021話 帰路の邂逅*
高難度迷宮"巨大一枚岩の溪谷"――1階層。
湿った岩壁の通路に、淡い光が差し込み始めていた。出口は近い。
そこをアベルは歩いていた。認識阻害の効果を持つフードを深く被り、黒い外套を身にまとって。
静かな足取り。迷いはない。
(出口付近で……気配が一つ)
アベルは足を止める。通路の先に萌えるような赤い髪の少女が壁に背を預けて蹲っていた。周囲には戦闘の痕跡。彼女の直ぐ横には蔓が切れた弓が落ちている。両手には双剣を握ったままだ。
(フェリか)
ゲーム知識の断片が脳裏に浮かぶ。
性格傾向、戦闘スタイル、無茶をしやすい判断癖。
この状況で最もやりがちな選択も、予測できる。
アベルは静かに近づく。
⸻
フェリはその気配に気づき、即座に顔を上げた。
「……誰?」
警戒を強める。迷宮内での遭遇。敵か味方かの判断がつかない。やがて視界に人影が浮かんだ。
黒衣…しかも顔はフードで隠れている。
「近づかないで」
双剣を構えて姿勢を立て直す。だが、その身体は明らかに消耗していた。男は足を止める。
「敵じゃない」
短い声だった。それだけで、必要以上の説明はしてこない。
次の瞬間、男はフードに手をかけた。認識阻害のフードが外れると、黒髪の男だった。何処かで見た気がする。表情は落ち着いているように見えた。
「アベルだ」
シンプルな名乗り。そう言えば一般クラスにそんな名前の生徒がいた気がする。
フェリの剣がわずかに下がる。
「……アベル?」
完全な安心ではない。だが完全に敵という訳でもないことは理解できる。
「ここは危険だ。すぐに離れた方がいい」
「わかってる……!」
立ち上がろうとしたが、膝をついてしまった。消耗が限界に近い事を自覚する。その時、通路の奥から低い唸り声が聞こえてきた。
「まだいるの……!?」
フェリが剣を構え直す。だが動きは鈍い。
アベルと名乗った男は周囲を一瞥する。
「時間がないな。」
次の瞬間、彼は前に出た。
一歩、踏み込み剣が抜かれる。
一閃。
魔物は反応する間もなく崩れ落ちる。私は目を見開いたまま固まった。
「……え?」
アベルは剣を収める。
「もう大丈夫だ」
その動作に無駄はない。派手さもない。
ただ“処理”が終わっただけのようだった。
「今の……何……」
ただ、それしか言えなかった。
「慣れてるだけだ」
アベルは短く答える。それ以上は語らない。
私はしばらく黙っていたが、彼はやがて小さく息を吐く。
「……フェリ」
「?」
「私の名前はフェリ」
「知ってる。特別クラスの人は皆、有名だから。」
それ以上の会話は続かなかった。
⸻
出口へ向かう道中。
フェリは何度かアベルを見る。
(この人……さっきの動きと今の感じ、全然変わらない)
黒衣でも、フードを外しても。
印象は一貫している。
落ち着きすぎているほどに自然だ。
(普通じゃない……)
だが、それを言葉にする余裕はまだない。
やがて出口の光が見えた。
「助かった。ありがとう、アベル。」
「偶然だ」
「偶然であれは無理だと思うけど」
アベルは軽く肩をすくめるだけで、答えない。
外の光へ向かって歩き出す。迷宮を出たところで解散となった。私は彼のその背中を見送る。
(アベル……またどこかで会う気がする)
風が吹く。迷宮の出口から差し込む光の中で、フェリは小さく息を吐いた。そして、静かにその名を繰り返す。
「アベル……」
その呟きは、直ぐに風に乗って遠くに消えていった。




