018話 魔導式の盲点*
魔導研究棟。
昼下がりの光が、魔法陣の刻まれた机の上に淡く落ちていた。
ルナ・アークライトは一枚の設計図を見つめたまま、微動だにしない。
「……やはりおかしい。」
その呟きは、もう何度目か分からない。回復魔法の補助式。本来なら治癒効率を安定して向上させるはずの構造。だが実験結果は理論値と一致しない。しかも誤差は一定ではなく、微妙に揺れている。
(偶然ではない。)
ルナは確信していた。どこかに“設計意図とは別の要因”が混ざっている。
「ルナ様。」
助手の生徒が不安そうに声をかける。
「やはり再設計が必要でしょうか?」
「判断はまだ早い。」
ルナは即答しながら、指先で魔法陣をなぞる。
「理論自体は破綻していない。むしろ美しい。」
「ではなぜ結果が?」
「……現実側の挙動が違う。」
それが問題だった。理論と現実のズレ。
魔導研究において最も厄介な現象。
その時、実験室の扉が開いた。
「失礼する。」
レオニス・アルフォード。生徒会活動の報告のため、一時的に顔を出していた。
「殿下。」
助手が立ち上がる。
ルナも軽く会釈した。
「調整は進んでいるか?」
「検証中です。」
ルナは淡々と答える。
レオニスは内心で満足していた。
(問題ない。)
このイベントは“成功する流れ”だ。ゲームではすでに通過した段階で、多少の誤差はあっても最終的には完成する。
(ルナの好感度もここで上がる。)
そう計算していた。
ルナは資料を見ながら続ける。
「一点だけ確認があります。」
「何かな?」
「この補助係数、どなたの設計ですか?」
「私だ。」
レオニスは自信に満ちた顔で即答した。それはゲーム知識に基づく最適解の再現だった。
しかしルナは眉をわずかに寄せる。
「この係数だと、魔力流が途中で滞留します。」
「理論上は問題ない。」
「理論上は、ですか…。」
その言い方に、ほんの僅かな違和感が滲む。
沈黙。
空気がわずかに重くなる。
レオニスは微笑を崩さないまま言った。
「結果は出る。問題ない。」
それ以上の説明はしない。
ゲーム通りだからだ。
「殿下!」
廊下から教師の呼び声が聞こえる。
「急ぎの案件がございます!」
レオニスは一瞬だけルナを見る。
「少し席を外す。」
「はい。」
ルナは淡々と頷いた。そして扉が閉まる。
静寂。
魔導研究室にルナ一人。机の上の魔法陣だけが静かに輝いていた。
⸻
コンコン
ドアをノックする音が響いた。
「どうぞ。」
ルナが入室を許可するとそこには見慣れぬ男子生徒の姿があった。
「すみません。先生がこちらに来ていると伺ったんですが…。」
「あなたは……?」
「アベルです。1年一般クラスの。」
知らない一般クラスの生徒。だが、その視線はすでに机上の魔法陣に向いていた。
「これ、少し見てもいいですか?」
ルナは一瞬だけ迷う。しかし拒絶はしなかった。
「いいけど…。あと、普通に話していいわよ…なんか面倒だし。」
アベルは魔法陣を覗き込む。
「うーん……ここ、詰まってる。」
指が一点を示す。
「魔力の流れがここで一回止まってる。」
ルナの目が細くなる。
「なぜ分かるのですか?」
「似たやつを見たことがある。」
迷宮の魔力暴走装置。追加ディスクで何度も対処した構造。アベルは紙に軽く線を引く。係数を数値ごと修正する。
「ここを流すと安定すると思う。」
たったそれだけ。だがルナの視線はその線から離れなかった。
(変わる。)
魔力の流れが滑らかになる。理論よりも“実際の魔力挙動”に沿った修正。ルナの知る魔導理論とは異なる発想。
しかし、おそらく間違っていない。その確信があった。
「あなたは魔導理論をどこで?」
「独学。」
それ以上は語らない。アベルは修正案を机に置く。
「多分これで動くよ。」
その時、アベルは窓から見える廊下に教師の姿をみつけた。
「じゃ。」
静かに退出する。
残されたルナは、修正された魔法陣を見つめたまま動かなかった。
(……なぜだ。)
理論体系は自分の方が正しいはずだ。だが現実は、アベルの修正を選んでいる。
⸻
夜。
誰もいない研究室でルナは再度魔法陣を起動する。
アベルの修正を反映した形で。
魔力が流れる。
滞りが消える。
数値は安定。
誤差は理論値以下。
「……成功している。」
ルナの声は静かだった。だがその静けさの中には、微かな揺らぎがあった。
(理論が間違っているのではない…では、何が違う?)
答えはまだ出ない。しかし確実に一つだけ変わった。
ルナの中で、「正しさ」はひとつではない可能性が生まれていた。




