165話 歪められた主従*
王都の正門。
魔王討伐特別隊は、朝靄の中を静かに出発した。
先頭を歩くのは前衛のリシアとフェリ、それとアベル。部隊の後方にはセレスティアたち後衛組が続き、最後尾には補給部隊が控えている。普段は指揮を取ることが多いセレスティアも、今回はレオニスの指揮下に入ることになった。これにより、たとえどんなに酷い指揮であっても、それがレオニスによるものならばレオニス至上主義者の彼女は、その裏の意図を強引に捻り出して至上の判断だと解釈してしまうだろう。
そのレオニスは隊の中央でセレスティアの祖国から送られたばかりの新品のミスリル装備に身につけて誇らしげに進んでいる。ミスリルの装備は魔法親和性が極めて高い、この世界では最高峰の武器と防具である。実際、レオニスの攻撃力や防御力は前の装備の時の倍以上に上昇し、今のアベルにも届くほどであった。
また、隊列の中でも、ひときわ重い空気を纏っていたのはレオニスの左右を歩く二人だった。
マユミ。
そしてメア。
二人の首には、黒い金属製のチョーカーが嵌められている。魔力を帯びたそれは、鈍い光を放っていた。
◇
アベルは時折振り返って二人の様子を見ていた。
「マユミ……メア……」
2人からの返事はない。
マユミは一応目線を返してはくれる。小さく手も動かしてくれるが、それだけ。目に見えてわかる行動は取れないようだ。
一方、メアは昨日までの明るい笑顔が完全に消えていた。また、操られている状態では、オシャレに気を使うこともなく髪をわざわざセットすることもない。そのためメアはいつものウェーブがかかった髪型とは異なりストレートになっている。歩幅も一定。表情も変わらない。まるで感情そのものを失ったかのようだった。
「メア。」
もう一度呼ぶ。ようやく視線だけが向く。だが、その瞳には以前の輝きがない。その所作一つ一つにアベルの胸が締め付けられる。
レオニスが静かに命じる。
「メア。停止。」
メアは即座に足を止めた。
「右を向け。」
迷いなく従う。
「進め。」
再び歩き始める。一切の躊躇がない。まるで命令だけで動く人形だった。
◇
一方、マユミは違っていた。彼女には表情もある。周囲も見ている。普通に歩いているようにも見える。実際、彼女は自分の意思で首元へ手をやり、チョーカーをそっと触れることもできた。
「……やっぱり。」
小さく呟く。半魔である自分には、このチョーカー型魔道具は完全には作用していない。思考も感情も残っている。
それでも、命令だけは拒めない。逆らおうとした瞬間、全身へ激痛が走り反射的に身体が止まってしまう。逆に命令に従えば、その瞬間に強烈な快感・多幸感が押し寄せる。その幸せな感情が偽りのものだと理解していても、何度か命令を繰り返され、抵抗を試みては失敗に終わった結果、今や身体は自分の意思とは関係なくパブロフの犬のように命令に従うようになってしまっていた。
メアを見れば、自分よりも遥かに深く拘束されているのがわかる。その姿を見て、マユミは静かに唇を噛んだ。
◇
その日の昼。
森へ入った特別隊は、早くも魔物の群れと遭遇した。
「前方!オーク十数体!」
騎士の報告が飛ぶ。レオニスは即座に命じる。
「アベル。前へ。」
それだけだった。
「了解。」
アベルは一人、前へ出る。剣を抜き、魔物へ向かって駆け出した。
◇
後衛。
レオニスが振り返る。
「マユミ。攻撃魔法。対象は前方一帯。」
マユミは息を呑む。その範囲にはアベルもいる。
「殿下。その範囲では――」
言葉は最後まで続かなかった。首輪が淡く光り身体が勝手に動いた。すぐさま魔法陣が展開される。
「……っ。」
抵抗したい。
止めたい。
だが止まらない。
◇
魔法が放たれた。それがアベルのすぐ横を掠めるように炸裂する。幸い直撃は避けた。それでも、巻き上がる爆風がアベルの身体を大きく揺らす。
「メア。」
続いてレオニスが命じる。
「追撃。」
メアは一歩前へ出た。何も言わない。詠唱もなく、ただ命令だけに従って魔法を放つ。漆黒の魔力が一直線に走り、その軌道には、なおも戦うアベルの姿があった。
アベルは咄嗟に身を捻り、魔法を避ける。直後、魔法は背後のオークをまとめて貫いた。その後もメア自身の意思に関係なく、アベルを巻き込むような攻撃は続けられた。ヒロイン達や他の兵士達は手出しをしない。黙ってみているだけだ。だが、一部の兵士には、必死に闘うアベルを嘲笑する者までいた。
◇
マユミは拳を握る。
(やめて……。そんな命令、出さないで……。)
心の中で叫ぶ。しかし、その願いは誰にも届かない。その一方、命令に従うことで訪れる強烈な多幸感がマユミの心を麻痺させていく。
レオニスは静かに戦況を眺めていた。
アベルは最前線で魔物を相手にしながら、後方から放たれる味方の魔法まで避け続けなければならない。だが、愚痴の一つでも零そうものなら、レオニスはマユミとメアを排しかねない。いや、絶対にそうする。だから、アベルはどんな理不尽な命令にも従うしかなかった。
戦いは始まったばかりだった。




