閑話38話 触れてはいけない指輪*
魔王特別討伐隊の編成が決まる日の前夜
エマは、ずっと覚えていた違和感に結論を出すべく動いていた。
主であるセレスティアは、以前より笑うようになった。以前より感情を表に出すようにもなった。それ自体は喜ばしいことだ。
だが――どこか、おかしい。
「……また」
昼間、窓辺に立つセレスティアは、左手の薬指を優しく撫でていた。その指には、見慣れない銀色の指輪。学院へ来てから身につけ始めたものだ。しかも、その指輪を見つめる時だけ、頬が緩み、どこか熱っぽい表情になる。呼びかけても反応が遅れたり、ぼんやりと微笑んでいたり。最近では、誰もいない廊下で一人微笑んでいる姿まで見かけてしまった。
(姫様らしくありません)
侍女として長年仕えてきたエマだからこそ、その変化は見逃せなかった。
そして何より――
「あの指輪を外そうとすると、必ず話題を変えられる……」
何度も確認しようとした。磨きましょう、と言っても断られた。サイズが合っているか確認しましょう、と言っても笑って誤魔化された。宝飾品の手入れを申し出ても、左手だけは決して触らせない。
(呪具……?)
その可能性が頭をよぎる。古い魔道具の中には、装着者の精神へ影響を及ぼすものも存在する。
最近の姫の言動。
あまりにも大きな変化。
そして異様な執着。
全てを結び付けると、一つの答えしか浮かばなかった。
(確認しなければ)
侍女として。
姫を守る者として。
嫌われようと構わない。
もし呪いなら、一刻も早く外さなければ。
そう決意した。
◇
深夜。
学院寮は静まり返っていた。
エマは足音一つ立てず、セレスティアの部屋へ入る。
月明かりだけが室内を照らしている。
「……失礼いたします」
小さく呟き、寝顔を確認する。
規則正しい寝息。
完全に眠っている。
(今なら……)
ゆっくりとベッドへ近づく。
左手は胸元で軽く組まれていた。薬指には、あの銀色の指輪。月光を受けて淡く輝いている。
(すぐ終わります)
エマは細心の注意を払い、セレスティアの指先へ触れる。
冷たい。
そっと指輪をつまむ。
ゆっくりと回し――
引き抜こうとした、その瞬間。
「――やめてぇっ!!」
悲鳴のような叫びが部屋に響いた。
エマの身体が震える。
眠っていたはずのセレスティアが、勢いよく起き上がっていた。目を見開き、肩で息をしている。その表情は恐怖と怒りが入り混じり、まるで大切なものを奪われそうになった子どものようだった。
「姫様!」
「触らないでっ!!」
バシッ!!
エマの手が強く払いのけられる。そのままセレスティアは左手を胸へ抱き込み、指輪を隠すように身体を丸めた。
「何をするんですか!?」
声は震えていた。
普段の穏やかな姫からは考えられないほど鋭い。
「申し訳ございません。しかし、その指輪が――」
「違う!!」
食い気味に叫ぶ。
「これは……これは私のだから!」
「ですが――」
「絶対に外さない!」
涙まで浮かべながら叫ぶ。
「誰にも渡さない!」
「壊させない!」
「触らせない!」
その姿を見たエマの背筋に冷たいものが走る。
(やはり……)
ここまで取り乱すなど、普通ではない。セレスティアは普段、どれほど怒っても声を荒げることなどない。
それなのに今は、まるで別人だった。
「姫様、どうか落ち着いてください。」
「嫌です!」
「その指輪を一度調べさせてください。」
「嫌っ!!」
セレスティアはベッドの端まで下がる。左手を抱き締め、まるで命より大切な宝を守るように。
「エマなんて大嫌い!」
その一言が、エマの胸に深く突き刺さる。
幼い頃から仕えてきた。
母親代わりとまでは言わない。
それでも誰より近くで見守ってきた。
そんな姫から向けられた、初めての拒絶。
「……承知しました」
エマはゆっくり頭を下げた。
「今夜は失礼いたします。」
それだけ言い残し、静かに部屋を出る。
扉が閉まる音がしたあとも、中からはすすり泣きが聞こえていた。
◇
廊下を歩きながら、エマは拳を握る。
(間違いありません)
あの指輪は異常だ。姫の人格すら変えてしまうほどの何か…。放置するわけにはいかない。だが、力ずくで外そうとすれば、姫様自身を傷つけることになる。
「……どうすれば」
答えは出ない。
夜の廊下には、エマの小さなため息だけが静かに消えていった。




