182話 リシアの懺悔*
同じ時間にもう1話投稿しています。見逃している方は、そちらからご覧ください。
独房。
冷たい石壁に囲まれた狭い空間で、リシアは膝を抱えこんで床に倒れていた。
左手から絆の指輪を外したその瞬間から、曇っていた記憶が堰を切ったように流れ込んできた。
忘れていたのではない。
忘れようとしていたのでもない。
ただ、自分の都合のいいように見ないふりをしていただけだった。
◇
最初に浮かんだのは、アイアンゴーレムとの戦い。
あの時の自分はまだ未熟だった。
死を覚悟するしかないほど圧倒的な力の差。
そこへ飛び込んできた一人の少年。
アベル。
彼は迷うことなく自分の前へ立ち、理想そのものと言える剣でアイアンゴーレムを討ち倒した。
命を救われた。それは紛れもない事実だった。
(私は……あの人に命を救われてた。)
◇
次に蘇るのは学院での日々。
剣術の稽古。
壁にぶつかって苦しんでいた時、自分の剣を見てくれたのはアベルだった。
正しい間合い。
正しい体重移動。
力任せでは届かない剣。
何日も付き合ってくれた。
見返りなど、一度も求めなかった。
ある日、稽古をしていた場所に小さな包みが置いてあった。
中には、湿布と疲労を和らげる薬草。そして短い手紙。
身体を気遣う、それだけの簡潔な内容。
(……私は。ありがとうの一言でも、ちゃんと伝えたことがあっただろうか。)
◇
それなのに…
武術大会。
久しぶりに話しかけてくれたアベルへ、自分は冷たい言葉を浴びせた。
今の自分はレオニスのおかげだと。まるで、それまでアベルと一緒に積み重ねてきたものが何一つなかったかのように。
(違う。)
(違う……。)
(あの時の私は、何を見ていたの。)
◇
王都防衛戦。
巨大なトロールの斧が自分へ振り下ろされた。
また助けられた。
その後も彼は最前線に立ち続け、王都を守り抜いた。
(私はまた守られるだけだった。)
◇
そして、ドラゴン戦。
あの絶望。
誰もが足を止めた。
自分も動けなかった。
それでもアベルだけは前へ進んでいた。
その背中はとても眩しかった筈なのに。転移でアベル1人を残して逃げた後、私の心配は残してきた刀のことだけだった。どうして彼を助けようと思わなかったのか。何か出来る事を探すぐらいはするべきだった。その上、彼が生還したとき、何故私はくだらない嫉妬心で冷たい言葉を投げかけた?
◇
さらに蘇る。今回の行軍中のレオニスによるアベルへの理不尽な命令。
食事も満足に与えられず、
眠る時間も削られ、
兵士たちから石を投げられ、
倒れても無理やり立たされる姿。
全部、見ていた。
全部、知っていた。
それでも、私は何もしなかった。
やろうと思えば止められた。止めるべきだった。なのに私は……
◇
そして今……あの人は、きっともう……。
その現実が胸を締め付ける。
リシアの肩が震える。
鉄格子を握る手に力が入らない。
膝から崩れ落ちた。
私は誰かを守れる剣士になりたかった。そういう戦士に背中を預けて貰える存在になりたかった。
なのに……隣に立って支えたかったはずの人を、一番傷つけていた。
迷宮で、
王都で、
戦場で、
いつも最前線にはアベルの背中があった。
その背中へ、自分は何を返した。
感謝ではない。
信頼でもない。
ただの冷たい言葉、あるいは無関心。
そして、見捨てたという事実だけだった。
「……ごめんなさい。」
誰もいない独房で、小さく声が漏れる。
「ごめんなさい……アベル。」
助けてもらってばかりだった。
教えてもらってばかりだった。
守ってもらってばかりだった。
それなのに……自分は何一つ返せなかった。
謝罪や感謝の一言すら、もう伝えられない。
その事実が、剣士リシアの心を静かに引き裂いていく。
これは後悔ではない。
恩人を裏切り、恩人を見捨て、恩人を失ったかもしれない一人の剣士の――懺悔だった。




