第六十三話 『カズマと燃える街』
街が燃えている。
建物という建物から火の手が上がり、渦巻く炎は夜空を焦がす。雪のように舞う火の粉のなかを、人々は怒り、泣き叫び、戸惑いながら大通りを逃げ惑う。
逃げる人々の濁流のただ中で、俺は真っ赤に燃える夜空を見上げ呆然とした。
――一体……何が起きているんだ?!
その時、一人が俺の肩にぶつかる。
「突っ立ってるんじゃない! どけっ! 邪魔だ!」
「――っ! すいません……あの、何があったんですか?」
俺は走り去ろうとするその人を捕まえて問うた。引き留められた男性は舌打ちすると吐き捨てるように答える。
「なに言ってんだあんた?! 居住地の狼人どもが暴動を起こしやがったんだよ! 連中め、帝都中に火を付けて暴れてやがる!」
「……なっ?!」
男性の答えに俺は一瞬言葉を失った。
バルバ……ヨルク老の所の狼人が暴動……? 帝都に火を付けて暴れている? 何かの冗談だろ?
「あの噂は本当だったのさ! 連中が暴動を起こすって。ワルトの報復なんてたまったものじゃないわ……あんたも早く逃げないと戦に巻き込まれるよ!」
後ろから走ってきたおばちゃんがそう言って後ろを指差す。
戦……帝都の真ん中でか?
訳がわからない。俺が知る限り、バルバ狼人居住地の狼人には暴動を起こすような雰囲気は感じられなかったし、あそこにはヨルク老がいる。あの人が長としている限り、暴動なんて……
そんな俺の思考は、空気を震わせる轟音で途切れた。
あれは、銃声!
向こうの通りから聞こえたが――何がどうなっているんだ?
逃げ惑う群衆を掻き分け、流れに逆らい俺は銃声の聞こえた路地に走った。
「皆、恐れるなっ! 狼人の誇りを! 無惨に散っていった同胞の無念を! 偉大なる長老ヨルクの仇を! 我々の怒りを今こそ叩き付けるんだ!」
狼人の青年の叫びに、通りに集まった多くの狼人達が雄叫びをあげた。
先頭に立つあの若い狼人……確か、ウィルギルという名前だったか。若い狼人のリーダーだった筈だ。
何故彼が狼人達の先頭に立っているんだ? それに、偉大なる長老ヨルクの仇?
訳がわからない。ヨルク老の身に何かがあったのか?
ウィルギルに従う狼人達は鍬や棍棒、フォークを手に通りを進んでいく。若者だけではない。老人や女性の姿もある。
ふと、狼人の中に見知ったご婦人――一緒にアントプフを作ったおばさんの姿を見つけた俺は、彼女を呼び止めようとして足を止めた。
「止まれっ! 野良犬ども! これ以上進めば帝国への反逆とみなす!」
その時、警告の声が夜の通りに響く。
目を向けると、彼等が向かう先に人の壁が見えた。道路を封鎖する黒い軍服の一団――騎士団だ。
だが、狼人達は歩みを緩めず、騎士団の隊列を睨みながら行進を続ける。
このままじゃ不味い!
「第一列、構えっ!」
隊列の後方、馬に跨がり、軍服に豪華な飾りをつけた金髪の騎士が歩みを止めない狼人達を冷たく見下ろし、サーベルを抜いて叫んだ。
騎士団は躊躇うことなく狼人達に銃口を向ける。
俺は先頭を行くウィルギルを力ずくでも止めようと彼に駆け寄ろうとした……が、体が動かない……!
――何故だ!?
「ウィルギルっ! 何やってるんだ!」
ならばと声を張り上げて怒鳴るが、俺の声は狼人達には届いていない。それどころか、騎士団も俺に気付いていないように見える。
くそっ……どうなってやがる。
「ウィルギルっ! みんなっ! 退け! 退いてくれ!」
「――狼神よ! 汝の子らに祝福を! 戦死者の王宮の門は開かれたっ!」
俺の叫びと、ウィルギルが叫びながら駆け出すのがほぼ同時。彼の叫びに応えるように、他の狼人達も走り出す。
――銃口に向かって。
「撃てっ! 」
金髪の指揮官が嬉々とした笑顔を浮かべてサーベルを振り下ろす。僅かに間をおいて横一列に並んだ銃が一斉に火を噴いた。
耳をつんざく轟音が空気を震わせ、俺は衝撃で尻餅をつく。
もうもうと立ち込める白煙と火薬の臭いに噎せながら、俺は起き上がって息を呑んだ。
石畳が血に濡れ、多くの狼人が倒れている。それでも彼等は突撃を止めない。仲間の死骸を乗り越え、傷付いた仲間を支えながら咆哮をあげて騎士団に向かっていく。
その表情は笑っているようにすら見えた。まるで、自ら望んで死地に飛び込むような。
「第二列前へっ!」
指揮官の号令に、前に並んでいた騎士たちが素早く後方に回り、後列の騎士達が入れ替わって銃を構える。
一糸乱れぬ動き……反転後進射撃か!
間をおかず二発目が来る! 駄目だ。この距離じゃ避ける暇がない!
「構えっ! ……撃てぇっ! 」
目の前に雷が落ちたかのような轟音と衝撃が俺を襲った。銃口から噴き出す白煙が視界を覆い、俺は思わず腕で顔を庇う。
その時、耳元を虫の羽音のような音が過った。銃弾が掠めたのだ。
くっ……皆、どうなったんだ!?
「総員、抜剣! 野良犬狩りだ! 皆殺しにしろ!」
鬨の声と共に炎に照らされた刃の煌めきが俺に迫る。
残虐な笑みを浮かべた騎士団が折り重なるように倒れた狼人達の死体を踏みつけ、蹴飛ばし、半ば戦意を喪失した狼人達に襲いかかった。
鍬などの農具や棍棒で武装しているが、戦意をほぼ失った民間人と、サーベルや槍で武装し、剥き出しの敵意をぶつける軍人。
――それがぶつかったら、どうなるか?
自暴自棄になって鍬を振り回した狼人が槍で串刺しにされ、さらに数人の兵士からなます斬りにされる。
フォークを構えた狼人の婦人は短銃で至近から撃たれ、倒れたところを鉾槍の兵士数人から滅多刺しにされる……
暴徒の鎮圧なんてモノじゃない。これは虐殺だ。一方的な殺戮だ。
「もうやめてくれっ! 畜生っ!」
体は相変わらずピクリとも動かない。
それでも俺は叫んだ。
悲鳴と断末魔、罵声と哄笑。吐き気がするほど濃い血の臭い……そのただ中でただ叫んだ。
狼人達は立ち向かう事をやめず……最後の若者が十人近い兵士の槍で突き殺されたとき、漸く虐殺は終わった。
「諸君! 反逆の徒は滅んだ! 我々の勝利だ!」
指揮官が高らかに勝利を宣言し、騎士団が血に濡れた武器を天に突き上げて勝ち鬨をあげる。
「さあ、勝利の栄光を確かなものとするぞ! このまま賊が立て籠るバルバ狼人居住地を落とすのだっ!」
「おおおっ!」
地鳴りのような声。兵士の表情は殺戮の興奮でギラギラしている。あれではまるで獣だ。
騎士団の連中、居住地を攻めると言ったか?
叛乱を起こした狼人が立て籠っているって……あそこには子供たちや乳飲み子を抱えた母親が居る。この状況だから避難しているかもしれないが、逃げ遅れた人が居るかもしれない。
人間の言葉に耳を傾けてくれるか分からないが、せめて危険を知らせなければ……
俺がそう思った瞬間、視界が暗転し、熱に浮かされたような不快な浮遊感に襲われた。
くそっ……こんなときに――
――ふと気が付いたとき、俺は見覚えのある景色の中にいた。
バルバ狼人居住地……そこに繋がる橋の袂。
辺りには何かが焼けたような臭いが漂い、居住地の方向から黒い煙がいく筋か上がっているのが見える。
まさか……いや、まだ分からない。
沸き上がる不安を胸に押し込み、俺は居住地に向かって駆け出した。
「なんで……」
居住地に入った俺は、思わず独り言ちた。
それ以上言葉が続かず、ただ目の前の光景を眺めることしか出来ない。
居留地のバラックはその殆どが焼かれ、煙が燻っていた。
おばちゃんたちが喧しく洗濯をしたり、子供達が笑顔で駆け回っていた広場には、夥しい狼人の死体が山のように無造作に積み重ねられ、何人かは教会の屋根から逆さに吊るされ晒されている
間に合わなかった……のか。
「穢らわしい犬どもめ! よくも俺の家に火をかけやがって……!」
帝都の民とおぼしき男達がそう吐き捨て、吊るされた死体に石を投げつけている。
確かに彼等は帝都に火をかけ、多くの人々の生活を奪ったのかもしれない……しかし、だからと言って彼等の骸を辱しめていい訳がない。
俺が男達を止めようと口を開いた時、通りすがりの老人が俺を制した。
「やめておけ、若いの。彼等も怒りのやり場が無いのだ――理不尽な嵐に巻き込まれただけなのだからな。あの男達も、ここに転がっている狼人達も」
「理不尽な嵐……」
「乱に加わったか否かによらず、老婆から乳飲み子に至るまで狼人は尽く殺された。今この時も帝国の全ての居住地で狼人狩りが行われておるという……狼人の誇りかなにか知らぬが、自らの欲望を満たした代償が同胞の命とは。銀狼も愚かよ」
老人は広場を見渡しため息をついた。
血の臭いに引き寄せられたか、居留地の空には夥しい数の烏が舞っている。
ふと、地面に小さな塊がふたつ横たわっているのが見えた。俺は胸にざわめきを感じて駆け寄った。
「ダニー……ディモ……」
見知った少年達の無惨な姿に、俺は崩れるように膝をついた。
逃げる最中、ディモが転けたのだろうか。俯せのディモは背中から槍で突き殺され、それを庇う形で倒れたダニーは袈裟懸けに斬り捨てられている。
その表情は怒りと恐怖で歪んでいた。
叛乱を鎮め、暴徒を鎮圧するまではいい。だが、戦意を喪失した暴徒やなんも関係ない子供や女性まで皆殺しにするのか?
俺は怒りに爆発してしまいそうな感情を無理矢理押さえ込み、子供達の見開いた瞳をそっと閉じてやる。
子供をこんな場所にいつまでも寝かせておくわけにはいかない。彼等を両親の側に連れていってやりたいが、顔も知らない親の死体を探すのは無理だ。
ならせめて、二人一緒の場所に埋葬を……と顔を上げた視線の先に、俺は信じられないものを見た。
風に揺れる銀の髪。
力なく伏せられた洋紅色の瞳。
「ステラ……」
ゆらりと立ち上がり、俺は少女のもとに歩み寄る。
何故彼女がここにいる?
ステラは血と泥にまみれた白いワンピースを無惨に引き裂かれて柱に磔にされていた。
白い肌には青アザや切り傷があちこち刻まれ、右足が妙な方向に曲がっている。
慎ましやかな乳房や細い首筋は沢山の歯形のような痕。襤褸布と化したスカートから覗く太股は血に濡れていた。
何があったのか、彼女がどうなってしまったのか……考えるだけで吐き気がする。
ステラは美しかった。彼女はヒトであり、狼人だった。ただ、それだけだ。
――たったそれだけなのに……!
頭が真っ白になる。何も頭に浮かばない。
「混ざり者が……いい気味だ」
「石投げるのは止しておけ。銀髪の混ざり者は珍しいって、ほとぼりが冷めたらどっかの貴族が引き取って剥製にするらしいぜ」
「本当か? 悪趣味だなおい」
嫌でも耳に入り込む男達の会話。俺の中で何かが弾けた。
――『狼人が狼人として生きることのできる世界を作る』。クリフトさんの夢……未来への希望の結末なのか? これが……! こんなものが……!
「許せない……こんな……絶対に」
自分でも聞いたことの無いような冷たい呟きが喉から漏れる。
――そうだ……傲慢な帝国人は自分達以外を人間とは思っていない。そんな腐乱した連中には我々が思い知らさねばならない。自分達の矮小さを!
――その為に全部ぶっ壊すのさ……楽しいぜぇ?
「全部……壊す」
――そうだ。もっと血肉が、命が……変革のためには必要だ。
――力が欲しいだろう? 君が望めばいくらでもあげよう。さあ、カズマ。
甘美な囁きに俺はニヤリと笑い……
……
……
……
……
「――っ!」
寝床から跳ねるように上体を起こした俺は、慌てて周囲を見渡す。
ここは俺の部屋……?
窓から差し込む月の光に朧に照らされた見慣れた景色に、俺は全身の力を抜いて溜め息をついた。
――夢……か。
でも……夢にしてはリアルだったな。それに……すごく嫌な夢だった。
俺は溜め息をつくと、ベッドに倒れ込む。寝汗が気持ち悪い。喉もカラカラに乾いている。
でも、全身が鉛のように重く、寝返りさえ億劫だ。一階の台所まで水を飲みに行くなんてできそうにない。
――バルバ狼人居住地の暴動……か。
帝都は銀狼団の叛乱の話題で持ちきりだ。一昨日まで世話になっていたブルヒアルト伯家の屋敷でさえそうだったのだ。
そして以前聞いた狼人の暴動の流言。
それが重なってあんな夢になったのか?
……いや。
俺の人生はもう何回も、神様が数えるのも面倒になるくらいやり直されている。
そしてたまに、俺の『前世』の記憶が脳裏にフラッシュバックする。
もし、あの夢がそうなら……ヨルク老に何かが起こる?
俺は前に見た、厳つい老狼人の顔を思い出した。あの爺さんは強い。簡単にどうにかなるとは思えないが……夢だと切り捨てるには、あの感覚は重すぎた。
……明日にでも訪ねてみようか。話を聞いてくれるか分からないが、警告するくらいなら……
そして俺は再び深い眠りに堕ちた。




