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真空で鳴る音  作者: youkey
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5話 もう一つの声

Crack The Marianが「Going Summer Beach」を歌っている頃、俺も溶けそうだった。


グラウンドの熱でスパイクが柔らかくなる。

家では、声の温度がそれより高い。


毎月のことだが、月末になると、俺の小遣いは財布から消えて生活費へ流れる。


母はのちに謝って返すが、暑さの中友達と食うアイスは返ってこない。


最終日には遊びほうけた宗介の溜まりに溜まった宿題が、母の逆鱗に触れ家が一日中、怒鳴り声に塗れていた。


そんな地獄を乗り切り、2学期が始まる。

クラスメイトたちは目を疑うほどに焼けた肌でお互いを笑う。

ただ珍しく俺はその流れに乗ることもせず、ひたすら机に向き合う。


「学級委員から生徒会副会長へ大出世ですね!」


小野寺に背中を叩かれる。軽い音が妙に響いた。


『まだなるって決まってないから。』


あれ、今の言い方、ちょっと冷たくなかったか。


「まあ信任投票だしどうせ通るっしょ!」


「頑張るよ。」


焦って無責任なことを言う小野寺に適当に返す。

小野寺はバツが悪いように去って行った。

いつもなら気になるところだが、今の俺にはそれに反応できる頭のスペースは空いていなかった。


全校で600。

半分以上。

300。


頭の中で何度もなぞる。


当選したら、肩書きがつく。

逃げ場はなくなる。


——考えても、仕方ない。



——————



その日の帰り道、大洋と隼人とも話題は必然的にそれになった。


「俺ら絶対うっちゃんにいれるから!」


———そんなに不安そうに見える?

———まあ不安だけど。


「うーん。まあ落ちて当たり前と思って頑張るよ!」


俺はこいつらには、少しだけ弱音が吐ける。

少し肩の位置が下がった気がした。


「うっちゃんなら大丈夫だよ!」


いつものように元気に言う大洋。


「今までもリーダーの役割はしてきたからね。」

隼人もそれに同調する。


数字にビビっていたがこいつらが言うなら自分を信じてみてもいいかもしれない。


「ありがとな。」


「てか山本と与田うざすぎ。」


大洋が首を落としながら言う。


「それなー。」


我がサッカー部顧問の山本と生徒指導を務める与田は、何かにつけては大声でブチギレる生徒の敵だ。


体罰が禁止された今、威厳を示す方法はそれぐらいしかないのかもしれない。

それにしても、態度だどうだ理由をつけてキレる沸点の低さはうちの母親にも負けないレベルだった。


———まあうちの母の悪質さには及ばないが。


『ああでもしないと生徒を動かせないただの単細胞さ。』


———俺、今なんて言った。


「ウッチャンってたまに怖いよね。」


そう言う隼人にあわてて言い訳をする。


「そんなふうに言いたくなるぐらい、俺もムカついてんのよ!」


「だよなー。」


———乗り切ったようだった。


俺は安堵して2人と別れる。


大きく息を吐いてドアを開ける。


見覚えのない靴が一足あった。


男の声がした。

空気が、重い。



——————



タバコの匂いがする。

母はタバコは吸わない。

そして親父のそれとも違う。


3人の世界に異物が紛れ込んでいた。


玄関に出てきた母は、明らかに俺の顔色を窺っている。


「おかえり。」


「ただいま。」


静寂が痛い。


「……実は紹介したい人がいるんだけど。」


分かっていた。

でも聞きたくなかった。


「片付け終わったらリビング来て。」


「わかった。」


言うしかなかった。


自分の部屋に入り、ドアを閉める。

イヤフォンをつける。

The Beatlesの「HELP!」が流れる。

でも誰も助けてはくれなかった。


俺は洗濯物を出しながら頭をフル回転させた。

これから起こりうる最悪の状況の想定。

そうすればダメージは少ない。

ただいつもなら対応策まで出てくるがそれは一つも思いつかなかった。


俺はキッチンで麦茶を一気飲みしてリビングへ向かった。


そこには腕を組んだ腕っぷしの大きな男が胡座をかいていた。

俺が入っても、動かなかった。

見てわかるほどの青髭。

掻き上げた前髪。

薄汚れたジーンズにTシャツ。

何もかも親父とは違った。


佇まいからも粗暴さが滲み出ていた。



母はさっきとは打って変わって、明るく言う。

「この人はたかくん。この前からお付き合いしてるの。」

「前から蓮介たちに会いたいって言ってたのよ。」


「よろしく。蓮介くん。」

目が笑ってなかった。


「ど...どうも。」


止まった頭の代わりに、条件反射で対応した。

差し伸べられた手を握る。

ゴツゴツした手。

親父とは違う手だった。


「お母さんから聞いているよ。」

「すごく優しくて成績も優秀らしいね。」


———上から目線が鼻につく。


「いえ、そんなことは。」


「俺は高岡孝宏。」

「お母さんの美樹さんとお付き合いさせてもらってます。」


「これからよろしく。」


———これからもよろしくしたくない。


「どうも。」


俺はそっけなく言う。


「緊張してる?俺のことはお父さんだと思ってくれていいから。」


その図々しい発言に、すでに下ろしかけていた心のシャッターを一気に下ろした。

母を睨みつけると、母はバツが悪そうにしていた。


「俺、宿題あるから。」


1人になりたかった。

頭を整理しなくては、言葉を話すこともままならない。

一瞬、視界に入った宗介は、いつものおもちゃ遊び。

無言のまま、2人には背を向けておもちゃの音だけが響く。


俺はドアを閉める。

整理はすぐ終わった。

でも、何も整理できていなかった。

想定を上回ったわけではない。

なんなら想定通りだ。


……でも。


「彼氏ってなんだよ...。結局男かよ...。」

それだけだった。


怒りより喪失感が俺を包む。

この家の中に、知らない声があった。


今までのことが、勝手に浮かんで止まらなかった。

いい子でいようとしたこと。

夜中まで相談に乗っていたこと。

少しでも助けになろうとしたこと。

好かれようとした。


3人で、やっていくはずだった。


……そう思っていた。


重い喪失感に天井を見上げているとドアの外から怒号が聞こえた。

いつもより低いその音はドアを揺らしている。


「なんで宿題してないんだ!母ちゃんに言われたんじゃねえのか!」


男は当たり前のように、そこにいた。

イヤフォンをつけることさえできない。


家じゃなかった。


音だけが残った。


異物が消えたそのあと母は、俺の部屋に来た。


「ごめん。嫌な思いさせたかも。」


「かも」。

語尾が引っかかった。


「ああ、そうだな。」


「彼氏なんて急だったよね。」 


「ああ。それだけじゃないけどな。」


「たかくん、蓮介と同じぐらいの娘さんが……」


———「そんなの関係ねえよ!」


怒鳴ってしまった。


「俺の親父は親父だけだ。」

「内村学だ。」

「あんなやつ知らない。」


「でも悪い人では……」


———「どこがだ!」


彼氏を庇おうとする母に無性に腹が立つ。


「会ったばかりの宗介に怒鳴ったりする奴のどこが悪くないってんだよ。」


「あれは、あたしの言うことをなかなか聞かなくて……」


———「もういい。」


怒鳴るのも疲れた。


「彼氏がいるのは勝手だし、勝手によろしくやればいい。」

「ただ家には二度と連れてくんな。」


俺はそう言って母を追い出しドアを閉めた



——————



あの日、家が家じゃなくなってから、俺の日常は止まった。

いや、止めたのは自分だ。


こうなってしまった以上、良い子でいる意味は俺にはない。


最初は心配していた母も、次第に俺を攻撃するようになった。


「あんた、学校も行かんでどうすると?」


答えがないことを知っていながらアリバイ工作のような確認が入る。


「あたしのせいね?」

『他に誰がいんだ。』


頭の中でそう聞こえた。


しばらくは醒めない目でずっと座っているだけの毎日。


2週間......経っただろうか?

教師が家にやってきた。


「みんな心配してる。」


嘘をつけ。

毎朝、来ていたのは2人だけだ。


「選挙だけでも出れない?」


あったな。

それは質問じゃなくて、決定だった。


「自分で立候補したんだから、来なさい。」


立候補しておきながらボイコットを決め込むなんて許されないのだろう。

それは命令であり、そこに俺の意思など反映されることはなかった。


——————



俺は2週間ぶりに制服を着て門をくぐる。

クラスの空気はこうなる前なら耐えられないほど遠慮と気遣いで満ち溢れていた。

腫れ物扱い。

自らが実感することになるとは思わなかった。

しかしそれをかき消すかのように明るく元気な不登校生徒。

異世界転生でもしたみたいだ。


「大丈夫?」

『お前は自分の心配が先だろ。』


高宮が俺を心配する。


「ちょっと体調崩してて。」

「学級委員任せきりでごめん。」


高宮は横に首を振る。


「無理しないでね?」

『無理させてるのは学校だ。』


「ありがとう。」


俺はそう言って全校生徒の前に立つ。


ぶっつけ本番の演説が始まる。


「私はこの学校をよくするため...」

『学校なんて興味ねえ。』


「選挙活動にもたくさんの友達が手伝ってくれ...」

『……友達か?』


「私に清き一票を!」

『言わなくても入るさ。』


頭の中で、声がぶつかる。


「おめでとう頑張ってね!」


「ありがとうございます....。」


誰も俺を見ていないまま、俺だけがそこにいた。

音だけが残っていた。

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