っていた。
ある日、アベルさんと商売の話をした。
利益は大切だ。だが、それ以上に信頼が大切ではないか。困った時に頼ってもらえる商会こそ、本当に長く続く商会ではないか。そんな話だった。
押しつけるでもなく、
説教するでもなく、
ただ、自分の考えを穏やかに話してくれただけだった。
でも、その言葉が、不思議と心へ残った。
試しに高騰が続いていた回復薬の価格を見直した。
利益を削り、購入制限をつけてまで、本当に必要な人が手に取りやすい価格に近づけた。
商会の者たちは反対した。利益が減るだけだと。
しかし結果は違った。
『困ったらローゼン商会へ。』
そんな評判が広がり常連客は増えた。
商会全体の売上も、以前より大きく伸びた。
天然酵母のパンもそうだった。あれほどの価値を持つ製法を、アベルさんは惜しげもなく教えてくれた。自分は直ぐに商品化を実行した。すると瞬く間に商会で1、2を争う人気商品となり、一気に商会は大きくなった。一方で特許もなにもなかったため、利益の還元などは一切していない。それどころかその技術を教えてくれた本人へ、ちゃんと感謝すらした覚えがない。あの時はアベルさんがもたらすものなら何でも自由に使ってよいと思い込んでいた。
思えば。絆の指輪を身に着けてから自分は変わった。いや、戻ってしまった。利益を最優先にする商会、利益にならない客は切り捨てる商売をするように…。
王都近郊で命の雫草が採取できなくなったのだって、アベルさんのせいだと勝手に思っていた。利益を独占するために彼が仕組んだのだと。だけど、私は知っていたはずだった。あの希少薬草の乱獲を引き起こしたのは王家がギルドに出した高額買取りの依頼であることを。どうして王家が、そんなことをしたのかはわからない。でも王家の責任は一切問わずにアベルさんだけを責めるのことが道理に合わないのは明白だった。
それからも、王子であるあの男の言葉を疑いもせず信じた。あの男の「回復薬の公定価格を撤廃し自由価格にする。その方が競争が起きて安くなるはずだ。」という政策にも乗っかった。結果、回復薬は高騰した価格へと戻り、庶民には手の届かないものになった。
利益は確かに増えた。けれど、少しずつ常連客は離れていった。
『昔の商会の方が良かった。』
そんな声まで聞こえてきた。
それでも自分は、
『全部アベルのせい。あの人の甘い考えに付き合ったから、商会がおかしくなった。』
本気でそう思っていた。
今なら分かる。
違う。
全部、自分の責任だった。
アベルさんは利益を捨てろとは、一度も言っていない。利益だけを追うなと言っただけだった。
人を大切にすること、
信頼を積み重ねること、
それが巡り巡って商会を大きくすると。
それなのに、自分はその教えを捨てた。
そして、教えてくれた本人まで捨てた。
学院祭の後。
アベルさんが倒したドラゴンの素材。私達は彼が不在のところで勝手にオークションへ出品してしまった。すべては王子であるあの男の為に。あの男はドラゴンはもう見たくないと言った。早く売るなり処分するなりして目の前から無くせと。
オークションの売上はかなりの額になり運営手数料だけでもかなり利益が出たが、売上は、商会へのキックバックを見返りに税金分以外は全て王子の個人資産にしてしまった。一方でアベルさんへの取り分の配当などは全くしていない。これでは、まるで泥棒の片棒を商会に担がせてしまったようなもの。商会の看板に泥を塗る行為そのものだった。
そもそも学院祭での展示が急遽不可になったのも、王子の根回しによるものだろう。あの男は、そういう所には余念がないのだ。一方で、特に有用な部位の素材だけはオークションに出さずに自分に渡すよう、しっかりと要求してきた。厚かましいにも程があるが、それは自分も同じ。
討伐隊での日々。
満足な食事も与えられず、休息も許されず、毎晩寝る時間がなくなるほどに大量の薬草を集める仕事まで押し付けられて、仲間のはずの兵士には石を投げられながら、それでも最前線へ立ち続けるアベルさんをずっと見ていた。
でも、私は止めなかった。あの男の判断が正しいと信じ込み、アベルがそんな仕打ちを受けるのにも何か深い理由があるのだと思い込んだ。自分の目で見た現実を、一切見ようとしなかった。
(私……最低ね。)
利益を追うことは悪くない。
商売人として当然だ。
でも、恩人を切り捨ててまで得る利益に、何の価値があるというのだろう。
「ごめんなさい……。」
静かな独房へ声が落ちる。
「あなたは私に商人として、どう生きるべきかを教えてくれていた。それなのに私は……全部忘れてしまった。」
涙が頬を伝う。
自分は、人を見る目があると自負していた。
価値を見抜く力があると思っていた。
けれど、一番価値のある人を見ないでいた。
その結果、生涯償うことのできない罪を背負うことになった。
その事実だけが、クラリスの心を静かに、そして深く締め付け続けていた。




