019話 失われた前提条件
魔導研究棟の空気は張り詰めていた。
机の上には二つの魔法式。
一つはレオニスの設計。
もう一つはルナの補助修正案。
「最終起動実験に入る。」
レオニスの声が響く。その声に迷いはない。一方、ルナは、魔法陣そのものではなく“環境”を見ていた。
(やはり……ずれている。)
最近、明らかに魔力反応の質が変わっていた。それは数値上は微差。しかし彼女のような研究者にとっては“無視できない変化”だった。
「殿下。」
ルナが静かに言う。
「確認ですが、この実験の前提条件は維持されていますか?」
「前提条件?」
レオニスは首を傾げる。
「もちろん(ゲームと同じ条件)だ。」
ルナは一瞬だけ目を伏せる。
(何かが違う。)
しかしそれを言語化するには情報が足りない。ただ一つだけ確信があった。
――魔力の“純度”が落ちている。
その原因は明確ではない。だがルナは、既に気づいていた。
(薬草供給の低下。)
(周辺迷宮の活動減少。)
(素材品質の低下。)
すべてが微妙に連鎖している。
そしてその影響は、この実験にも及んでいた。
⸻
「起動する。」
レオニスは魔力を流し魔法陣が輝き始める。
(これは成功イベントだ。)
ゲーム通りなら、ここで魔導炉は安定し、研究は完成する。最初は順調だった。
だがすぐに異変が起こる。
「……魔力の収束が不安定?」
助手が声を上げる。
「問題ない。」
レオニスは即答する。
(これは成功する。シナリオ通りだ。)
⸻
しかしルナの視線は冷えていた。
(違う。これは“条件崩壊型の失敗”)
魔力が微かに乱れ始める。
収束軌道がズレる。
補助系統が追いつかない。
「殿下、停止を!」
教師が叫んだ、その瞬間にルナが前に出た。
「補助系統を切り替えます。」
「何?」
レオニスが振り向く前にルナはもう一つの魔法陣を展開する。それはレオニス案とは異なる補助設計。だが“現実の魔力挙動”に最適化された構造だった。
「接続変更。」
魔力ラインが切り替わる。その瞬間から暴走しかけていた魔力が収束へと戻る。炉の揺れが収まり、安定軌道へ復帰する。
沈黙。
そして――
「成功です。」
助手のその言葉の後、魔道研究棟は大歓声に包まれた。
⸻
レオニスは息を吐く。
(成功だ。やはり自分の判断は正しい。)
その認識の中で、彼は一つの結論を出す。
「ルナ、見事だった。補助切り替えの判断は完璧だ。」
しかし、ルナはその言葉を受け取らない。視線は魔法炉の残滓ではなく、“原因”に向いていた。
⸻
(やはり。品質低下が影響している。)
そして彼女は、もう一つの結論にも辿り着いていた。
(アベルも気づいていた。)
理由は説明できない。
だが“修正の方向性”が一致している。
あの時の迷宮修正も、今回の安定化も。
すべてが同じ方向を向いている。
(偶然ではない。あの人は、前提条件の変化に気づいている。)
レオニスは気づかない。
助手も教師も気づかない。
しかしルナだけは理解していた。
この世界は変化している。
そしてその変化を“観測できる者”は限られている。
(私は気づいた。そして、あの人も気づいている。)
ルナは静かに結論を下す。
それは真実とは程遠い誤解だった。
(この歪みの正体を、必ず突き止める。)




