016話 聖女候補エリス*
王立学院の礼拝堂は、朝早くから静かな祈りに包まれていた。
色鮮やかなステンドグラスから差し込む陽光が、白い大理石の床を淡く照らす。その最前列で跪く少女がいた。
長い白銀の髪。
穏やかな翡翠色の瞳。
凛とした気品を纏いながらも、その表情はどこまでも柔らかい。
聖女候補――エリス・セントラ。
王国教会が百年ぶりに認めた、類稀なる治癒魔法の才を持つ少女だった。
「今日も皆様が無事でありますように。」
静かに祈りを終えると、礼拝堂にいた生徒たちが自然と道を譲る。
「エリス様、おはようございます。」
「おはようございます。」
誰に対しても分け隔てなく微笑む姿は、まさに聖女と呼ぶに相応しかった。
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礼拝堂を出ると、レオニスが待っていた。
「おはよう、エリス。」
「レオニス殿下。」
エリスは穏やかに一礼する。
レオニスは柔らかな笑みを浮かべた。
「今日も朝から祈りか。」
「ええ。私にできることは、それくらいですから。」
ゲーム本編でも、エリスはこの朝の礼拝イベントから攻略が始まる。真面目で優しく、誰よりも献身的。彼女は攻略難度こそ高くないが、一定以上の善行を積まなければ心を開かないヒロインだった。
(順調だ。)
レオニスは内心で頷く。朝の礼拝にも顔を出し、困っている人を助け、教会へ寄付もしている。攻略条件は満たしているはずだった。
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「殿下。」
エリスが少し困ったように微笑む。
「お願いがあるのですが。」
「何かな?」
「希少薬草の入手が以前より難しくなっていて、治療院にも重症の患者が増えています。」
「薬草?」
「ええ。最近は希少薬草だけではなく、普通の薬草まで市場価格が高騰してしまって……。」
レオニスは少し考え込む。
ゲームにはそんな設定はなかった。
「わかった。冒険者ギルドに相談してみよう。」
「ありがとうございます。」
エリスは頭を下げた。
その笑顔を見て、レオニスは満足する。
(これで好感度も上がる。)
そう信じて疑わなかった。
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一方その頃。
学院の裏門では、アベルがルドルフたちと荷車を降ろしていた。ミリアから話を聞いたアベルはやっと事情を理解し、自発的に行動を起こしたのだった。
「悪いな、ルドルフ。」
「別にいいってことよ。」
荷台には大量の薬草。僅かながら希少薬草も混じっている。そのほとんどが高難度迷宮で採取したものだった。
「これ全部、ミリアさん?」
「いや。」
アベルが首を振る。
「教会の治療院だ。」
「治療院?」
「薬草が足りなくて困ってる筈だ。」
状況を考えると薬草が採取出来無くなって一番困るのは教会の治癒院だ。あそこは医療にお金をかけられない人達の駆け込み寺で治療費の大部分が寄付と自分たちの稼ぎで賄われている。特に治癒院のシスター達が自ら採取した薬草で作る回復薬は治療院の貴重な収入源だった。
「じゃあ俺も運ぶの手伝うよ。」
「助かる。」
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昼前。
教会付属治療院。忙しそうに修道女たちが走り回っていた。近くの建設現場で大きな事故があり、巻き込まれた通行人などを含む多くの怪我人で溢れていた。
「包帯を!」
「次の患者さんはこちらへ!」
そこへ荷車が到着する。
「薬草を届けに来ました。」
修道女たちの表情が一気に明るくなった。
「本当に助かります!」
ちょうどその時。
奥からエリスが姿を現した。
「レオニス殿下にお願いした薬草がもう届いたのですか?」
目を輝かせる。
「ありがとうございます。」
アベルは軽く頭を下げるだけだった。
「荷物、ここでいい?」
「はい!」
二人が顔を合わせるのは、これが初めてだった。
ゲームでは学院内の礼拝堂で出会う。
しかし現実では、治療院だった。
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エリスは薬草を一つ手に取る。
「……これは。」
目を見開く。
「迷宮産ですか?」
「うん。」
「こんなに品質の良いもの……。」
ここまでのものは普通なら滅多に手に入らない。
きっと良い回復薬が出来るだろう。
しかも量が多い。
「どちらで?」
「たまたま採れたから。」
アベルは何でもないことのように答える。
エリスは少しだけ首を傾げた。
(たまたま……?)
この品質が、たまたま?そんなはずはない。しかし、急患が多い状況でそれを考えている余裕はなかった。
「急いで回復薬を作ってください。それを重症な患者さんから順に投与しましょう。」
「「「「はいっ。」」」」
複数のシスターが薬草を抱えて調剤室に入っていく。彼女たちならば直ぐに高品質なポーションを作れるのだろう。
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その時だった。
奥の病室から悲鳴が響く。
「エリス様!容態が急変しました!」
エリスは駆け出す。
ベッドには幼い少女。
高熱。
呼吸も荒い。
「魔素中毒です……事故現場で大量の魔素を吸ってしまったものかと。」
修道女が青ざめる。
「回復薬では追いつきません!」
エリスはすぐ治療に必要な治癒魔法を展開する。
「《リザレクション》」
だが、その魔法はこれまで一度も成功したことがない魔法だった。今回も途中まで発動しかけたものの、途中で魔力が霧散しまう。その後も何度か繰り返し挑戦するがいずれも失敗に終わる。
(彼女一人では魔力が足りない。このままでは……。)
その様子を見かねたアベルは、エリスに告げた。
「俺にも協力させて欲しい。」
そう言ってエリスに魔力譲渡を提案する。ただし、それにはエリスの背中にアベルが密着する必要があり、シスターである彼女にはかなり抵抗があるであろう方法だった。
「それでこの子を助けられるんですか?」
「わからない。でも、試してみる価値はある。」
少しの躊躇いもなくエリスは頷いた。
「わかりました。お願いします」
覚悟を決めたエリスが危篤の少女とアベルの間に入りアベルに背を向ける。そんなエリスの小さな背中にアベルはそっとよりそい、そのままエリスの手に自らの手を重ねる。
「えっ…」
「集中して…いくよ。」
その言葉の直後、アベルの持つ強大な魔力がエリスに流れ込む。
「あぁぁあああっっ。凄いっ。こんな魔力…」
「今だ!早く魔法を!」
「はいっ!《リザレクション》!」
ゲーム追加ディスクで追加された魔力譲渡のエピソード。その情報を信じてアベルはエリスに魔力を注ぎ続ける。大量の魔力の奔流がアベルからエリスを通じて少女に流れている。
「頑張れ!」
「……はい!」
いつしかエリスの身体からの魔力は黄金色の輝きを放ちながら、苦しむ少女を優しく包み込んでいく。次第に少女の苦悶の表情は和らいでいった。
「本物の聖女だ…」
御伽話に現れる伝説の聖女、金色の魔力を纏い神授の御神技を行使する姿になぞらえて誰かがそう呟いた。
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一時間後。
少女の熱は下がり、穏やかな寝息を立てていた。
少女の両親は涙ぐみながら何度も礼を言う。
「ありがとうございます……!」
エリスも後ろを振り返り深く頭を下げた。
「あなたのお名前を……。」
しかし。
そこにアベルの姿はなかった。
荷車だけが静かに残されている。
「帰っちゃったの?」
ルドルフが苦笑する。
「あいつ、照れ屋だからな。おっと、あいつが自分から名乗らないならば俺からは何も言えないぜ。悪いな。」
「いえ…。」
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夕暮れ。
礼拝堂で一人祈るエリス。
今回エリスが起こした奇跡により彼女は正式に聖女として認められることになった。
「神よ。」
静かに目を閉じる。
「今日、私は一人の方に救われました。」
少女の命を救った人。
見返りも求めず。
名も名乗らず。
暖かく手を差し伸べてくれた青年。
その手の温もりと背中に感じた体温を思い出すと顔が火照ってくるのを感じる。神に使える身としては不謹慎だったかと思いつつ、少女の命を助うために必要なことだったのだと。
(きっとお許し下さりますよね。でも、どうか…)
小さく微笑む。
「また、お会いできますように。」
その祈りは、まだ恋ではない。
けれど、彼女の心に確かな印象を残した最初の出会いだった。




