170話(閑話45話) 命令の限界
野営地。
夕食を終えた討伐隊には、束の間の静けさが訪れていた。
焚き火を囲む兵士たち。
談笑するヒロインたち。
その少し離れた場所で、レオニスは眉をひそめていた。
視線の先には、マユミとメア。
二人とも命令には従う。戦闘でも行軍でも、一切の逆らいはない。それでも、レオニスは満足できなかった。
◇
メアは静かに立っている。
「メア。何か話せ。」
「はい。…………。」
返事はする。命令も実行する。だが、それだけだった。
以前学院で見せていた笑顔。明るさ。愛嬌。そういったものは、もう何一つ残っていない。命令を待つだけの人形、そんな存在になっていた。
一方のマユミも似たようなものだった。メアと違って表情はある。受け答えも自然だ。しかし、その瞳だけは冷えている。命令には従う。だが、それ以上は何もしない。
必要最低限。それだけだった。
(つまらないな。)
レオニスは内心で舌打ちする。学院では二人ともアベルには自然に笑いかけていた。自分から話し掛け、気遣い、時には頬まで赤らめていた。それが今では、この有様だ。
(……そうか。)
ふと、一つの考えが浮かぶ。命令していないだけだ。チョーカーは命令を絶対に遵守させる。
ならば、笑わせればいい。
優しくさせればいい。
アベルへ向けていた態度を、自分へ向けるよう命じればいいだけだ。
◇
レオニスは静かに立ち上がった。
「メア。今後は私に対しても、アベルと同じように接しろ。」
一瞬、メアの瞳が揺れる。そして。
「……はい。」
命令は受理された。
◇
「マユミ。君も同じだ。私へはアベルへ接していた時と同じ態度を取るよう命じる。」
マユミの胸が締め付けられる。
(そんなこと……できるわけ……。)
拒否したい。だが、チョーカーが淡く光る。全身へ鈍い痛みが走る。
「……承知しました。」
絞り出すように答えるしかなかった。
レオニスは満足そうに頷く。
「それでいい。最初から、こうしていれば良かったんだ。」
だが、彼は知らない。人の心は、命令だけで作れるものではないことを。
―
翌朝。
討伐隊は予定通り行軍を再開した。森を抜ける細い街道。レオニスは昨日出した命令の成果を、早くも確かめようとしていた。
「メア。こっちに。」
「はい。」
メアは静かに歩み寄る。レオニスは腕を組み、満足げに命じた。
「もっと楽しそうにしろ。そして、私に話しかけろ。学院にいた頃にアベルにしていたように。」
一瞬の間。
そして…
メアの口元がゆっくりと持ち上がる。
「……。」
確かに笑っていた。だが、その笑顔はどこか歪だった。瞳は何も映していない。頬は動いているのに、感情だけが抜け落ちている。
兵士の一人が思わず息を呑む。
(怖い……。)
街でアベルと一緒に買い物をしていたメアを見たことがある兵士は、以前の快活な少女とは、まるで別人であることにそこ知れぬ恐怖を覚えた。
レオニスも眉をひそめる。
(違う。俺がみたいのは、こんな笑顔じゃない。)
彼が学院で見ていたメアは、もっと自然に笑っていた。アベルへ向ける笑顔は見ているこちらまで明るくなるようなものだった。
今目の前にあるのは、ただ命令を実行した結果でしかない。
◇
「もういい。」
レオニスは短く言った。メアの表情はすぐに無へ戻る。
それを見て、兵士たちは小さく肩を震わせた。
◇
「マユミ。こっちに来い。」
今度はマユミが呼ばれる。
「はい。」
「私に笑顔を見せてみろ。」
マユミはゆっくり顔を上げた。心の中では拒絶している。
(嫌。笑いたくなんてない。)
だが、無慈悲にもチョーカーが淡く輝く。
胸を締め付ける痛み。
身体が勝手に動く。
「……。」
マユミは微笑んだ。それは美しい笑顔だった。
しかし、その瞳だけはやはり冷たい。感情が伴っていないことは、誰の目にも明らかだった。
◇
レオニスは少しだけ苛立つ。
「もっと自然に。アベルへ向けていたように。」
その命令にマユミの身体が僅かに震えた。
笑顔は維持されている。
だが、その頬を一筋の涙が静かに伝う。
身体は命令に逆らえない。
それでも心だけは命令に抗っていた。
◇
周囲の兵士たちは気まずそうに目を逸らした。
誰も何も言えない。
昨日までなら、レオニスの命令を疑うことなど考えもしなかった。
だが今は違う。命令に従う二人を見ても、羨ましいとは思えなかった。
◇
少し離れた場所で荷車を押していたアベルは、その光景を見て足を止める。
「……。」
何も言えない。
メアも、
マユミも、
二人とも、自分を守るためにチョーカーを受け入れた。
その結果が、今の姿だった。
拳を強く握る。
(必ず。二人を元に戻す。)
その決意だけが、弱り始めた勇者の心を辛うじて支えていた。
一方でレオニスだけは、最後まで理解できなかった。
命令で作られた笑顔と、
心から向けられる笑顔は、
決して同じものにはならないということを。




