表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/67

第六十二話 『ワルト城と狼人達の夜』

 アルマの森。その深淵――


 片膝を付いたまま、クリフトは立ち上がれずにいた。


 骨が折れた左腕は既に使い物にならない。呼吸する度に胸が痛む。肋骨も折れたのだろう。


――流石にキツイですね……本気でやってこれでは。


 何より、重い一撃を受け続けて体力が底をつき、打撲による全身の痛みに全身が悲鳴をあげている。


――認めたくないですが……歳を取ったと言うことですか。


「あんたやるな……俺を相手にここまで持った奴は久し振りだ」


「それは……光栄ですね」


 ゆらりと立ち上がり、軽く腕を構えて野蛮な笑みを浮かべる大男――烏丸と名乗る契約者(テスタメント)に、クリフトは顔を歪め答える。


 クリフトの全力の打撃を受け止めてなお、この若者は笑みを浮かべる余裕があった。


 『神の加護』とは人間を化物に変える。そう主人(メアリム)は言ったが、あれは比喩ではなかったらしい。


「立てよ。あんたの目はまだ死んでねぇ……隙なんて窺ってねぇで正面から来いよ」


「……っ!」


 挑発的に手招きする烏丸。クリフトは心の中で舌打ちすると、ゆっくりと立ち上がった。


 精魂尽き果てた振りで油断を誘い、捨て身の一撃を叩き込むつもりだったが、読まれていたようだ。


 大きく深呼吸し、腰を落として身構えるクリフトに、烏丸は獰猛な笑みを浮かべる。


「いいねぇ……それでいい。死合(けんか)ってのはこうでなきゃ。人間(パンピー)はすぐ壊れちまうし、犬野郎(ハウド)今は(・・)壊しちゃいけねぇ……折角のチートスキルが実感できる喧嘩がしてぇんだよ。俺は」


「……私も昔は喧嘩ばかりしていたクチですが、貴方ほどは狂ってはいませんでしたよ?」


「狂いもするさ。雑魚ばかりで力が有り余ってストレス溜まってんだ……来いよ。次でぶっ殺してやる」


 舌舐めずりする烏丸。クリフトは静かに答える。


「……残念ですが、私はまだ死ぬわけにはいいきません」


「片腕一本でよく言える」


「たかだか腕一本っ!」


 烏丸がそう鼻で笑った刹那、クリフトは短く息を吐くと一気に地を蹴った。


 地を這うようにして烏丸に肉薄するクリフト。烏丸はクリフトの顎を蹴り上げる!


「らあっ!」


「――っ!」


 だが、クリフトは烏丸の蹴りをすれすれで身を捻り躱すと、右手を地面について体を回転させ、低い位置から烏丸の顎に回し蹴りを放つ。


「ごっ!」


 烏丸は咄嗟に腕を構えて蹴りを防ぐが、クリフトの蹴りは烏丸のガードの上から彼の顎を打ち抜いた。さらにクリフトは体を捻り、顎に一撃を喰らって体勢を崩した烏丸の足を払う。


 足を払われ転倒した烏丸にクリフトはすかさず追撃の踵落としを放つ。が、烏丸は振り下ろされた踵を躱すことなく受け止めた(・・・・・)


「……っ?!」


 体重と遠心力を乗せた一撃を止められたクリフトは一瞬驚愕に息を飲み……その隙を烏丸が突く。


「ごるぁっ!」


「なっ!」


 烏丸はクリフトの足を掴んだまま彼を引き倒すと、素早く起き上がってクリフトの首を掴んで持ち明け、そのまま近くの木の幹に叩き付ける。


「さっきのは効いたぜ……思わず本気出しちまった。だからよ、礼に苦しまず一気に殺してやる」


「――!!」


 烏丸がそう言ってクリフトの喉を握り潰そうと力を込めた……その時。


「……そこまでだ。烏丸」


「あん? んだよ爺ぃ……邪魔するんじゃねえ」


 夜の森に木霊する不気味な声に、烏丸は苛立ちを露に舌打ちした。


「……これ以上は不要だ。お主は自分の役目を果たせばよい」


 いつの間にか、烏丸の背後に黒いローブの老人が立っている。


 髑髏(しゃれこうべ)に土気色の皮を張り付けたような風貌の老人から滲む不気味な気配に、クリフトは背筋に冷たいものが走るのを感じた。


「五月蝿い。犬一匹殺すくらい好きにさせろ糞爺ぃ」


「無駄に吠えるな駄犬。犬の代わりなどいくらでも居るのだぞ?」


「――ちっ!」


 少しの沈黙のあと、烏丸は不承不承の態でクリフトを地面に放る。


束縛せよ(オプリガーディオ)


 為す術なく背中から地面に叩き付けられたクリフトの耳に、低い呪詛の呟きが聞こえ……直後、全身を襲った締め上げられるような痛みに彼は悲鳴をあげる暇なく意識を失った。


 ……


 ……


 ……


 ……


 遠雷のように響く着弾の轟音に、部屋が小刻みに揺れて砂と埃が降る。


 腹に響く轟音に叩き起こされたクリフトは、顔に降りかかった埃を払い落として窓に目を向けた。


 窓から見える空は茜色に染まっている……昼寝のつもりが随分寝過ごしてしまったらしい。


――今日は随分と頑張りますね。まだ城壁を崩しきれていないと言うことでしょうか。


 クリフトは気だるさが残る体を叱咤して寝床を出る。


 今クリフトが居るのは銀狼団が占拠している『ワルト城』の倉庫を居住用に改装した牢獄だ。


 アルマで不気味な老人の魔法を受けて昏倒したあと、捕らえられ連れてこられたらしい。


 今、彼は敵陣に囚われの身である。


 もっとも、軟禁状態ではあるが、三食の温かい食事と快適な寝床が用意され、扱いとしては虜囚というより客人のようではあるが……


 クリフトがここに囚われて既に十日以上経っている。手厚い治療のお陰で、アルマで受けた傷も十分ではないが動けるようになるまで癒えていた。


 棒と包帯で固定された左腕を擦りながら、クリフトは物思いに更ける。


――世話になっておいてなんですが……ここまで待遇が良いとかえって気持ち悪いですね。ゲルルフが私を取り込もうとしているわけは無いでしょうが、何か意図が――


 その時、再び轟音が部屋を揺らした。


 城を包囲している帝国軍からの砲撃。ここ数日、日中の砲撃の激しさが増している。


 そして日が落ちてからは周囲に展開している部隊から夜通しに鬨の声が上がるのだ。


 絶え間ない砲撃は城壁の破壊の他に守備兵の恐怖心を煽る効果もある。さらに夜通し鬨の声を上げる事で、夜襲を警戒させ睡眠を妨害し精神的に疲れさせる……攻城戦に於ける常套手段であり、守備側の心理を突いた効果的な戦法。


 だが――牢屋(ここ)から窺う限り、今のところ十分な効果は挙げていないようだ。


 食事を運んでくる狼人(ハウド)の戦士とも言葉を交わすが、疲弊している様子は見られなかった。夜の鬨の声を鼻で笑う余裕がもある。


 まるで向こうが攻めてくることなど無いと分かっているような……そんな雰囲気すらあるのだ。


 と、その時、格子戸の向こうで何やら動く気配があった。食事の時間にはまだ早い。


 何事かと様子を窺っていると、鉄格子の前にぬっと人影が現れた。


「おう。起きたか……気分はどうかな? ギーゼルベルト」


「オイゲン老……惰眠を貪るのも飽きてきたところですよ」


「そいつは結構……暇なら付き合わぬか」


 牢獄の前に現れた恰幅のよい狼人(ハウド)の老人――オイゲンはそう言って破顔し、手にした酒瓶を振って見せた。


 未開封の瓶に貼られたラベルの銘柄はクリフトもよく知る馬鈴薯酒(アクアビット)のもの。たしかそれなりに値が張る銘柄だった筈だ。


「私は貴殿方に囚われている身なのですがね」


「だがその前に、かつての同志でもある」


 クリフトが呆れ気味に苦笑を浮かべると、オイゲンはニヤリと笑って言った。


 ――オイゲン・ランケ。


 黒い毛並みと金色の瞳が印象的な老狼人(ハウド)は、このワルト城を占拠する叛乱の指揮官でありゲルルフやロートと同じくかつてクリフト――ギーゼルベルトと志を同じくした仲間だった男だ。


「まさか将が戦の最中に酒を飲むわけにもいかん。しかし、窮屈な城に引き込もっての戦なぞ飲まずにやっておれん……部下に隠れて飲むにはここはおあつらえ向きなのよ」


 そういいながら、オイゲンは鉄格子の鍵を開け、『入るぞ』と牢に入ってくる。


 クリフトは小さく溜め息をつくと手近な木箱を引き寄せ、即席の椅子とテーブルを作った。元々倉庫だった場所だ。中身は知らないが木箱には困らない。


「……帝国の輩も空気を読んだか。埃の中では酒は飲めぬからな」


 そう言って椅子代わりの木箱にどかりと腰を下ろしたオイゲンは、懐から二つの杯を取り出すと酒瓶のコルクを抜いて酒を注ぎ始める。


 確かに、オイゲン老が来た辺りから帝国軍の砲撃が止んでいた。まあ、偶然だろうが。


「さて、と――このように二人で酒を酌み交わすのはいつ振りかな」


「私が『銀狼団』を解散させた夜以来です」


「そうか……もうあれから十五年か」


 どちらからというわけでなく杯を掲げ、最初の一杯を一気にあおる。


「オイゲン老、下手な言い訳など不要です。城代の貴方が戦の最中に一人で虜囚を訪ねる……目的は何です?」


「相変わらず真面目だな、ギーゼルベルト……酒の席くらい眉間の皺を取らんか」


「性分ですから」


 オイゲンはそう言いながら酒瓶を手に取り、クリフトは杯を手にしてオイゲンに傾けた。


 とくとくとく……と音を立て、酒がクリフトの杯を満たしていく。


「……どうだ、ギーゼ。今一度我等と共に――」


「お断りします」


 誘いの言葉を言い切る前にバッサリと拒絶したクリフトに、オイゲンは一瞬言葉を失い、すぐに苦笑を浮かべた。


「で、あろうな。まあ、御主であればそう答えるであろう……そうでなければらなぬ」


「……御老」


「そのような顔をするな。分かっていて敢えて聞いたのだ――十五年前のあの日、我等と御主は袂を別った。今更歩み寄れるとは思わぬ……だが、我等が目指すものは今も変わらんだろう?」


 オイゲンはそう言って笑い、自身の空の杯をクリフトに示した。


 クリフトは馬鈴薯酒(アクアビット)の瓶を手に取り、オイゲンの杯に酒を注いで答える。


「『狼人(ハウド)の誇りを取り戻し、狼人(ハウド)狼人(ハウド)として生きていける世を作る』。皆と共にたてた狼神(ヴァナルガンド)への誓いは私の中に今も生きています」


「――そうだな。そして、その為に我等は蜂起()った」


「誇りのために……? しかし、誇りとは己の胸の内に抱くものです。寄り掛かりすがり付くものではなく、まして他人に振りかざすものではありません」


 クリフトの言葉に、オイゲンは馬鈴薯酒(アクアビット)を一口飲み、頷いた。


「ああ。全くもってそうだ。だがな、ここの若者たちには『狼人(ハウド)の誇り』の他に依って立つものがないのだ……御主と違ってな」


「……」


「ヨルクの所で見ただろう? たが、貴族領にある居住地の現状はあんなもんじゃない……狼人(ハウド)絶滅(・・)を国是としていた時代とそう大して変わらん。ここの若者たちは皆、『生かさず、殺さず、活かさない』――そんな居住地の中で、貧困と将来(みらい)への絶望に喘いでいる」


「……その若者達に将来への希望の道を示し、生きるために導くのが先達の責任なのではないですか? オイゲン。何故若者の自暴自棄を煽り、死へ追い立てようとするのです?」


 クリフトはオイゲンの目を真っ直ぐ見据え、厳しい表情で問うた。


 オイゲンはクリフトの目を見返すと、馬鈴薯酒(アクアビット)を一口含み、溜め息をつく。


「儂も彼等と同じよ……ギーゼルベルト。誇り高き狼人(ハウド)であろうとすればするほど、狼人(ハウド)の現実に絶望を覚えるのだ……狼人(ハウド)狼人(ハウド)として生きられぬ現実は正さねばならない」


「御老、時代はいつまでも狼人(ハウド)沃野(シュテルハイム)の支配者であった時のままではありません……確かに今の時代は狼人(ハウド)に理不尽です。しかし、過去を振りかざして今を変えることは出来ない。時代を変えたいならは、先ず狼人(われわれ)が変わらねばならない。そうではありませんか?」


 クリフトの言葉に、オイゲンは父親が息子を見守るような眼差しを彼に向け、軽く肩を竦めた。


「……『己の変革無くして時代は変えられない』それが御主が十五年で得た答えか――しかし、御主のように生きるには儂も彼等も歳を取り過ぎ、現実に絶望し過ぎた。残念だが我等は変わらぬ。変われぬ」


 杯に揺れる酒に目を落としそう告げるオイゲン。その言葉には諦念の情が滲んでいるようにクリフトには感じられた。


 既に日は落ち、牢獄は薄闇に沈んでいる。そろそろ夕食の時間だが、食事を運んでくる兵士はまだ来ない。


「まさか、ゲルルフは死に急ぐためにこんな無謀な戦を仕掛けたのですか? オイゲン老」


「無謀……そう思うか」


 杯をあおり、酒を飲み干してそうニヤリと笑うオイゲン。クリフトは頭を振ると諭すように言う。


「帝国騎士団一万八千に対して銀狼団三千……『銀狼』の名をもってしても三千しか集まらなかったのです。これを無謀と言わずしてなんと言いますか」


「……正確には、敵は三万だ。公爵に取り入り、箔付けに手柄をたてようと、私兵をかき集めて押し掛けて来た貴族どもよ。我等を烏合の賊徒と侮る度し難い愚かな連中だ」


 討伐軍には帝国騎士団に加え、貴族達が私兵を率いて加わっており、その規模は当初の計画を大きく越えたものになっていた。


 三千の叛乱軍に対して三万の討伐軍。いくら難攻不落と謳われたワルト城に籠っているとはいえ、絶望的な戦力差である。


「確かに戦力差は大きい……しかし、正規の騎士団だけならまだしも、連中の半分は寄せ集めの貴族私兵……どちらが烏合の衆か。まあ、戦死者達の宮殿(ワルハラ)への丁度良い手土産になるわ」


「オイゲン老……まさか最初から?」


 クリフトは愕然として呟いた。老人の表情や声色から、その言葉が比喩や冗談ではないと気づいたのだ。


 彼等はここで死ぬ気だ。


 オイゲンは空の杯を弄びながら語りを続ける。


「我等はワルトという燭台に灯る灯火よ……そして連中はその灯火に集る羽虫……ゲルルフはこの城にはおらぬ。銀狼の檄に応える同胞(はらから)も三千では終わらぬ……奴等が我等の周りを飛び回っている内に、ゲルルフが帝都の喉元に牙を突き立てるだろうさ」


「……何故それを?」


 オイゲンの言葉にクリフトは眉を顰めた。


 自分達はゲルルフ率いる本隊から帝国の目を逸らすための囮なのだと、自分達が討伐軍を引き付けている内に、ゲルルフが帝都を襲うのだと老人はクリフトに告げているのだ。


 何故そんなことをするのか……クリフトにはわからなかった。


 だが、クリフトの困惑を他所にオイゲンは『よっこいしょ』と木箱から立ち上がり、笑みを浮かべてクリフトを見下ろす。


「……久し振りに御主と杯を交わして楽しかったよ。ギーゼルベルト。連中の総攻撃が始まれば酒を楽しむ暇など無くなるからな。乙女月(ユングフラウ)の二十日には公爵の本隊が帝都を発つという。順調にいけばここに到着するのは五日後……そろそろ出迎えの準備の仕上げをせねばならぬ」


「随分と具体的な情報ですね」


「なに。風の噂(・・・)が届くのさ。酒は置いていく。良い酒だ。ゆっくり飲んでくれ……ではな……次は戦死者達の宮殿(ワルハラ)で会おう」


「……私はそちらに伺う予定はまだありませんよ?」


「……構わんよ。気長に待つさ」


 クリフトの答えにオイゲンは破顔して頷き、軽く手を上げて鉄格子を潜る。


(しかし、風の噂ですか――成程、道理で)


 オイゲンの言葉でクリフトの疑問がひとつ解けた。攻め手の砲撃も鬨の声も狼人(ハウド)達に効かない訳だ。彼等は公爵が戦場に着くまで城攻めが無いことを知っているのだから……


 牢獄に一人残されたクリフトは、ふとオイゲンが出ていった鉄格子に目を止めた。


 扉が開いている。酔って閉め忘れたわけではないだろう。


 オイゲンの策かと疑ったクリフトだったが、迷った時間は一瞬だった。どちらにしろ城攻めが始まっては脱出もできない。ここを抜け出すには今しかない。


 クリフトはオイゲンの残した酒瓶を手に取ると、牢獄を抜け出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ