017話 善意のすれ違い
「まさに奇跡ですよ。」
教会付属治療院では、幼い少女の容態がすっかり安定していた。神父が興奮しながらも当時の状況を慰問にやって来たレオニスに報告している。
「エリス様でなければ助けられなかったでしょう。」
------
同じ時の病室。
エリスは静かにベッド脇へ腰を下ろし、眠る少女の額にそっと手を添えた。
熱は下がっている。
呼吸も穏やかだ。
「……良かった。」
その言葉は、誰に向けたものでもなかった。
⸻
一方、学院では。
「聞いたか?」
「教会で子どもの命が助かったらしい。」
「レオニス殿下の派遣した冒険者がエリス様の聖女覚醒を手伝われたとか。」
そんな噂が広まり始めていた。
発端は、レオニスが冒険者ギルドに薬草の調達を依頼したことだった。確かに依頼はしている。教会を気遣ったことも事実だ。しかし実際に少女を救ったエリスの聖女覚醒、それを本当に助けた人物については、誰も知らない。修道女たちも神の奇跡としか説明していなかった。
結果として、
「レオニス殿下が聖女を見出し少女を救った」
という噂だけが、一人歩きを始める。
⸻
昼休み。
礼拝堂の回廊にてエリスはレオニスを見つけ、丁寧に頭を下げた。
「殿下。」
「どうした?」
「先日の件、ありがとうございました。」
レオニスは柔らかく笑う。
「役に立てたなら良かった。」
その瞬間、ほんの少しだけ胸がざわついた。
(……あれ?)
エリスは違和感を覚える。あの日の午前中にレオニス殿下に冒険者の手配を頼んだのは確かだ。でも、冒険者ギルドで依頼を受けて薬草を摘みにいくのなら、帰って来るのは早くても夕方だろう。でも。たくさんの薬草を持ってきてくれて名も告げず、ただ静かに去っていった青年。彼がやって来たのはお昼過ぎだった。
その姿が頭をよぎる。
だから感謝の言葉が、少しだけ空回りする。
「何か気になることでも?」
レオニスが尋ねる。
「い、いえ。」
エリスは首を振った。
自分でも、この違和感の正体が分からなかった。
⸻
その日の放課後。
アベルはミリアの工房を訪れていた。
「命の雫草、本当に貰って良かったの?」
ミリアが少し驚いた顔をする。
「あれ、すごく貴重なんだよ?」
「困ってたみたいだし。それにまた採れるから。」
あれから治療院にも定期的に薬草を届けている。最近では回復薬の流通も多少は良くなっているみたいだ。
「それだけ?」
「うん。」
ミリアは苦笑する。
「アベルさんって、本当に欲がないよね。」
「そうかな。」
「普通なら売れば大金持ちだよ?」
「それで救える命が救えなくなったら嫌だから。」
あっけらかんと言う。
追加ディスクでは、命の雫草は再生する素材だった。だからアベルには「また採ればいい」という感覚しかない。だが現実では、そう簡単に見つかる代物ではない。その価値を、一番理解していないのが持ち主本人だった。
⸻
ミリアは完成した解毒ポーションを差し出した。
「はい、約束の品。」
「ありがとう。」
「腕、大丈夫?」
「もう治った。」
セレスティアを救った時に毒矢で負った傷。あの時、応急処置だけして無理を続けたせいで、ミリアにずいぶん叱られたことを思い出す。
「無茶しないでよ?」
「気を付ける。」
「絶対?」
「……努力する。」
「そこは『うん』って言うところ!」
工房に笑い声が響く。
⸻
その頃、生徒会室では、レオニスが次の攻略イベントを確認していた。
(次は教会の奉仕活動だったな。)
休日にヒロインたちと孤児院を訪れ、交流を深めるイベント。ゲームではエリスの好感度が大きく上昇する重要な場面だ。
「準備は順調です。」
側近が報告する。
「子どもたちへの寄付も手配しました。」
「ありがとう。」
レオニスは満足げに頷いた。すべて順調だ。
ヒロインたちとの距離も縮まっている。
少なくとも、本人はそう信じていた。
⸻
一方、礼拝堂。
祈りを終えたエリスは、一人静かに回廊を歩いていた。窓から中庭を見下ろす。そこでは一般クラスの生徒たちが昼食を囲んでいる。その中に、あの日薬草を運んできた少年がいた。
名前は確か――
「アベルさん……。」
彼は仲間たちと笑いながらパンを分け合っていた。
特別目立つこともなく。
誰かに褒められることもなく。
穏やかな時間を過ごしている。
(あの方だったのですね。)
ようやく名前と顔が結びついた。
でも、それ以上は何も分からない。
どうしてあれほど貴重な薬草を持っていたのか。
どうして何も言わずに帰ったのか。
どうして見返りを求めないのか。
知りたいことは増えるばかりだった。
そして、その「知りたい」という小さな感情が、まだ彼女自身も気付いていない新しい縁の始まりになろうとしていた。




