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第四話 忠心と懸想④

「あっ!」


 フロレンツィアの叫び声と共に、視界の隅に白い何かが飛来した。風に(あお)られ天高く飛んで行ったのは、フロレンツィアが被っていた帽子だ。フロレンツィアの母セラスが娘に持たせた、白いシルクの布地にアクアブルーのリボンが巻かれたつばの広い帽子。近くの茂みの方に飛んでいくと、一番高いクヌギの木の上に引っかかった。


「ありゃ、随分高いところまで飛んでしもうたな」


 ガムルが(はる)か高くに引っかかった帽子を見上げて(なげ)いた。子供たちも困惑した表情でそれを眺めている。

 ロザリーも呆然と帽子を見つめていたが、泣きそうになっているフロレンツィアの姿を見てハッと我に返った。


「お嬢様、私が取ってきます」

「えっ、でも、ロザリー」

「大丈夫ですよ、あれくらいの高さなら」


 ロザリーは微笑むと、帽子が引っかかっている木の下に近付き幹の凹凸に手をかけて勢いをつけて登り始めた。

 枝がしっかりした木で良かった。枝と枝を器用に渡っててっぺんまで上り詰めると、フロレンツィアの帽子のところまでたどり着く。地上からは十メートルばかりだろうか、身の軽いロザリーにはさほど苦ではない。あっさりと帽子を手に取ると、地上から歓声が聞こえた。


「うわあ、兄ちゃんすごい!」「ホントにとっちゃった!」


 子供たちが目を輝かせて喜んでいるのを見て、ロザリーも思わず得意げに笑った。さて、後は下りるだけだが、ふとその高度から見える光景が目に映ってロザリーは固まる。

 湖の向こうには起伏の少ない湿原が広がっていた。馬車の通る道は形成されているが、明らかに人気のない荒れ果てた地だ。(にぎ)やかなブラムヘンの街とは打って変わってどこか殺伐(さつばつ)とした寂寥(せきりょう)な光景、町からそう遠く離れているわけではないはずなのに。


(そうか――国境だ)


 高原の向こうにあるのはフォルテ王国と領地を隣接する国々だ。その瞬間、ロザリーは何故かぞくりと身震(みぶる)いする。あの広大な湿原が、その延長にあるこの湖畔が、ブラムヘンの街が戦火に包まれるのを想像し足が(すく)み、その瞬間突風で木が大きく揺れる。


「ロザリー!」


 地上のフロレンツィアの悲鳴が遠くに聞こえた。身体の支えが無くなり天地が反転する。


(受け身を取らなければ)


 頭の中でそう思っても身体は全く動かなかった。ロザリーはなすすべなく頭から真っ逆さまに地面に落ちていく。が、

 ロザリーの身体は不時着することなく柔らかく受け止められた。呆然とするロザリーを覗き込んでいるのは、怒りと焦燥(しょうそう)に顔を(ゆが)ませた男だった。このアングル、つい最近見た覚えがある。そうだ、舞踏会の時も木から落ちてこの人に助けられた。

 ――でも、もっと前にも同じような事があった気がする。


「なんでお前は、……」


 (かす)れた声はロザリーにしか聞こえなかった。ロザリーを強く抱きしめて、額に優しい口付けを落とす。以前ロザリーの部屋で抱きしめられた時と同じように、彼は酷く(おび)えていた。

 ロザリーは気が動転していて、その男のされるがままになっている。

 でも、心の中で何かが動いた。

 それはロザリーの記憶の奥底にしまっていた、とても大切なもの。引っ張り出そうにも何かが入り口を(ふさ)いで取り出せない。どうしても思い出したいのに、思い出せない。

 そんなものを抱えている自分に驚いて、そして何より、


「——ルッツ」


 自然と口から(こぼ)れたその名前が酷く懐かしい響きを放つ。けれども次の瞬間にはそれも霧散(むさん)して、


「す、すみませんっ」


 ロザリーは慌てて彼の腕から逃れ自力で立ち上がった。


「ロザリー」


 同時に困惑と喪心(そうしん)を顔に浮かび上がらせたフロレンツィアがよろよろとこちらに近付いてくる。彼女の表情を目の当たりにした瞬間、今のやり取りを見られていた事に動揺する。

「お、お嬢様……」

「――無事でよかった」


 フロレンツィアは涙目になってロザリーに抱き着いた。震える少女の身体をロザリーは抱きしめ返す。ロザリーは言葉が出ずただ呆然と立ち尽くす。手にギュッと握りしめたフロレンツィアの帽子が強い風で(なび)いていた。



 それからしばらくしてフロレンツィアと子供たちは鵜飼猟(うかいりょう)を再開し、日が暮れるまで楽しそうに(たわむ)れていた。屋敷に帰るまではフロレンツィアもロザリーも普通にしていたように思う。だが、


「ねえ、ロザリー」


 屋敷に戻ったフロレンツィアは自室に戻るなり、冷たい声でロザリーを呼んだ。


「ロザリー、ルートヴィッヒ様といつの間にあんなに仲良くなってたの?」

「あ……」


 ロザリーは身体中から汗が噴き出すのを感じた。明らかに怒りを(はら)んでいるその声音は、ロザリーが今まで聞いた事の無いものだった。


「ロザリーは、ルートヴィッヒ様の事が好きなの?」

「……っ! な、何言ってるんですか! そんなわけありません!」


 ロザリーは全力で首を振る。フロレンツィアの婚約者に対してそんな感情抱くわけがない。いや、それ抜きにしたってあんな傍若無人でデリカシーの無い男、好きになるわけが――。


「今日ずっと貴方たちの事見てたの。テラスでなんだか真剣な話してたから」

「あ、あれは別に大したことは話していませんよ。フロレンツィア様が気になさるような事は」

「ロザリー、嘘は止めて」


 ロザリーは反論の口を(つぐ)んだ。主が本気で怒りを見せているところを初めて目の当たりにし、ロザリーは絶望に青ざめる。


「貴女、ルートヴィッヒ様と話してる時、どんな顔してるかわかってないの?」

「……どんな顔?」


 ロザリーは首を傾げた。あの男と話している時の顔なんて気にしたことがなかった。だが、フロレンツィアはあからさまに失望した顔をする。


「お嬢様……!」


 なんとか誤解を解かなければとロザリーはフロレンツィアの手を取った。急に接近してきたロザリーに驚いたフロレンツィアの身体がびくりと震える。


「今日は申し訳ありませんでした。お嬢様を不安にさせるような事を……」


 確かにルートヴィッヒの気安い態度に問題があるのかもしれない。だが、それを許してしまったのはロザリーに隙があったからだ。主人の心をかき乱すような事態を招いたのはロザリーの落ち度だ。


「私は今後あの男との接触は必要最小限にとどめます。貴女が望むのであれば一切の会話も――」

「ロザリー」


 重いため息がロザリーを(さえぎ)った。フロレンツィアは静かにロザリーの手を押しのけると悲し気に目を伏せる。


「貴女って……、本当に罪な人よね」

「え……」

「私の気持ちなんて、ちっともわかってくれないんだから」


 ガツンと強く頭を殴られた気がした。フロレンツィアの失望した視線がロザリーの身体をグサグサと突き刺す。


「……ちょっと疲れちゃった。夕食まで休ませてもらうわ」

「――はい」


 暗に出て行けと告げられて、ロザリーは何も言えずに退室した。

 廊下の壁に(もた)れ掛かり、ロザリーは膝を抱えて(うずくま)る。


『私の気持ちなんて、わかってくれない』


 フロレンツィアが(はな)った言葉。ロザリーはどう答えるべきだったのか、わからない。


「しっかりしろ。自分の役目を忘れるな」


 ロザリーは自分の頬を強く叩いた。ロザリーのすべき事はたった一つ、フロレンツィアの安全と幸せを守る事。それ以外の感情はすべて排除する。

 たとえフロレンツィアに嫌われたとしても、ロザリーはロザリーのやるべき事をこなすだけだと、心に誓った。



 それからフロレンツィアはこの話題を一切口にする事はなく、今までと変わらない日々が過ぎた。ロザリーはフロレンツィアに従い彼女の世話に全力を尽くす。結果的にルートヴィッヒと話す機会が激減し、ロザリーはそれでいいのだと自分に言い聞かせた。


(これが自然な事だ。あとは、お嬢様とルートヴィッヒ様が親交を深めてくれれば――)


 けれどどうしてだろう。そう考えるたびにロザリーの心臓は重くなる。ルートヴィッヒを故意に避け続ける事に酷い罪悪感を抱いてしまう。


(これもお嬢様のためだ)


 ロザリーはフロレンツィアの従者だ。彼女を不安にさせるような事は絶対にあってはならない。そのためにならロザリーは感情を押し殺し、フロレンツィアの手足となろうと決めた。


 そんな不毛な日々が続くのかと思っていたある日、唐突に事態は急変する。


 王都にいるカインからの手紙が届き、リベルタ商会が麻薬密輸の疑いで摘発(てきはつ)されたという一報が届いたのだ。

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