6話 沸騰するぬるま湯
「おめでとう」と言う言葉が全て皮肉に聞こえる。
拍手を送る奴らが、全員敵に見えた。
「このクラスから生徒会が出た。」
担任は高らかに言う。
これで不登校問題も解決したと言わんばかりだ。
何より、笑顔を振り撒く自分を今すぐ殺してしまいたい。
ただ悪意のない祝福を、引っくり返す度胸は俺にはなかった。
「投票してくれたみんなのためにも頑張ります。」
ペラペラと嘘をつける自分も、それを信じる周りも大嫌いだ。
いつの間にか、嘘が上手くなっていた。
部活に行けば、山本は握手を求める。
「これから責任持って頑張れよ。」
「はい!頑張ります!」
キノピオだったら、鼻はとっくに天井を突き抜けてる。
あの話は最終的にどうなったかな。
天罰が降って痛い目を見たかな。
そうでもしないと釣り合わない。
今すぐにでも裁きを受けたい気分だった。
そんなことを考えていると
「大丈夫?うっちゃん。」
大洋と隼人は他とは違った。
この2週間毎朝、俺のことを見ている。
その辺の大人みたく騙されてはくれない。
「うん。大丈夫。」
上手く笑えてたかな。
——————
「よく頑張ったね!」
祖父母も喜んでいた。
心配よりも安堵が先に来ていたのだろう。
「あんた頑張ったね。」
母もいつも以上に穏やかだ。
みんなで食卓を囲む。
カレー。
宗介も喜んでいる。
いつもならホッとする何もない家での平穏。
今日はすぐにでも逃げ出したい気分だった。
食事を済ませ、自分の部屋に引き篭もる。
イヤフォンをこれでもかと押し付け、目一杯ボリュームを上げる。
嘘つきの俺には、誰も寄り添わなかった。
———もう良いよな。頑張ったよな。
答えは頬を伝った。
——————
俺は病院のように、ベッドに横たわっていた。
誰の顔も声も聞きたくない。
あれからどうなったかなんて、知りたくもない。
ドアの外の音に耳を貸さず、イヤフォンの音だけ聴き続けた。
外すより、マシだった。
「良い加減出てこんね!」
怒鳴り声が聞こえる。
……来た。
——————
母が怒鳴っている。
何を言ってるのか、入ってこなかった。
ただ、
「どれだけの人に迷惑かけるつもりなの!」
この言葉だけで十分だった。
全ての元凶であるこの人にただ黙って責められることが、俺への1番の罰だと思った。
なぜか、肩の荷が降りたような気がした。
——————
不登校の生徒会副会長なんて、矛盾した存在になって初めて迎えた日曜日。
ただでさえ大きいその足音は、いつもより大きかった。
自分の城から出ない俺を卑怯者と罵る。
「早く出てこんか!」
俺はイヤフォンをつけて音量を上げる。
ただ、ドアを叩く鈍い低音はベースよりも重く響く。
「俺が怖くて出て来れんとか!弱虫が!」
安い挑発だったと思う。
でもこいつにだけは言われたくなかった。
今なら世界中の誰に撃たれたって構わない。
ただ1人、こいつだけは無理だった。
「誰のせいだと思ってんだよ!」
蹴りあけたドアは、思ったより軽かった。
「俺のせいか!貴様!」
「そりゃそうやろうが!勝手にうちの家族めちゃくちゃにしやがって!」
「なんや!お母さんが取られて寂しいとか?」
男は意地悪く俺に問う。
母は彼氏の横から動かなかった。
「違うわ!俺がどんだけやってきたと思っとるんや!それをクズ男に逃げるなんて、ふざけんな!」
「誰にいいようとや!貴様!」
「初めて会った宗介に怒鳴りつけるような奴、クズに決まっとるやろ!お前何様や!」
左の頬に、鈍い衝撃が走る。
一瞬、何も聞こえなくなった。
「そうやって暴力に訴えるしかできんちゃろ!」
「お前が生意気なこと言うからたい!いいけん学校に行け!次、休んだらどうなるかわかっとるな!」
「学校なんて行ってやるさ!この家にいるより100倍マシや!」
俺はiPodとイヤフォンを持って家を出た。
そのまま、帰らなかった。
iPodから、Crack The Marianの「家で少年のメロディ」が流れる。
今の俺には、ちょうどよかった。
——————
何事もなかったみたいに、学校へ行った。
クラスメイトは、距離を取った。
誰もそこにいないみたいに。
それが、妙に心地よかった。
やっと解放された気がした。
「大丈夫?うっちゃん?」
やはりこの2人は違った。
大洋は心配そうに聞く。
隼人はあえて黙っているようだった。
軽く微笑んで、そそくさと2人の前を去る。
大丈夫なわけない。
優しくしないでくれ。
久々に登校したことを報告に職員室に。
教師陣は「よく来たね!」、「頑張れるだけでいいよ!」と安堵の表情で言う。
———学ばない奴らだ。
ただ、1人だけ違った。
「貴様、よく俺に普通に挨拶できたな。」
山本は俺を連れ職員室の廊下へと出る。
隣には生徒指導の与田がいた。
面倒な組み合わせだった。
俺は廊下の壁に放り出される。
鈍痛が背中を走る。
「何、普通に挨拶しとるとや?」
「ダメでしたか?」
「どんだけ迷惑かけたと思っとるとや。」
「すいません。家で色々あって。」
「知っとる。お母さんのせいか?」
「えっ。」
「甘いったい貴様は!」
何かが壊れた気がした。
そして俺の何かが、動き出した。
『お前に俺の何がわかる!』
気づいたら、山本の胸ぐらを掴んでいた。
それからは全てがスローに見えた。
驚いた表情を見せる山本。
必死で止めようとする与田。
教師陣がワラワラと職員室から出てくる。
俺は羽交い締めにされ、保健室へと送り込まれた。
———初めて誰かを、殺したいと思った。
「俺も両親が離婚していて気持ちはわかる。」
『わかるか。』
数学の和田が言う。
「お母さんも苦労しているんだと思うよ。」
『適当なことを言うな。』
体育の野田。
「辛かったね。」
『お前、誰だ。』
変わるがわる声をかけにくる。
言っていることがバラバラで何が正しいのか、わからなくなった。
ちゃんとしていれば、誰かが助けてくれる。
そう思っていた。
誰も、止めなかった。
口髭を生やしたヒョロい男がやって来る。
見たことはある気がする。
その男は、俺の横に座りしばらく黙っていた。
甘い匂いがした。
「君は、その歳で重たいものを抱えすぎている。」
「可哀想に。」
それは、俺の中に易々と入ってきて底に落ちた。
溢れ出す涙が止められなかった。
———そうか、俺は可哀想だったんだ。
許された気がした。
でも、もう手遅れだ。
張り詰めたものがプツンと切れた。
声をあげて泣いていた。
俺は生涯、この言葉を忘れないだろう。
——————
もう何も聞こえなかった。
何も、感じなかった。
それでも時間は過ぎていく。
またドアの外が騒がしくなる。
「聞いたぞ!学校行かんかったらしいな!」
「........。」
「おい!聞いとるとや!出てこい!」
俺は先週とは対照的にゆっくりドアを開けた。
「言い訳があるならどうぞ?」
意地悪く男は聞く。
「別に。」
左頬に、先週より強い衝撃が走る。
一瞬、視界が揺れた。
「なんやその目は。」
「......。」
「お前が悪いっちゃろうが!学校行かんけん!」
俺はじっと母を見る。
男のそばで、母は何も言わなかった。
「俺、出ていく。」
そう言って俺は部屋に戻り荷物をまとめ始める。
慌てたように母親が部屋に入ってくる。
「どこいくとね?」
行かないでくれ。
そんな気がした。
「親父のとこ。」
「殴るのはやりすぎやったと思う!後で言っとく!」
母が初めて男のことで強気になった。
———でももう手遅れだ。
「……ここはもう、地獄だ。」
俺はそう呟き、寝室の宗介の元へ。
「ごめん。にいちゃん、父さんとこ行くわ。」
宗介は泣いていた。
「お前も来るか?」
宗介は首を振る。
「わかった。」
俺は宗介の頭を撫でた。
手を離す時、宗介は何か言いたげだったが、一刻も早くここから出たかった。
ドアを開けて外へ出た。
ドアを閉めたあと、少しだけ立ち尽くした。
親父の家へ歩いて向かう。
涙が溢れて止まらない。
俺はずっと、ぬるま湯にいたつもりだった。
夜、車が走る中、ボリュームをめいっぱいあげる。
もう、誰の声も届かなかった。




