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第四十一話 『逃走と夜警』

 見渡す限りの闇。


 クリフトは漆黒の森を音もなく疾走していた。


 新月の森の闇を走るのは、夜目が利く狼人(ハウド)にとっても危険を伴う行為。


 だが彼は立ち止まるわけにはいかなかった。


 クリフトは小さく舌打ちすると、目に飛び込んできた倒木を一飛びで乗り越える。


 帝都から逃れたゲルルフの痕跡を追って、彼等が拠点にしている廃村に辿り着いたのは二日ほど前。


 そこはアルマと呼ばれていた小さな村。


 かつて自らが犯した過ちがもたらした惨劇によって住民の殆どが惨殺され、打ち捨てられ忘れられた、クリフトーーギーゼルベルトやゲルルフ達の故郷。


 (敢えて忌まわしき記憶の刻まれたかの地に拠点を構えるとは。彼等は未だあの怨念に生きているということですか)


 兎に角、今はここを切り抜けて彼等の情報を帝都のメアリム様に届けなければ……


 と、背後に刺すような殺気を感じ、クリフトは咄嗟に横に身を投げ出した。


 刹那、クリフトの居た場所の地面が弾け飛ぶ。


 「へぇ、躱されちゃったよ。結構マジで投げたのにさ……意外にやるね、あんた」


 闇の奥から嘲笑うような声が響き、魔法の光球によって森が明るく照らされる。


 クリフトは素早く起き上がって身構えた。


 声の主は目深にかぶったフードを捲り、嫌らしい笑みをクリフトに向ける。


 狼人(ハウド)ではない。人間(・・)の男。


 長身痩躯。深い漆黒の髪は獅子の(たてがみ)のように立っている。


 鋭い刃物のような目と糸のように細く剃った眉が蟷螂(カマキリ)を思わせる細い顎と相まって、全体的に尖った印象を男に与えていた。


 クリフトは知らないが、男の名を烏丸(からすま) 龍二(りゅうじ)という。


 「逃げ足には自信があったんですが……追い付かれてしまいましたか。歳は取りたくないものです」


 「あんたが遅いんじゃない。俺が早いんだよ」


 そう言うと、龍二は地面にめり込んだモノ……先程クリフト目掛けて投げ付けた戦鎚を片手で無造作に引き抜いた。


 大きさからして、あれは城門を破壊する為の戦鎚だ。


 この細身の男は狼人(ハウド)でも両手で使うそれを抱えてクリフトに追い付き、さらに片手で持ち上げるのか。


 常識はずれも良いところだ。そんなことが出来るのは……


 「まさか契約者(テスタメント)……か」


 不釣り合いな光景に唸るクリフトに、龍二は一瞬驚いた表情を見せ、ニヤリと笑って口笛を吹いた。


 「ヒュウ……知ってんだ? 最重要機密(トップシークレット)なんだけどな、それ。どうせあんたもうすぐ死ぬし、いいけどね……でも、これで殴って終わり、じゃつまらねぇな」


 龍二はそう言って戦鎚を放り投げると、両腕を顔の前に構える。


 「っつうことで、喧嘩(バトル)しようぜ。最近暴れ足りなくてストレス溜まってんだ。発散させてくれよ」


 「……」


 クリフトは素早く周囲の気配を探った。


 追っ手の狼人(ハウド)だろう。遠巻きにではあるが、既に囲まれている。が、数は多くない。


 この男さえ振り切れば、押し通ることも……


 「余所見すんなよっ! おらっ!」


 「……っ!!」


 苛立ち混じりの気合いと共に拳が飛んでくる。クリフトは両腕を交差させてその拳を受け……思わず呻きをあげた。


 凄まじい衝撃が突き抜け、腕が軋み、肩が悲鳴をあげる。咄嗟に後ろに跳んで衝撃を逃がしていなければ、今の一撃で腕が駄目になっていた。


 (これが……神の加護ですか。確かに圧倒的な)


 クリフトは痺れを振り払うように腕を振ると、大きく息を吸った。


 隙を見て振り切るのは不可能……ならば打ち倒すのみ。


 魔法の光に照らされた夜の森に、クリフトの遠吠えが響く。


 遠吠えが消えたとき、クリフトの雰囲気は一変していた。肌が粟立つような圧迫感(プレッシャー)に、龍二は感嘆の声をあげる。


 「殺る気になった? いいね!」


 「……」


 無言のまま身構えるクリフト。龍二は獰猛な笑みを浮かべ、拳を突き付けた。


 「名乗れよ、狼人(ハウド)。『俺が殺した強者(ツワモノ)リスト』に載せてやっから」


 「貴方に名乗る名はありませんよ」


 「……上等っ!」


 龍二は喝采の叫びをあげると、拳を振り上げてクリフトに肉薄する。対するクリフトは咆哮をあげて男の懐に飛び込んだ。


 拳と拳が交差し、肉と肉がぶつかる轟音が森の静寂を打ち砕く。


 ……


 ……


 ……


 ……


 新月の夜。


 寝静まり、闇に沈んだ街をカンテラの灯りを頼りに進む。


 馬車二台がやっと離合できる石畳の道路の両脇に、隙間なく壁のようにそそり立つ建物。


 ……時刻は二十三の刻を過ぎた頃だろうか?


 劇場や夜店があり、夜なお賑わう大通りや、酒場などの飲食店、夜が本番の色街と違い、商家が並ぶこの街の家々は既に明かりを消して寝静まっていた。


 「昼間はあんなに賑やかなのに、夜になるとこんなに不気味なんですねぇ……カズ」


 アレクシアが柄の長い朝星棒(モルゲンシュテルン)を握り締め、少し不安げな表情で俺に身を寄せてくる。


 白く縁取られた漆黒の法衣(ローブ)に身を包み、揺れるランタンの光に分厚い眼鏡を光らせながら棘付きの金棒を握り締める魔法使いの方が不気味で物騒だと思うが……黙っておこう。


 「アル、怖がってばかりじゃなくてちゃんと周囲を警戒してくださいよ?」


 「大丈夫ですよ~。暗いのには慣れてますから。でも、こうやって新月の夜の街を歩いていると、子供の頃を思い出します。夏の夜は近くの森で肝試しをしたんですよ~」


 そう言って俺の服を掴み、ニッコリと笑うアレクシア女史の眼鏡がゆらりと鈍く光った。


 ……間違いない。肝試しで幽霊役をやっていたな、彼女は。


 「まったく……お前を見ていると人生の不条理を感じるよ、カズマ」


 先をいくルーファスが俺を振り返ると呆れたように苦笑いを浮かべる。


 「何だよ、人生の不条理って」


 「ん? 何で俺みたいな男前じゃなくて、お前みたいなのに美女が寄っていくのかってことさ」


 「多分、そういう所じゃないかと思いますよぉ? 女の子が寄り付かない訳」


 「えぇ……酷いな、アレクシアちゃん」


 のんびりとした口調でズバリと言うアレクシアの言葉に、ルーファスはガックリと肩を落とす。


 ……ったく。緊張感がないな。


 俺はそんな二人に小さく溜め息をついた。





 二日前。


 メアリム爺が魔法学院(シューレ)に発つ前日、俺は老人から預かった手紙を騎士団中央本庁(ツェントルム)のブロンナー副総帥に届けた。


 仕事はそれで終わりの筈だったのだが。


 「待て。カズマ、貴様に命令だ」


 「命令、ですか?」


 退出しようと一礼した所を呼び止められ、俺は思わず問い返す。


 今の俺は、一応イスターリ宮中伯の命令で騎士団……正確にはブロンナー副総帥指揮下の銀狼団追跡部隊に出向している身だ。


 副総帥から命令を受けるのは変じゃないが。


 ブロンナー副総帥は団栗のような目で俺を睨むと、不機嫌そうな顔で俺を手招きする。


 その表情に嫌な予感を覚えつつ、副総帥の机の前に立った俺に、ブロンナー卿は一枚の書類を突き付けた。


 恭しく受け取ってさっと目を通す。副総帥の署名の入った命令書。その内容は……


 「夜警任務……ですか」


 「簡単に言えばそうだ。先日、上級市民街の真ん中で殺しがあったのは知っているか」


 「いえ……初耳です」


 上級市民街は中層市民街と検問で隔たれていて、許可された人間しか入れない。


 当然治安もよく、路上で殺人なんて考えられないが……


 ブロンナー副総帥は『なんだ、知らんのか』といった表情でため息をつくと、声を落として続けた。


 「上級市民街で高級娼婦クルティザンと密会中の貴族が何者かに殺された。下手人は逃亡中だが、銀狼団の仕業だという情報がある」


 「銀狼団……」


 「貴族連中や市民には詳細を伏せているが、いつまでも隠し通せる訳はない。そうでなくとも夏祭り以降、市民の間に不安が募っている。それに、銀狼団が貴族一人殺したくらいで満足するとは思えん。市民の不安を煽るため、同様の襲撃を繰り返す可能性がある……よって、夜警巡回を強化することにした」


 ……つまり、対外的なパフォーマンスと銀狼団に対する牽制を兼ねた対策か。


 あわよくば連中を現行犯で押さえることも狙っているのかもしれない。


 「で、だ。本来ならこれは騎士団の任務だが、今は討伐軍の編成のため人材が不足している。よって貴様と魔法省にも協力してもらう。以上だ。質問は?」


 「いえ、十分です。謹んで拝命いたします」


 俺は命令書を懐に仕舞うと、ブロンナー副総帥に頭を下げた。





 はあ……しかし。


 俺もシャルロットの件とかあって正直暇じゃないんだよな。


 まあ、銀狼団捜索部隊に出向しているんだから、上司の命令とあれば従わないわけにはいかない。


 今日は夜回りの二日目。深夜労働はコンビニのバイトで慣れてはいるけど、一年のブランクはキツイ。


 俺は満天に溢れんばかりに輝く夜空の星を見上げて小さく息をついた。


 新月の夜は星の数がいつもより多く感じる。


 「しかし、昨日の巡回も商人街だったよな……同じところ回って意味あるのか?」


 俺の問いに、ルーファスは軽く肩を竦めた。


 「ウチの団長の読みってヤツさ。上級市民街はこの前の殺しで警戒されている。狙うなら下層か中層だが、市民の不安を煽るなら中層が効果的。その中でも商人街は夜人通りが少ないから狙いやすいってな」


 「成る程ね」


 ルーファスの説明に俺は納得して頷いた。


 警備に回せる人数に限りがあるから闇雲に人員を配置できないもんな。


 団長は伊達じゃないって事か。勝手に脳筋っぽいイメージ持っててごめん、ロベルト。


 と、何の前触れもなく俺の背筋に冷たいものが走った。頭から冷水を浴びせられたような感覚に、思わず身震いした。


 「ん? どうしたんですかぁ? カズ? 風邪ですか」


 アレクシアが俺の顔を覗き込むようにして小首を傾げる。だが、俺は呻きを圧し殺すように唇を噛み締め、頭を振った。


 違う。そんなんじゃない。この悪寒は……


 その時、夜の静寂を二発の爆音が引き裂いた。


 ……なんだ?! 結構近い?!


 俺とルーファスはハッと顔を見合わせた。


 深夜の街中で爆音……まさか、ロベルトの読みが当たった?


 「エンリコ、ケイン、アマデオ、行くぞ!」


 「はっ!」


 ルーファスはサーベルの柄に手を掛け、部下三人と共に爆音が聞こえた方に駆け出す。


 「……ちょっと待て! 先走るな!」


 俺は背中に残る悪寒を振り払うように頭を振ると、ルーファス達を追って駆け出した。

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