第六十四話 『新月の夜と炎の襲撃』
「さっきから妙な臭いと気配がするの。屋敷を取り囲んでるみたい」
「妙な……?」
ステラの言葉に俺はベッドから降りると、壁に身を隠しながら窓の外を窺った。
今夜は新月。
夜の闇の中、屋敷を囲む黒々とした雑木林がうっすらと見える。気配を殺した人の影をそこから見つけることは不可能だ。
だが、いくら闇の中に姿を消しても、生き物が生き物として有る限り、体を流れるマナの気配を完全に断つことはできない。
何故そんなものを感じられるのかは分からないが……魔法を使えるようになったことが原因なんだろう。
それはいい。
林に潜む人とおぼしきマナの気配は少なくとも十人分――全員人間か。屋敷を囲んでいるってことは、この倍は余裕でいるってことだ。
何者なんだ? 爺さんを狙った暗殺者か?
……いや、爺さんは今帝都を離れ、魔法学園に行っている。宮中伯を狙うような暗殺者がターゲットの動向を知らぬ筈がない。
であれば、家主の留守を狙った盗賊か。何れにしてもまともな奴等じゃない。
くそっ……かなりヤバイな。
俺は急いで踵を返すと部屋のドアを開けた。
「きゃっ?! いきなり開けないでよ……っ! ビックリするじゃない」
ドアの向こうで俺の様子を窺っていたらしいステラが可愛らしい悲鳴をあげて 飛び退り、唇を尖らせて俺を睨む。
「ステラ、外の連中に心当たりは?」
「有る訳無いでしょ? あんたの方が心当たり有るんじゃない?」
「ははっ……まさか」
ジト目で睨み付けるステラの言葉を、俺は肩を竦めて否定した……のだが、恨みを買いそうな貴族に心当たりが無いわけではない。
「ねえ、どうするの? カズマ」
問い掛けるステラの声に不安が滲んでいる。俺も正直どうしたらいいか分からない。が、ここで俺が狼狽えれば彼女を余計に不安にさせる。
「数が多い。逃げるぞ」
「逃げるって……囲まれてるのよ? どうやって、何処に逃げるのよ」
「地下倉庫から外に抜ける道があるってクリフトさんが言ってた。そこから逃げる。大丈夫だ。何とかなるさ」
俺は不安げな表情のステラの頭をそう言って笑いながら軽く叩く。
勿論大丈夫な根拠はない。だが、出任せでもこんなことを言っておかないと俺自身足がすくんでしまいそうだ。
ステラが少し剝れて抗議の声をあげた時、俺の背後でガラスの割れる音――!
「ステラ!」
「――っ!!」
俺は考えるより先にステラを廊下に押し倒した。
少女が尻餅をついて悲鳴を上げたのと、俺の耳元を鋭い風切りの音が掠めたのがほぼ同時。音の行き先に目をやれば、廊下の壁、俺の頭くらいの位置にゴツいナイフが突き立っている。
あっぶねぇ……
俺の背筋に冷たいものが走った。あと少し遅ければ……
「……カズマっ!」
ステラの悲鳴。俺は少女を抱き締め廊下を転がる。その時、俺の背中を狙ったサーベルの刺突が廊下の床を抉った。
「――!!」
必殺の突きを躱された襲撃者と俺の視線が交差する。
「『暴風――鎚』っ!」
挨拶代わりに紡いだ『ことば』は圧縮された大気の戦鎚となって襲撃者を吹き飛ばす。
男が部屋の壁に叩き付けられる派手な音を背に、俺はステラを助け起こした。
「ありがとうステラ。助かった」
「別に……いいわよ」
ぶっきらぼうにそう言いながら頬を真っ赤に染めて目を逸らすステラ。
――こんなときに『可愛いな』なんて考えてしまうんだから、男と言うのは度し難い生き物だ。
その時、廊下の窓が割れ、暗闇に二つの影が踊り込む。黒装束に身を包んだその姿は闇に慣れた目でもうっすらとしか見えない。
「――?!」
二人は俺とステラを確認するや、短刀を抜いて身構えた。鋭い殺気が隠すことなく俺に突き付けられる。
逃げるにも後ろは行き止まり。背中には怯える少女……ちっ! やるしかないか!
俺は壁に突き刺さったゴツいダガーナイフを抜くと、男達に突き付け叫ぶ。
「何者だ? お前ら!」
「――」
誰何の問いを無視し、襲撃者は無言のまま間合いを詰めてきた。俺はすかさず壁に手を当てて『ことば』を紡ぐ。
「『蔦よ』っ!」
瞬間、床板から親指ほどの蔦が伸び、着地した襲撃者たちの足を絡めとった。
「――なにっ?!」
流石に俺の能力の情報は持っていなかったか、襲撃者たちは驚愕に動きを止める。
――今だっ!
一気に間合いを詰めると、手前の男の腹に手を当てて『ことば』を紡いだ。
「『雷』」
「っっ――!!」
静電気が弾けるような激しい音がして、男は声にならない絶叫とともに崩れ落ち、体を激しく痙攣させる。
「しゃっ!」
「ちっ!」
短く吐き出された息の音。咄嗟に身を翻した俺の脇を短刀の光が掠める。視えていてもヒヤリとした。
「くそっ! 化け物め!」
「――っ! 突風――爆」
不意打ちの刺突を難なく躱され、男は忌々しげに吐き捨てる。俺はそれに『ことば』で答えた。
至近で強烈な爆風を浴びた男は木の葉のように宙を舞い、廊下に叩き付けれる。
一瞬殺してしまったかと背筋が冷たくなったが、倒れた男が呻き声を上げたのを聞き胸を撫で下ろした。
……化け物か。
普通の人間からしたら、俺は人外の化け物なのかな。
っと、浸ってる場合じゃない。電気ショックで止められるのは数分。吹き飛ばした奴だっていつまでも寝ていてはくれない。
「行くぞっ! ステラっ!」
「う、うん……」
俺の呼び掛けに、呆然としていたステラは慌てて駆け寄ってきた。
横に並んだ彼女は俺を見上げて表情を曇らせる。
「ねえカズマ……」
「ん? なんだ?」
「別に……何でもない。先に行って様子を見てくる」
そう言ってステラはぷいと俺から顔を逸らし、足を早めて闇に消えた。
何だよ。変なやつ。
「ちょっと待って」
「……どうした?」
階段から一階の様子を覗き見たステラが緊張気味に声をあげる。俺は今来た廊下の暗闇を警戒しながら問うた。
「……おかしいわ。下の階、誰も居ない」
そう答える少女の表情は不安げで、銀髪から覗く犬耳もピンと立っている。
俺は目を閉じて階下のマナを探った。確かに誰も居ないようだ。
「私は半人だけど狼人よ? 人間よりは夜目が効くし嗅覚も鋭いわ」
俺の沈黙を自分の言葉に対する疑いと取ったのか、ステラが憮然として訴えてきた。
「ああ。分かってるよ……信頼してる」
俺が苦笑しながら少女の頭を撫でると、ステラは『また子供扱いして』と不満げに唇を尖らせる。
たが、俺の手を振り払わず撫でられるままになっているところを見ると満更でもないのだろう。
しかしこの状況、絶好の脱出チャンスだが……嫌な感じだ。
――その時。
階下から窓ガラスが割れる音が断続的にして、続けて爆発音のような音が響く。
「……?!」
「なっ?!」
俺とステラは思わず顔を見合わせ、慌てて一階へと駆け降りた。
一階の廊下に躍り出た俺の目に映ったのは、廊下に立ち込める煙と、立ち上る真っ赤な壁。
舞い散る火の粉と頬を焼く熱。炎は廊下の壁を舐めるように燃え上がり、既に天井にまで達している……って、火の回りが早すぎないか!?
さっきまで火の気すら無かったのに。くそっ! どうなってやがる!?
「カズマ! どうしよう?!」
ステラが火の粉から腕で顔を庇って悲鳴をあげた。少女はすっかり動転してしまっている。それが逆に俺を冷静にさせた。
「連中は俺達を屋敷から炙り出すつもりだ。慌てて飛び出せば狙い撃ちされるぞ」
「でも、このままじゃ……!」
「ああ。だからこのまま逃げる」
俺はステラに頷いて見せると、行く手を阻む炎の壁を睨み付け、炎を吹き散らす突風をイメージして『ことば』を紡ぐ。
「『暴風』っ!!」
瞬間、轟っ! と廊下を風が唸りをあげて吹き抜け、イメージ通り炎を吹き散らす。
「お爺ちゃんと同じ? あんた、何者なの?」
「その話は後! 長くは持たない! 走れ! ステラ!」
俺は鋭く叫んで炎のトンネルに飛び込んだ。ステラも迷わず俺の後に続いて走る。
廊下の突き当たり。地下に降りる階段の先に鉄板で補強された分厚い木の扉が見えた。その先が屋敷の倉庫だ。
「『石礫』っ!!」
俺は階段を駆け降りながら『ことば』を扉に叩き付けた。ことばから生まれた石礫は錐のように扉に突き刺さり、打ち破る。
そのまま地下倉庫に転がり込み、続いて飛び込んできたステラを抱き止めた。
その瞬間、熱風が地下倉庫に吹き付けてくる。
危なかった……マジギリギリだな。
と安心した瞬間、右の二の腕に鋭い痛みが走る。驚いて見るとステラが俺の腕を摘まんでいた。
「……いつまで抱き付いてるの?」
「おぅ……悪い」
俺は慌ててステラを放し、彼女から離れる。ステラはそんな俺をジト目で睨んだ。
「……節操無し。シャルロットに言いつけてやる」
「止めてくれ――しかし、抜け道は何処だ? こんなに乱雑だと探すのも一苦労だな」
わざとらしく咳払いして、俺は倉庫を見渡した。所狭しと積み上げられた木箱や古いクローゼットで足の踏み場もない。
ここから地下通路の入り口を探すってか。くそ。余裕無いっていうのに……
「カズマ、そこから風の流れを感じるわ」
「そこって……」
ステラの指差した先には見るからに重そうなクローゼットが鎮座している。あれの下に入り口が?
まさか、な。
半信半疑でクローゼットに手をかけた俺は、頬を撫でた冷たい風にハッとした。
「爺ぃ……手の込んだことを」
思わず呟いてクローゼットの扉を開ける。古びたローブやシャツが掛けられたクローゼットの底板。それを外すと深い闇が口を開けていた。
「……ここを降りるの? 本気?」
俺の背中からクローゼットを覗き込むステラが嫌そうな声をあげる。
確かに……俺も魔物が跋扈する魔窟の入口みたいな所には潜りたくない。しかし、屋敷が燃え落ちれば追っ手が来る。
俺は覚悟を決めると暗い地下道へ降りる梯子に足をかけた。
「ねえ、出口まだ?」
「……さあな」
後ろを付いて歩くステラが疲れた声で文句を言ってくる。地下通路を歩き始めてからこのやり取りは三回目だ。
――暗く、寒く、カビ臭い。
三拍子揃った地下道は殆ど自然の洞窟だ。魔法の灯りで足元を照らしてはいるが、かなり歩きにくい。
「……何でこんなことになっちゃったんだろ」
ポツリと呟くステラ。それは俺が知りたい。何で俺達がこんな目に遭わなきゃならないのか……そもそも連中は何者なのか。
いや……考えるのはよそう。
連中は俺達の敵。今はそれでいい。先ずはここを抜けて安全な場所に逃げる。色々思い悩むのはその後だ。
「あ、出口」
ステラの言葉に俺は顔をあげた。出口と言われても視界は一面暗闇でそれらしいものは見えない。
だが、確かに頬を撫でる風の匂いが通路の空気と明らかに違う。外は近いようだ。
新鮮な空気を深呼吸して気合いを入れ直したその時、ステラが軽やかな足取りで俺の横をすり抜けていく。
「あっ……おい、ちょっと待て!」
息が詰まるような地下通路を抜け出し、早く安全な場所に出たい一心で駆け出したのだろうが、迂闊過ぎる。
そう思った瞬間、俺の脳裏にイメージが弾けた。
――少女は地上に飛び出すと、安心したように笑って深呼吸をした。
――気を付けろ。まだ逃げ切った訳じゃない。
――大丈夫よ。嫌な臭いしないもの。
――少女がそう言って伸びをしたその時。
鋭い風切り音がして少女の体が震えた。その胸には黒く塗られた矢が……
「ステラっ!!」
俺は慌ててステラを追い、今にも外に飛び出しそうな少女の腕を掴んで引き戻す。
「ちょっ……いきなり危ないじゃ――!」
だがその直後、少女の足元に黒塗りの矢が突き刺さり、ステラは抗議を飲み込んだ。
「……何よこれ」
恐る恐る外を見渡し、震える声で呟くステラ。
畜生。やっと逃げられたと思ったら、出口に待ち伏せだって……? なんの冗談だ。




