第四十二話 『燃える炎と双斧の狼人』
夜の冴えた空気に僅かだかだ何かが焦げる臭いが混じっている。
ふと空を見上げると、赤く照らされた黒煙が立ち上っているのが見えた。あの煙は火事だ。
近いな……一本隣の通りだろうか。
しかし、さっきの爆音といい、あれはただの火事じゃない。
「ルーファスっ! ちょっと待て! 迂闊だぞ」
俺は辻に躍り出ようとするルーファスに駆け寄ると、その腕を取って引き止めた。
「なぜ止める?! あの爆発、ただ事じゃないだろう!」
「だからだ。落ち着け。俺達だけ突っ込んで何になる? 先ずは本隊に応援を要請するのが先だろう?」
怒鳴る俺にルーファスはハッとする。
「……そうだな」
全く。本職が慌ててどうするよ。こういうときに落ち着かなきゃ。
「隊長っ!」
その時、騎士団の一人が四つ辻の角を指差して叫ぶ。騎士の指す先にランタンを向け、俺は息を飲んだ。
向こうから、異様な風体の男が今にも倒れそうな足取りでこちらに近付いてくる。
男は頭から血を流し、黒のジャケットは襤褸の様に切り刻まれている。そして白だったシャツは赤黒く染まっていた。
『ヒィ、ヒィ』と悲鳴のような声をあげて転び出るように歩く男に、ルーファスが駆け寄る。
「大丈夫か? ……! あんた、その怪我どうした?!」
人を見て安心したのか、つんのめるように倒れる男。ルーファスは彼を抱き止め、石畳に横たえる。
「っ! 酷い……」
血塗れの男に、アレクシアが小さな悲鳴を上げた。
「たす……け……たす……て……」
譫言のように『助けて』と繰り返す男の手を、ルーファスが強く握る。
「大丈夫だ。今助けに来た! 何があった? あんたはどこの誰だ?」
「……ぎん……う……ぅっ! やらレ……ぇ……おれ……ぁ……アジッチの……ぅ」
腹の刺し傷の出血が酷い。顔色も蒼白で素人目にも危ない状態なのがわかった。男は虚ろな目で喘ぎながら、それでも何か伝えようと言葉を振り絞る。
目の前で人が血を流して死にそうになっているのに。くそ……俺は、ただ見ている事しかできないのか。
当然だが、救急車なんて気の利いたものはこの国には無い。せめて応急処置を……
俺は隣で厳しい表情をするアレクシアに声をかけた。
「アレクシア、治癒魔法は使えるか?」
「少しは……でも、この人には駄目。使えないわ」
アレクシアの口調はいつもの緩い感じではなく、纏う雰囲気も別人のようになっている。だが、違和感を指摘している場合ではない。
『使えない』って、どういう事だ?
治癒魔法だろう。アニメやラノベで呪文ひとつで病気や怪我を治すのか治癒魔法じゃないのか?
俺の表情から疑問を読み取ったのか、アレクシアは辛そうな表情で力なく頭を振る。
「治癒魔法は、対象の新陳代謝を活性化して怪我や病気の回復を早めるものなの。今の彼には負担が大き過ぎて、ショックで死なせてしまう」
アレクシアの答えに俺は言葉を失った。
治癒魔法でショック死なんて冗談でも笑えない。
つまり、打つ手はないのか。
「ぎん……? アジッチとは、貿易商のアジッチ・バーチュか?」
ルーファスの問いに、男は小さく頷いた。騎士達は互いに顔を見合わせる。
『ぎん』……状況からして十中八九銀狼団、ゲルルフのことだろう。
「あんた、頑張ったな! もう大丈夫だ。俺達は騎士団だ! 必ず助けるから、ゆっくり休んどけ」
ルーファスが男の耳元で優しく言うと、男は安心したように微笑み……力なく首を垂れた。
死んだ……のか? 本当に……死んで……畜生っ……なんで。
名前も知らない、さっき会ったばかりの男。だが、何もできないまま目の前で命の火が消えたという事実と、初めて目の前にした死に胸が握り潰されそうになる。
「アジッチ・バーチュ……先日、銀狼団に商隊を襲われた商人です。被害確認に行ったので覚えています。確か店は近くだった筈です」
部下の言葉に、ルーファスは頷くと、息絶えた男の骸を道脇に横たえて瞳を閉じてやり胸で手を組ませる。
「エンリコ、本隊に状況を報告し増援を要請しろ。ケインとアマデオは俺に続け……行くぞ!」
「はっ!」
「ちょっ……相手は銀狼、しかも人数も何も分からないんだぞ? 応援の到着を待つべきじゃないか?」
「増援を待っていたら奴に逃げられる。これは奴を捕らえる絶好の機会なんだ。見逃すわけにはいかないんだよ……なに、増援が来るまでの足留めだ。無茶はしないさ」
俺は慌てて止めるが、ルーファスは首を横に振ると部下を引き連れて駆けて行ってしまった。
「ルーファス……」
確かに夏祭りの悲劇以後銀狼団を追っていた騎士団にとっては千載一遇の好機だろう。夜警をやっているのもそれを期待しての事だ。
だが、いくらルーファスの剣の腕が良くても三人で突っ込むのは無謀じゃないか。
「カズ……どうするの?」
アレクシアが不安げに俺の顔を覗き込んで問う。
……俺は、どうする?
その時、頭を万力で締め上げられるような頭痛と共に、雑音混じりのイメージが脳裏に割り込んでくる……!
血のように紅い月の下、全身膾切りにされて吊るされた母親と幼い兄妹。
銀の体毛を持つ巨軀の狼人に細剣を振るって立ち向かう琥珀色の髪の騎士。
次の瞬間、イメージに激しい乱れが生じ、騎士は狼人に仰向けに倒され、胸を踏み付けられていた。
「……っ!」
このままじゃいけない……でも、叫ぶ声も、駆けつける一歩も出ない……!
ーーくくくっ! どうする? 君はそうやってまた彼を見殺しにするのかい?
雑音混じりの声。どこか楽しげな少年の声に、俺は聞き覚えがあった。
それは、嫌だ。助けなきゃ……俺は!
ーー力が欲しい?
銀の狼人は嗜虐的な笑みを浮かべ、手にした大剣を騎士の喉元目掛けて振りかぶる……
ーー君が望めば更なる力を与えよう。理を歪め、変革に至らしめる力を……さあ。
「カズっ!? カズマ様!」
「……っ!? あ、アレクシア?」
激しく肩を揺さぶられ、俺は意識を取り戻した。アレクシアの気を揉んだ表情が目と鼻の先にある。どうやら必死に俺の意識を戻そうとしてくれたようだが……距離が近い。鼻がくっつきそうだ。
俺が彼女に答えると、アレクシアは分厚い眼鏡の奥にある淡褐色の瞳をホッとしたように細めた。
「カズ、急に倒れて……すごく苦しそうに唸ってました。大丈夫ですか?」
「……ええ、大丈夫です。心配かけてすいません」
俺は心配そうなアレクシアを安心させる為、笑って見せた。本当は少し頭がグラグラする。
「それより俺はどれ程意識を飛ばしていたんです?」
「えっと……一分少々でしょうか」
良かった。それくらいなら手遅れにならずに済む。
しかし、さっきの光景は……夢? にしてはリアルだった。
じゃあ、俺は何を視たんだ?
思考の海に沈みそうな意識を、頭を振って強引に引き戻し、俺は起き上がった。
「アル、ルーファスの後を追います……嫌な予感がする」
「はいっ!」
俺の言葉に、アレクシアは緊張した表情を浮かべて力強く頷いた。
……
……
……
……
「うわっ! こりゃ不味いな」
ルーファスを追って辻を曲がり、隣の通りに入った俺は惨状の余り絶句した。
吹き付ける熱風と、色々な物が焼け焦げる嫌な臭い。建物の窓から腕のように噴き出す暗い煙と炎は夜の通りを明々と照らしている。
その火事場の前で、ルーファス達三人の騎士が狼人の戦士達と戦っている真っ最中だ。
石畳には既に二人の狼人が倒れており、ルーファス達が優勢のように見える。
しかし、狼人達に手一杯で火事の始末に手が回っていない。
炎は既にアジッチ邸を焼き付くし、街路樹や両隣の商家を飲み込もうとしていた。
それにしても火の回りが早い。火事のことは詳しくないが、爆音を聞いてからそう時間はたって無い筈だ。それなのに、こんなに延焼するのか?
「カズ……!」
少し遅れて来たアレクシアが燃え上がる街路樹を指差して叫ぶ。
見ると、街路樹の枝に何かがぶら下げられていた。大きい塊がひとつと小さな塊がふたつ……あれは?
「くっ……?!」
炎に照されたそれは……女性だ。そして少年と少女。全身膾にされ、逆さに吊るされているのだ。
よく見ると街路樹の幹には、体格のよい男性同じく膾にされ、槍で縫い付けられている。
……見せしめか。それにしても酷い。
兎に角、火を消さなきゃ、こんな住宅密集地で火事を放っておいたら、周りが火の海になる。それに、ルーファス達も放って置けない。
「アレクシア、『水』は?」
「一通りは!」
「なら頼むっ!」
「……はい!」
俺の意図を読み取ったアレクシアが表情を引き締めて朝星棒を掲げ、『ことば』を紡ぐ。
炎に照らされるその姿は、怪しげな魔術を操る魔女に見えなくもない。手にするのが凶悪な鈍器でなければなぁ……
俺はアレクシアを一瞥すると、腰に佩いた半月刀を抜いて騎士達の元に走った。
騎士達の戦況は……
ルーファスの部下二人と狼人の戦士達は互角……いや、弱冠騎士側の方が優勢か?
「らぁっ!」
「っちぃ!!」
鋼がぶつかる激しい音と荒々しい叫び声。
振り向くとルーファスが狼人の戦士と打ち合っている。
相手は長身痩軀を赤い体毛と鎖帷子で覆った、翠の瞳の狼人。
奴は確か……!
「そぉっ!」
ルーファスが放った鋼刃の軌跡が炎を反射して流星のように踊り、空気を裂きながら赤い狼人に襲い掛かる。
だが、赤い狼人は両手に持った二振りの手斧を軽々と振るってルーファスの嵐のような斬撃を尽く打ち払った。
ルーファスは細剣使いとして帝都でも五本の指に入るほどの使い手。
その斬撃を斧で……だと?
「その程度かっ! 小僧!」
気合い一閃、赤い狼人が斧を振るう。質量と遠心力が乗った一撃に耐えられず、ルーファスは大きく体勢を崩した。
不味い!
「終わりだっ!」
「させるかよっ!」
斧を振るい、吼える狼人。俺は狼人を横合いから斬り付ける!
耳障りな金属音と激しい火花が散り、俺の半月刀は狼人の斧に止められる。
ちぃっ! だが、これでルーファスは大丈夫だ。
「カズマっ!」
「細剣じゃ分が悪い! こいつは俺に任せろ!」
体勢を立て直し、間合いを取るルーファス。俺は鍔迫り合いのまま彼に怒鳴る。
ルーファスは一瞬ムッとして何か言おうとしたが、『死ぬな』と短く言うと部下の援護に回った。
「ふっ……貴様、あの夜の人間か。面白い」
赤い狼人は鼻で笑うと俺の剣を弾いて跳び退さり、間合いを取る。
……仕切り直しのつもりか。
俺も狼人と正対し、半月刀を正眼に構えた。
「見せてもらおうか、銀狼ゲルルフに傷を付けた漢の実力とやらを!」
両手に斧を構え、牙を剥き出しにして獰猛な笑みを浮かべる狼人。
「我が名はロートっ! 銀狼団三将が一翼、赤炎のロートなり! いざ、尋常に勝負っ!」
咆哮をあげ、間合いを詰めるロート。
今時『尋常に勝負っ!』なんて時代劇ぐらいしか聞かないぞ……やりづらいな。
しかし……正面から来るなら受けて立つさ!
「やあぁぁぁぁあ!」
俺も裂帛の気合と共に一気に踏み込む!
この圧迫感……伊達やハッタリじゃなく強い! だが、負ける訳には!




